今年はうるうどし、ほぼ4年に一回の2月29日、久しぶりの地附山(ぢづきやま)に登った。しばらく地附山に登っていないが、空模様が落ち着かないことや、出かける用が重なったことや、あれこれ理由はあったけれど、地附山に足を踏み入れることにどこか躊躇する気持ちがあった。
駒弓神社からの登り始めにはうっすらと雪が積もっている。今年は真冬でも山道の雪が凍らなかったくらいだから、2月最後の今日の雪は凍っていない。ザクッ、ザクッと雪を踏みしめながら登る。踏まれた雪は割れて、落ち葉の色が多くなってくる。
午前中は用があり、私が出掛けているうちに夫がおにぎりを握ってくれた。そのおにぎりを持って昼に家を出てきた。パワーポイントか、山頂か、食べたいところで食べようと話しながら。
歩きながらふっと森の中に目がいく。山の中、森の中に目が泳ぐのは、山道のどこもかしこも思い出に満ちているから。いまにも「あれ〜、来てたの?」と言いながら現れそうな気がする。二月の半ばに逝ってしまったイケさん、きっとこの辺に遊んでいるんじゃないだろうか。地附山の主だもの。
何日も経ったというのに、思い出すたびに胸が苦しくなって息が詰まる。キノコのことも粘菌のことも「まだまだ知りたいことがある」と言いながら本のページをめくり、調べることを続けていたイケさん、病を知りながら山道整備の伐採にも力を注いでいたイケさん、早すぎるよね。悔しかったよね。
長く生きている間にはずいぶんたくさんの人を見送ってしまったが、見送る前にしばらくの時間があり私の中にどこか覚悟があってからだったかもしれない。強い悲しみを抱いたことはたくさんあるが、これほどの喪失感に襲われたのは初めてだ。物の本などに「胸が締め付けられる」とか「胸が張り裂けそう」とかあるのを読んではいたが、その痛みがこんなに強いとは知らなかった。
イケさんがもっともっと学びたかった自然の姿を、私もずっとずっと学び続けようとだけ、何度も何度も自分に言い聞かせている。
午後になって出掛けてきた山には誰もいない。足跡は残っているが、みんなもう降りたのだろう。山頂でおにぎりを食べることにしたが、ベンチには先客の雪が盛り上がっているので、今日は立ち食いだ。飯縄山を見ながら遅いお昼。 途中の会話は夫と二人なのに、つい三人いるかのような会話になっている。「森の中で聞いているでしょ、イケさん」と苦笑い。
山頂での記念撮影も写真付きで。今日はスマホの画面だから小さいね、次はもう少し大きいのを持って来るよと心の中で呟きながらパチリ。
帰り道、登山道に木が倒れていた。こういうのを見るとつい「イケさんに伝えなくちゃ」って言いたくなる。本当にすごい人だったんだ。
さらに一週間過ぎた。イケさんのお宅に行ってお参りし、愛車が寂しそうに停まっているのを見てきた。イケさん、これからは心の中だけで会話しよう。イケさんが大切に愛してきた娘さんだって気丈に元気にしているのに、たまたま出会った私たちがいつまでもぐずぐずしていては嫌だよね。
ちょうど今朝、逗子の友人からアシタバの葉が届いた。昨年イケさんが喜んでくれたアシタバ、今年は写真の前に飾ってから出かける。
さぁ、春が来るよ、忙しくなるぞ。花も虫も、キノコも粘菌も動き出すね。
でも今日の山には雪が多い。昨日降った雪が町に比べるとずいぶん積もっている。靴が潜って、足首に雪が被さる。湿っぽくて、すぐ溶ける雪だと思っていたのに、ちょっと標高が変わるだけでこんなに違うんだね。
山頂に着くと、毎日登るというヤマさんと、スーさんが立ち話をしている。目の前の飯縄山も今日は雲に隠れている。話しているうちに陽がさしてきたので、みんな笑顔になる。少しずつだけれど青空が広がってきた。
二人を見送って、山頂で記念撮影。イケさんの写真と一緒に。これからは心の中にいつも持っているからね〜と、語りかけながら。
途中の太い木に緑色の透ける羽を持ったとても小さな虫が止まっていた。体を見るとバッタのような形だけれど、羽は蜻蛉のような透ける広いもの、全長は1cmくらいか。こんな虫がいるんだ、早速イケさんからの宿題か。啓蟄の声を聞いた途端に森の虫が動き出したのか、さてさて怠けてはいられないぞ。