神奈川まで足を伸ばして帰る日、新幹線に乗る前に山道を歩いてこようと考えていた。久しぶりの鎌倉散策、懐かしい道、まだ歩いていない道、候補はたくさんあったが、あいにくの空模様。何はともあれ、北鎌倉駅に降りてみる。目の前に円覚寺、少し先には明月院、建長寺、鎌倉はどこもかしこも懐かしく、また観光名所だ。
円覚寺の前で案内地図を見ていたら、リュックを背負った男性が「今日は山ですか」と聞いてきた。男性の周りには数人の男女が同じような荷を持って立ち話をしている。次の電車で仲間が来るのを待っているようだ。年配の男性はこのグループを案内して鎌倉の花巡りをするとのことで、地図を指差しながら花情報を教えてくれた。
私たちは鎌倉アルプスと呼ばれるコースを久しぶりに歩こうかと思っていたが、あいにく雲が多い空模様なので、今日は花巡りにしようかと話した。雨もあたりそうな気配なので、海蔵寺の梅を見て源氏山に上がり、銭洗弁天に降りようと決めた。晴れるようなら気の向くまま足を伸ばせば良い。
北鎌倉あたりの寺には何度か訪れている。臨済宗大本山円覚寺、鎌倉五山一位に数えられる建長寺、紫陽花寺とも呼ばれる明月院など有名だ。線路の向こうの縁切り寺として知られている東慶寺は梅が綺麗だし、浄智寺の庭も、長寿寺のカエルさんも懐かしい。英勝寺、寿福寺と、昔歩いた寺は数えればきりがないけれど、今日は道から眺めて通ることにする。
線路沿いに歩いて亀ケ谷坂切り通しを歩く。長野では盛りのロウバイが、ここでは茶色く枯れている。それでもまだ小さな蕾も見えるから、花の季節は長いのだろう。
鎌倉は海に面した以外の三方は険しい山に囲まれているので、町に入る街道は切り通しが作られている。その一つ亀ケ谷坂を進むと、崖一面に赤いシダが生えていた。息子が小さい時に一人でルンルンと歩いていくのを追いかけたことを思い出す。
線路に突き当たると海蔵寺岩船地蔵があり、その先の低いトンネルで線路をくぐる。この辺りでやはり雨の粒が落ちてきた。傘をさそうか迷うほどの弱い雨だけれど、山歩きにも、花見にも有り難くない。
傘をさしたり閉じたりしながら海蔵寺に向かう。細い流れの淵には雨粒を受けたシダの葉が光っている。道の脇でお爺さんが体操をしている。散歩してきて、この気持ち良い空間で体を伸ばしてまた一回りというところか。
化粧坂への道を左に見て、まずはまっすぐ進む。鎌倉の寺は険しい崖の懐に抱かれたようなところが多い。海蔵寺も、高い崖の中にある。崖の下には鎌倉十井の一つに数えられる「底脱(そこぬけ)の井」がある。冷たい澄んだ水だ。
「3大名物」とか「七不思議」「10大〜〜」などと限られた名をつけられるとつい全部見たくなってしまうのが凡人のさが。鎌倉にも数を冠した名所がいくつかある。「十井」もそうだが、このうちのいくつかは個人の敷地内にあったり、寺の境内にあったりして非公開になっているそうだ。昔もいくつか見ているが、全部回った記憶がなかったのは正しかった。
海蔵寺で梅の香りをたっぷり楽しんでから少し戻り、化粧坂(けわいざか:仮粧坂とも書く)切り通しに進む。道の脇には紫陽花の木が続いている。今は枯れた色だが、初夏には綺麗なことだろう。雨に濡れた草の中にいくつかの花が咲き出している。見あげれば藪椿の赤が綺麗だ。
三方を山に囲まれた鎌倉は防衛に適した地形で、歴史に残る鎌倉幕府が置かれたところだ。ただ、山に囲まれて防衛上は有利でも、人や物の往来には不便だった。そこで何箇所かの稜線を切り開いて道を作ったが、この道を切り通しと呼ぶ。中でも有名な七つの切り通しは「鎌倉七切り通し」として知られているが、「鎌倉七口」とも呼ぶそうだ。
今回私たちは亀ケ谷坂、化粧坂と二つの切り通しを歩いたが、ここは国指定の史跡になっているそうだ。
化粧坂の岩場は歴史を感じさせるように足跡が削られ、雨に濡れて光っている。滑りやすいから注意しながら登る。崖の上から艶やかに光る常緑樹の葉がかぶさってくる。濃い緑、淡い緑、春の森は彩りが豊かだ。
登りつくとそこは源氏山公園の中央部。左に緩やかに登って山頂を目指す。いろいろな色の椿が咲いている。少し登ると広場になり、源頼朝さんがでんと座っている。あいにくのお天気なので、展望は望めない。
しばらく山頂広場を歩き回ってから中央部へ戻る。太いスダジイに目をうばわれる。大きなタブノキもある。あっちを見たり、こっちを見たり、そして足元の倒木にも目を向け、近いところしか見えなくても楽しみはあるさ・・・と、ちょっぴり負け惜しみ。
公園の中央部に戻って、ここから鎌倉方面へ下る。広場から北鎌倉の山並みが見える。鎌倉から逗子の方まで連なる鎌倉アルプスと呼ばれる山だ。晴れていればあそこを歩いていたかもしれないと、夫と顔を見合わせる。あそこも懐かしい道だ。
さぁ、今日は銭洗弁天へ寄って行こう。少し下ると、右に大きなトンネルが見えてくる。ここが銭洗弁天の入り口、立派な鳥居がある。
トンネルを潜って入っていく。ここまでくると観光地、人が多い。以前来た時は奥宮の銭洗水で五円玉を洗ったが、今回はお参りだけする。そうそう、ここの銭洗水は鎌倉五名水の一つだそう。崖に囲まれた境内は狭いが、水の流れがあり小さな滝があり、自然色豊かだ。
友人と訪れた昔、滝の前で撮った写真を見ると自然は変わらず、前に立つ自分が年を重ねたことが歴然としている。それもまた良きかな。
赤い欄干の橋の向こうに水神様が祀られている。水辺の梅の香りを楽しみ、甘酒をいただいて一服する。
幸い雨は小ぶりになっているが、止みそうにはないので、ここから駅に向かうことにする。以前訪ねたことを思い出しながら途中の佐助稲荷の前を通り過ぎ、鎌倉駅まで歩く。
鎌倉の端っこをちょっと歩いただけだけれど、思い出の中の自分たちにも会ったような面白い散歩だった。
また機会を見つけたら出かけてみよう。今度はどんな花に、どんな思い出に会えるかな。