珍しく晴れたと思ったら、また大きな牡丹雪が落ちてくる。たっぷり湿り気を含んだ雪はボトボトと音を立てるかのように一日降っていた。三月の中旬なのに、庭を見るとあっという間に5cmは積もってしまった。裏山を見るとまた白くなっている。
庭の雪は太陽の光がさしてくるとみるみる溶けていったが、山に降った雪は多かったのか、見回す山々の樹間は白く染まっている。
雪の様子を見に行ってみようかと、駒弓神社から歩き出す。境内に、キノコがビッシリついたまま立ち枯れた大きな木があったが、重い雪に負けたのか、太い枝を落としている。落ちた枝をくぐって登り始める。
今回降った雪はよほど重かったのか、登り始めた急坂にも何本かの木が重なり合って倒れている。小さな枝はどかし、大きな枝を跨いで進む。
山の斜面はすっかり雪に覆われている。3月中旬の長野の里山とは思えない雪の量だ。だが、地面は暖かいので、カチカチに凍り付いてはいない。雪は重い感じでザクッザクッと足の下で割れてくる。一足ごとに雪と一緒に滑る感じで、凍っている時よりむしろ歩きにくい。それでも山は確実に春に向かっていると感じる。道の脇のヤマツツジは枝先に蕾を膨らませているし、ダンコウバイの蕾もまんまるく大きくなってきている。
冬の里山の楽しみは木の芽の膨らみや、葉を落とした幹に見られる葉痕、それらは木によって様々で、その造形には本当にびっくりするような面白いものがある。しかし、私たちにはまだなかなか区別がつかないから、見つけると「可愛い」だの「面白い」だの、月並みな感想を口走っているだけだ。写真を撮って帰り、図鑑を開くけれど、なかなか分からないことが多い。本当に山歩きは宿題が増えるばかりだ。
山頂にも雪は多い。だが青空が綺麗なので、しばしの憩いを楽しむ。先に登っただろう誰かがベンチの雪を払ってくれたので、そこに座って煎餅を齧りながら目の前の飯縄山の美しい姿を眺める。
雪は多いけれど、日差しが強くなってきたのか、山の空気もポカポカと暖かい。しばらく遠くの山を眺めて休んだので、帰ろう。旗立岩への道には足跡がなかった。深い雪の中を潜りながら進む。頭上の木の枝から時折大きな雪の塊が落ちてくる。夫は登り始めに固い雪を頭に受けて痛かったと言う。今は暖かくなって樹上の雪も溶けてきたけれど、朝のうちはまだ凍って固まったまま落ちたらしい。「帽子をかぶっていてよかったね」「今度はヘルメットが必要かな」などと軽口を叩きながら、時折落ちてくる雪のシャワーの下を歩いて行く。
木の上にはまだ茶色になった実が残っているのも多い。種はすでになくて殻だけなのか、寂しそうにも見えてしまうのはこちらの思いでしかないのだろう。
いつも楽しみにしていた粘菌が活躍する道も、今は倒木が雪の下に埋もれている。「もう少し経たないと粘菌も見えないね」と夫と顔を見合わせてため息をつく。それでも、つい見えている木の下をのぞいて見てしまう。雪を被った倒木には小さなツララがぽつりと垂れている。可愛いけれど、「今はもう3月も半ばだよ」、私たちはいつになく饒舌だ。誰にも会わない雪の裏山はどこか寂しい。
雪を分けながら、よく知った山道を歩いていく。白と茶色の世界のように見えても、春の声は聞こえ始めている。見上げると目立たない木々の花が少しずつ開き始めている。
ツノハシバミの雄花は随分長くなってきた。赤い花火のような雌花が開くのもあと少しだろう。
道には大きな枝が落ちている。この雪は重かったから、あちこちで枝が折れたようだ。道にかぶさっているのを夫と二人で少しどかしながら歩く。秋の台風の時より、春先の重い雪の方が木にとっては怖いようだ。台風の時には細い枝がたくさん折れていたが、今は随分太い木が何本も倒れている。邪魔になる枝を道の端に片付けてみるが、ちょっと太いのは重い。山道を整備するのも大変な仕事だと、今更ながらに思う。
さて、あとどのくらいで雪が解けて春の花が咲き出すだろう。地附山の春を待っているのは私たちだけでなく、大地の下で蕾を膨らませている春の花たちもきっと首を長くして春の日差しを待っているだろう。