例年正月になると『箱根駅伝』がお茶の間を賑わす。例に漏れず、我が家も息子一家が来るとテレビの前が賑やかになる。小学生の孫は陸上を始めたので、より興味深い様子だ。1日目のゴールは芦ノ湖のほとり、行ったことがあると嬉しそうだ。小涌園にも家族で泊まったことがあると、走る選手のバックに映る映像も楽しんでいる。
箱根の山に一緒に登ったことはなかったかなと、思いを巡らす。そうそう、まだ小さな息子を連れて駒ヶ岳に登ったことがある。「(君の)父ちゃんと一緒に登ったよ」と話すと、孫は「え〜」と疑わしそうに父親の顔を見る。今では中年太りで若い頃の面影はないからだろう、なんて言うと息子に怒られるかな。
その息子を連れて冠ヶ岳から駒ヶ岳を縦走したのは、息子が3歳になる数ヶ月前だった。3月の半ばの箱根山はまだ雪が残っていた。時々息子を背負い、動きたがったら歩かせて早雲山駅から駒ヶ岳まで雪の残る道を歩いた。下りはまだ運行していた駒ヶ岳ケーブル(2005年廃止)に乗った、懐かしい思い出だ。
同じ道を夫と歩いたのは、それから25年以上経っていた。息子を連れて登った時は冠ヶ岳を割愛したので、もう一度行ってみたかった。しかし2月の箱根は雪の量が多く、寒さがこたえた。
箱根登山鉄道で強羅駅まで登り、強羅からはケーブルカーで早雲山駅へ。ここから山道に入り、神山を経由して駒ヶ岳まで縦走する。鉄ちゃんの夫も楽しめる乗り鉄旅だ。
歩き始めると思ったより雪が多い。出かけたのが遅かったので、お腹がすいた。気持ち良い陽だまりを見つけて、まずは腹ごしらえをしてから歩こう。9時過ぎに家を出て、小田急線、箱根登山鉄道、箱根登山ケーブルを乗り継いできたから、歩き始めたのはもう12時過ぎていた。ポットのお茶とおにぎりが美味しい。
さて、腹ごしらえをしていよいよ雪道を登る。思っていたより雪の多い稜線をたどり、脇道に入って冠ヶ岳の頂を踏む。主稜線を歩いていると、ほんのちょっと先に飛び出しているように見えるけれど、寒かったり道が凍ったりしていると、ついこのちょっとの寄り道が億劫になるくらいのところにある。行ってみれば見晴らしが良いわけでもなく、最高点というわけでもないここへ行きたいのは、ピークハンターくらいだろうか。
しかしこの冠ヶ岳は箱根の噴火でできた最後のピークらしいから、寄ってみるのもいいではないか。
2006年に私たちが歩いた箱根登山道は、2015年の大涌谷噴火で入山規制が敷かれ、警戒レベルは変化しながらも現在(2023年)まで通行止めが続いている。箱根火山の噴火は有史初めてのことという。冠ヶ岳が誕生したのが約3000年前と言われ、その後噴火の記録はないのだそうだ。
冠ヶ岳から戻って、次は神山へ登る。この山域の最高峰だ。ここへは息子と来た時にも登っている。一段と雪が多くなり、急坂は凍りついてキラキラ光っている。林の中に入ると隠れるが、道道富士山が綺麗に見えるのが嬉しい。
「箱根の山は 天下の嶮(けん)函谷關(かんこくかん)もものならず」という歌詞で始まる『箱根八里』は、いつ習ったのだったか。小学校の音楽の時間だったかもしれない。現代の子どもたちが口ずさんでいるかどうかは知らないが、私たちの世代の多くはこの歌を知っている。最後までの歌詞を歌えるかと問われれば首をかしげるが、この歌の背後には深山幽谷をバックに一人の剛毅な武士が立つ姿が浮かび上がってくる。小さい頃に作られたイメージはすごい。いまだに色褪せない。
雪は多いけれど、2月半ばの立春すぎ、日が当たる南面は木の芽が春の準備を始めている。緩やかな鞍部を通って最後の駒ヶ岳を目指す。右は防ヶ沢、左は早雲山へと分ける十字路を直進する。
駒ヶ岳山頂に到着15時40分。駒ヶ岳山頂には木がないから、風が直接吹きつける。ゆるく腰に巻いていたコートを飛ばされそうになった。ゴロゴロする岩の連なり、火山らしい山頂から富士山が見える。
気持ち良い広々した山頂だが、風が強いので早々に降ることにした。駒ヶ岳ロープウェイで芦ノ湖畔に降り、バスで箱根湯本駅へ。やってきた小田急線ロマンスカーはグッドデザイン賞に輝いたという新型VSEだったので大喜び。
家に帰り着いたのは8時半、暗くなっていた。