旧鉱山の台地から米子大瀑布を見る・クリックで拡大
朝裏山を歩いて降りてきたらまだ10時、せっかくの青空、しかもこのあと一日予定がないからと米子瀑布まで足を伸ばしてみることにした。見覚えのある山道を奥へ入っていく。ところが長野は青空だったのに、道路が濡れている。周りには白いヴェールが立ち込めていて雲の中に入ったようだ。以前通行止めのため引き返したところを過ぎ、さらに登っていく。湿った落ち葉が積もった道は細くカーブが多い。かなり登ったところで補修工事の跡があった。綺麗に舗装されていて、おかげで奥へ入ることができる。
一回緩やかに下って、沢を越えて一気に登り返すとどうやら駐車場が近いらしい。ところが渋滞らしく一列に並んだ車が詰まっている。下からはゆっくり帰る車が登ってくるから順に前へ進むだろうと思うが全く動かない。車を降りて見に行くと前に並んだ車には人が乗っていない。みんなここへ駐車して山へ入ってしまったようだ。歩いてみると駐車場まではあとわずか、仕方がないので、私たちも山靴を履いて歩くことにした。
空は雲で覆われているけれど、雨は降ってこない。見事な紅葉の中、沢の淵を登り始める。駐車場がいっぱいになるだけあって、人が多い。狭い山道は大きな岩を縫っていくようだ。所々木の段が設けられているが、沢の水量が多いからか湿っていて滑りやすい。注意して登っていく。
最初に沢を渡るのは吊り橋、奥万橋。ここは一人ずつ渡るようにと書いてある。ゆっくり下の流れを見ながら渡る。
流れが洗う大きな岩は赤く染まっている。鉄分が多いのだろうか。上には昔硫黄などを採取する鉱山があったというが。さらにしばらく登ると大きな岩が斜めに立っている。雨宿岩と標識が出ている。修験者が雨を凌いだと言われているそうだが、頭の上に巨大な岩が覆い被さっているので、落ちてきそうだ。入ってみたけれど落ち着かない。さすがに修験者は肝が据わっていたのだろうか。
橋を渡ったり、沢を見下ろして写真を撮ったりしながら30分ほど登ると、不動滝が目の前に見えるところに着いた。見上げると落ち口は霞の中に溶けるようで、まるで天から水が降ってくるようだ。
しばらく滝を見上げたり、写真を撮ったりしてから米子不動尊奥の院へ向かう。来てみて初めて知ったのだが、この奥の院本宮は日本三大不動尊の一つに数えられているそうだ。並ぶ二つは千葉の成田不動尊と新潟の菅谷不動尊だという。不動尊を祀る由緒ある寺は多く、三大不動尊と言われるところも他になぜか、5〜6あるようだが・・・と思ったので首を傾げたが、納得する理由があった。平安時代に弘法大師空海が一本の欅の霊木から三躯の不動明王像を彫刻し、その三体を安置しているのが前記の不動尊なのだそうだ。あまり信仰心の篤くない私だが、そのいわれを聞いてなるほどと思った。
お参りもそこそこに私たちは権現滝の見える高台まで登る。滑りやすい急坂と何段も続く急な狭い階段を登っていくと紅葉の向こうに一直線に落ちる滝が見えてきた。狭い高台には権現滝ビュースポットと標識がある。少しずつ晴れてきたが、まだ空は霞んでいる。赤に黄色に染まった木々の向こうに一直線に落ちる滝の落ち口は霞の向こうに消えている。ここも天から落ちているようだ。
権現滝を眺めてから再び不動尊奥の院の前に戻る。お腹も空いたからおにぎりを食べよう。午後1時、ちょっと遅めのお昼だ。さて、この沢の向こうには硫黄を採取していた鉱山の跡がある。当時は1,500人ほどの人が住んでいたそうだ。そして鉱山跡の高台からは今見てきた二つの滝が同時に見えるらしい。そこには日本の滝100選の標柱も立っているとか。日本の滝100選の標柱は見なくても良いが、滝が落ちる崖の景色は見てみたい。
裏山を歩いた跡長い山道を運転してきた夫は疲れたと言う。夫が不動尊奥の院の前に建つカフェでコーヒーを飲んでいる間に、私は鉱山跡まで行ってくることにした。
不動尊から少し降って、二つの小さな橋で沢を渡る。沢の淵にはベンチがあって、紅葉と水の流れを眺められるようになっている。そこからわずかに登り返すと緩やかな林道になる。林道を登るとすぐ日本の滝100選の標柱が立っていた。振り返れば谷の向こうに垂直の岸壁が大きく広がっている。その真ん中に二本の帯のような水の流れ、さっき見てきた滝だ。