小さな、小さな粘菌の世界に魅せられた夫は、その美しい世界をなんとか写真に収めたいと、いろいろ工夫していた。しかし全体が1mmなどという世界は並の工夫ではなかなか撮影できない。なんと言っても手ぶれが怖い。いろいろ調べてカメラを多角的に固定できる三脚を購入した。粘菌が発生する場所は地面の近くや、倒木の裏などだから、這うような位置に固定できないと意味がない。
さて、早速そのお試しと行こうか。そういう時はやっぱりすぐ出かけられる裏山がいい。粘菌も多分見つかるだろう。
9月に入ってようやく雨も降った。カラカラに乾いていた山にも少しは湿り気があるだろう。キノコも出ただろうか。私にはキノコを見分けるのは難しいけれど、地面から顔を出したキノコを見つけるのは楽しい。たとえ、それが毒キノコであっても。木の実が色づいてくるのも楽しみだ。そろそろ木の実も実ってくるだろう。
今日は真っ直ぐ粘菌が見つかりそうなところへ向かう。私たちは勝手に「粘菌通り」と呼んでいる。やっぱりいたいた。お馴染みのマメホコリにキフシススホコリ、もう胞子を飛ばしてしまっているウツボホコリも。そんな中に、半透明のウツボホコリの未熟子実体を発見した夫は、早速新しい三脚を組み立てて撮影に挑戦。私は近くの木を見ながらウロウロ。
「あれ、やっぱりな」、どこかから声がする。「そんな所にいるのは・・・」、その声はイケさん。「何か見つかったの?」と笑いながらやってくる。
9月に入ってから二回地附山を歩いているが、イケさんとは久しぶり。とは言っても8月の終わり頃に会っている。ただこの人気の山には毎日登るのが楽しみという人が数人いるから、一週間会わないと久しぶりという感じなのだ。イケさんもほとんど毎日のように山へ入る一人なのだが、今日は珍しく山へ入るのが久しぶりなのだという。こう乾いていてはキノコも出ないと、寂しそう。でも雨が降ったでしょうと聞くと、このくらいの雨ではダメだという。あまりに夏場の乾燥が強かったので、もっとしっかり降ってくれないと地面の中まで浸透しないとか。言われてみれば、道の脇や森の斜面にはキノコの顔が見えない。倒木に出る小さなキノコや、サルノコシカケなどの成長の遅いものなどは見えるが、柄の先にカサを広げたようなキノコの姿はほとんど見当たらない。いつもの年ならあちらこちらに毒キノコや、食べても美味しくないキノコが並んでいるのに。そういうキノコたちがたくさん顔を出していると、美味しいキノコも出てくるのだそうだ。
私はキノコのことはわからないけれど、花も先端の蕾が縮れてうまく開かない姿が見られるから、やはり今年の乾燥、あるいは高温は異常なのだろう。
それでも恵の雨が降って生き物たちは生き生きしているようだ。センボンヤリの秋の花がスイスイ伸び始めていた。そのふわふわした糸のような実が雨に打たれて、ぺたりとくっつきあっているのが面白い。
夫の身長より高いオオイタドリの実はよく見るとハート型をしている。咲き出したタムラソウの筒状の花びらの先端はクルリクルリと丸くなっている。生き残るための工夫は花も虫もすごい。この形もただ可愛らしいからというのではないのだろう。
自然は不思議でいっぱいだ。昔仕事の先達が「不思議と言ってはいけません」と話しておられた。不思議と言ってしまうとそこで思考停止するからだそうだ。確かにそういう部分はあると思うが、自然の奥深い不思議を前にした時、その姿に畏怖を覚え、敬虔な感動にうたれることも事実だ。そこから新しい発見に向かって歩き出す力が生まれる。
裏山には松の木が多く、枯れた木にはツガサルノコシカケがたくさん顔を出しているが、その表面に真珠の粒を並べたような水滴らしいのがついていることがある。特に若いツガサルノコシカケの表面にはびっしりとついていることが多い。雨も降らないのに不思議だなぁと思っていた。これは水滴で、『分解水』とか『代謝水』と呼ばれるものらしい。
ツガサルノコシカケは成長しながら、木から有機物と水分を一緒に吸収しているが、キノコの中で飽和状態になった水分を体外に放出する。それが表面についている状態なのだそうだ。じわじわと放出するから水玉になるのだろう。光を反射してとても綺麗だ。
いろいろ自然の姿を観察しながら歩いていると草むらから虫が飛び出す。池さんはキノコ博士だが、森の虫にもとても詳しい。虫の動き方をよく知っていて、見つけた虫の写真を撮る。名前を知らない虫は写真に撮って調べるのだ。私たちもそれは同じ。花を撮るほどに集中しないけれど、チャンスがあれば撮影し、その名前や生態を調べる手掛かりにする。花は好きだけれど虫は嫌いという声を時々耳にするが、虫がいないと受粉できず絶えてしまう花もあるのだ。
そして虫がいないと小鳥の餌も無くなるから、鳥も鳴かない森になってしまうということ。命はみんな繋がっているのがなんだかすごいことに思える。
さて、虫を見つけたり、色づいてきた実をつまんだりしながら少しずつ登っていく。イケさんは最近、粘菌への興味も膨らんでいるそうだ。今年はキノコが少ないから寂しそうだが、「キノコはないけど、粘菌があるからいいか」と笑う。
そして、お互いに撮った写真を見せ合いながら話が弾む。
虫の写真よりも、花の写真よりも、粘菌の写真が圧倒的に多い。花も虫も、そしてキノコも、ネットで検索すればたくさんのデータが現れる。真否の判断は必要にしても、実にたくさんの人たちがその世界で遊んでいることがわかる。だが、粘菌はまだまだ知られていないらしく情報が少ない。夫は、「検索すると我が家のHPが出てきちゃう」と笑っている。
森の中に太い丸太が並んでいるところで腰を下ろして一休み。登山道の上に倒れかかっていたこの木を切り倒して整備したのはイケさんとその仲間だ。二人だけで作業していたのを見ているが、大変な労力だ。
イケさんと情報を交換しながら森の中を歩くうちに、少しずつ粘菌が近くなってきたような気がする。たった1日経っただけでも変化していることがある粘菌は、なかなか見たい姿を見せてくれない。夫もイケさんも未熟子実体を見たいと言っている。半透明に輝く姿は美しいのだが、変化が早いのでなかなか目にすることができない。気がつくと胞子を飛ばし始めている。7日に見つけた光る粘菌は、胞子を飛ばし始めてくすんだものもあったが、まだ光っている個体もあった。
のんびりたどり着いた山頂にはワレモコウが揺れていた。私も、幾つになっても「我もまた紅い」という気概を持っていきたいものだ。