寒の内なのに雨が降って積もった雪はみんな溶けてしまった。その後チラチラと落ちてくる雪が少し積もったのだろうか、下から見あげると山はわずかに白く化粧している。
久しぶりの青空、「300回、行きましょうか」おどけたように夫が言う。裏山と敬して呼んでいる地附山に登った回数が299回と数えたところ(1月19日)でしばらく山に行っていない。天候が悪かったせいもあるが、細々とした野暮用もあり、そしてどこか300回と数えるのが勿体無いような妙な気分もあったようだ。
今日は綺麗な青空、こんな日こそピッタリではないだろうか。
雨具はいらない。一応アイゼンはカバンに入れる。滑るかもしれないからと、ストックを持っていくことにする。駒弓神社への階段は半ば雪が溶けている。頭上にはたくさんの小鳥たちが囀っている。いつものシジュウカラたちではないようだ。カワラヒワかな。枝に止まって囀っている小鳥をよく見ると頭に冠をかぶり、茶色と黒の模様に白い線がくっきりと見える。これはアトリだ。
賑やかな鳥たちと分かれて山道を登る。わずかに積もった雪は踏まれたところだけが薄く凍るように固くなっているが、足を踏み込むとグサグサと割れる。割れた下には落ち葉が重なっていて地面は凍っていない。何度も言われるように地球は確実に温暖化傾向だ。
だが、昨夜は気温が下がったのだろうか、降った雪の量はわずかだがしっかり木の枝にしがみついている。枝に残った雪は森の姿を明るくしてくれる。残った葉や実にポコポコと乗っている雪は繭玉のようで可愛い。小さなネズミサシやソヨゴ、ヒイラギのような緑の木に雪が被っていると、小さな小さな樹氷のよう、白いオブジェだ。
太陽の熱が当たると木々の上に積もった雪が溶けて落ちてくる。大雪ではなかったので可愛らしくパラパラと落ちてくる。
パワーポイントまで上がると急に視界が開く。善光寺平の向こうの山は少し霞んでいるが、北に通せんぼをしているような高社山は白くなって大きく見える。この山が北にあるから長野市の雪は少ないと聞く。右にゆっくり目を移していくと、浅間山がぼんやり見えている。火口あたりには煙か、白くモクモク見えている。
霞んだ景色を眺めた後は一気に山頂へ。300回登頂だ。出がけに夫が書いた紙を広げ、まずは記念撮影。空は青いけれど、北の方には雲がある。一週間前に登った時には雲がかぶさっていて飯縄山も見えなかったが、今日は全容が見える。だが、山の上には暗い厚い雲が広がっているからどこかで雪が降っているかもしれない。黒姫山も妙高山も今日は見えない。
雪の山道を歩く人も少ない。誰もいない山頂を少し歩いてから下る。地附山にはいくつか散策コースがあるから、日によって違う道を歩いてみるのも楽しみだ。今日は南の空が明るいので、久しぶりに車両センターに停まっているJRの車両を見ていこうか。
メインルートから外れると、足跡はなくなる。いや、猪の親子らしい足跡、鹿の足跡、ノウサギの走っているような足跡・・・雪上は賑やかなのだが、人の靴跡はない。以前に誰かが歩いたような凹みは残っているが、新しい雪のあと数日は誰も歩いていないようだ。春になれば粘菌が動き始めそうな倒木も今は雪に埋もれている。風の通り道なのか、切り株が出ているところに粘菌ヌカホコリが見えていた。黄色い胞子を飛ばしている。近寄ってみたら、切り株には小さなツララができている。茶褐色のヌカホコリの胞子を取り込んでできたのか、ツララが黄色く染まっている。自然の造形には何気ない中にハッとするものがあって、いつも驚かされる。
あっちを見、こっちを見、雪の中に踏み込みしながらのんびり降っていく。誰にも会わない山道には小鳥の声が響いている。草木の影には動物たちがそっと隠れているのだろう。なかなか会えないけれど、この季節の足跡だけでなく、ところどころに残る糞も、転がっている食痕の残る木の実も、彼らの存在を教えてくれる。森の中に生きる彼らともう少し近くなれると嬉しいけれど、我が感性の鈍さにガックリしてしまう。だからと言って諦めはしない、ゆっくりのんびり行こう。
毎日と決めたわけでもなく、回数が増えることを目指すわけでもない。ただ自然の懐に入っていくことの嬉しさを求めてこれからも山に向かおう。その結果が・・・さて400回を数える日まで続くだろうか、人ごとのように何だかワクワクする。