肌寒い雨模様が続く。桜の季節に花冷えという言葉があったが、今年の桜はとうに散って葉桜だ。午後には出かけなくてはならないが、朝のうちに一走り水芭蕉を見に行ってこよう。友人が水芭蕉を見にくる予定だが、今年は花々の開花が予想以上に早いから、どこへ出かけたら良いのか迷ってしまう。小雨の中ではあるが濡れた水芭蕉も乙かもしれないと、朝の渋滞が始まる前に出かけた。
今日は我が家から最も近い『むれ水芭蕉園』の開花状況を見てこよう。
『むれ水芭蕉園』は飯縄山の麓に流れる沢沿いにある。県道を挟んで上流には水芭蕉、下流にはニリンソウが群生し、それぞれ花の時期には白と緑のドラマが開く。リュウキンカの明るい黄色も同時に咲き誇り、見事な彩りとなる。
小雨降る早朝は、小鳥の声が響くばかり、私たちの他には誰もいない。雨に濡れた木道は滑りやすいけれど、丁寧に整備されているので、気をつけてゆっくり歩けば心配はない。
さそうかさすまいか迷うほどの小雨ではあるけれど、傘をさして歩いていく。頭上でケラが木を突つくドラミングの音が響く。水芭蕉もリュウキンカも満開だ。ニリンソウも白い。日差しがないからか丸く閉じているけれど、すでに開花したものが多い。 「雨の中を歩く物好きはいないよねぇ」などと話しながら歩いているが、雨の日ならではの美しいものを見ることもできる。リュウキンカの花びら(実は萼片)が半透明になっている。水芭蕉の白い苞も同じ、後ろが透けてうっすらと見えるものもある。
スケルトンフラワーと呼ばれるサンカヨウが有名だが、雨に濡れて透明になる花は他にもあるのかもしれない。細胞の中にある隙間に光が散乱して白に見えているという、その花弁の細胞の隙間にしっとり雨粒が入り込んで光が入る余裕がなくなるかららしい。リュウキンカも半透明になっているところを見ると、他の色も光が色素を反射してより輝く色に見えていたのかもしれない。水が入ったことによってしっとりとした薄黄色の半透明になったのだろうか。
勝手な憶測はこの辺にしてあとは専門家に任せよう。理由はともかく儚げで美しい雨の日の花を見ることができたのは嬉しいことだ。 それにしてもやはり今年の開花は早い。
初めて訪ねたのは2016年の4月だった。20日だったが、花はまだ小さくこれからたくさん出てくる様子だった。駐車場は広かったが、停まっている車も無く、広い園内は小鳥と私たちだけだった。ニリンソウも見たいと5月に入ってから再び訪れたが、やはり静かな森の佇まいを楽しむことができた。
この静けさと水芭蕉の美しさを見せたいと、翌2017年やってきた友人を案内したら、観光バスが停まっていて驚いた。ツアーの人たちは次々とバスに乗るところだったので、私たちが園内に入る時にはバスは出発して行った。幸い静かになった森を楽しむことができたが、地元の人が出店を出していて、数台停まっていた車は遠方からのものも多かった。
静かだった前の年に比べると随分知られるようになったようだが、5月に入ってニリンソウが咲き出す頃にはまた静かな森に戻っていた。
水芭蕉の花は、白い大きな苞に抱かれるように立っている花序にたくさんの花が集まっている。小さなつぶつぶに見えるのは綺麗に並んだピラミッド型の突起で、その一つ一つが花なんだそうだ。突起の周りの4面に小さな花びらがあり、その中にまず雌しべだけが出る。そして次第に雄しべが出てくるそうだ。気をつけて見てみるが、訪れた時にはおおかた雄花が成長してしまっている。今度は雌花の時を見たいと思いながらも、気がつくと最盛期になっていて、花は花粉をつけた雄性期になっている。
また、歩いていると地面が赤く染まっているところがある。ここでは鉄バクテリアが活動しているそうだ。黒くなって一見油が浮いているようなところもあるが、これは汚れではない。ここにも水芭蕉は花を開き、茶色の大地と白い花のコントラストが面白い。
水芭蕉の群生地は湿原だから、水に強い花々が一緒に咲き出している。そんな花を見つけるのも楽しみの一つだ。春のひと時咲き出す花々だが、その年の雪の量や気温などによって変化する。これまでの数年と比較しても今年はやはりとても早いようだ。
山のお天気は町とは違う。朝晴れた空を見上げて急いでやってきてみると、数メートル先も見えないほどの濃霧に包まれたこともある。
水芭蕉、リュウキンカ、ニリンソウと少しずつ変化していく湿原の花々に会う。年々咲き出す時期が早くなってくるようだが、雪がとても多かった年は遅く咲いた。花には私たちにはわからないセンサーがあるのだろう。それでも何年か続けて訪れて気がつくことがある。水芭蕉の花は次第に沢を登って奥へ広がっているようだ。7年ほど前には駐車場の入り口周辺が白くなるほど咲いていたけれど、今ではほとんどリュウキンカとニリンソウになっている。そして、木道を辿って登っていくと、最も奥の木道あたりにはそれほど多くなかった水芭蕉が、今ではさらに奥まで遠く一面に花開いている。
ニリンソウ園の奥はヨシだろうか、大きな葉が侵食してきて湿原が乾いてきているようだ。時の移ろいと共に自然の姿も変わっていくことが自然なのだとは思うものの、一面にヨシの葉が茂ってくるのは寂しいとも思ってしまう。
帰りに飯綱町と長野市との境にある『丹霞郷(たんかきょう)』に寄った。桃畑が広がっているところで、桃のピンクの向こうに飯縄山、黒姫山、妙高山が見えるのが美しいと、桃の季節には人がたくさん訪れるそうだ。画家岡田三郎助(1869-1939)が「あか(丹)い霞がたなびくようだ」と言ったことからこの名がつけられたのだそうだ。
何年か前に来てみた時にはまだ花が咲く前で、寂しい景色だったが、今日は桃も満開だった。雨の日なら人もいないだろうと思ったのだが、それは正解だった。モモ色のヴェールの中を二人じめだ。ただ、当然ながら、山は見えない。厚い雲に隠されている。北信五岳はいつも見ているからいいよねと負け惜しみ。
時々足を運ぶ里山、髻山が桃の花の向こうに見えているので嬉しくなった。広い桃畑を散策するうちに雨が上がってわずかに青空が見えてきた。「ケンケーン」と、キジの鳴き声が響く中を私たちはゆっくり車に戻った。