夏の初め頃に、もう一度乗鞍岳に行きたいと何度か話していた。野暮用が重なり思うようにプランが立てられなくて、今年(2022年)は見送った。
もう20年以上前のことになるか、夫が長年抱えていた懸案事項に解決の目処がたち、リラックスできたというので3000メートル級の山に挑戦することにした。まだ山歩きの経験がほとんどなかった夫だけれど、乗鞍岳には夏スキーで訪れたことがあるそうだ。そして当時は自家用車で山頂肩の畳平まで登ることができた。2013年にマイカー規制が敷かれ、現在では長野県側の乗鞍エコーライン、岐阜県側の乗鞍スカイラインともにシャトルバス乗り換えが必要だ。
私たちは乗鞍高原からエコーラインを登って行ったが、畳平に近づくと大渋滞になり、車はノロノロと進むことになった。愛車で山頂近くまで行けることは便利ではあるが、自然破壊をしているだろうという良心の呵責を感じていたので、マイカー規制は仕方がないことだと思える。
とは言うものの、あの時夫は足の怪我が治りきっていなかったこともあり、山頂往復がやっとだったので、畳平まで愛車で行けたのはありがたかった。今思うと、よく剣ヶ峰まで往復できものだと感心する。稜線下のお花畑散策は諦めたけれど、時々足を休め、筋をゆっくり伸ばしながらも3026mの山頂に立つことができた。やっぱり若かったのかな。
乗鞍岳はコニーデ型の死火山、北アルプスの南に位置する広大な山域だ。最高峰の剣ヶ峰を中心に23もの峰と、7つの湖をかかえている。長野と岐阜の境に聳えるので、エコーライン、スカイラインという車が通れる道ばかりではなく、幾つものトレッキングコースがある。
ジリジリしながら車を進めていたが、途中の雄大な景色を楽しむこともできた。標高が上がってくると、道の脇には大きな雪渓が現れる。夫は夏スキーをしにここまで登ってきたそうだ。ずいぶん若い頃、スキー目当てにやってきたけれど、大雨で道路が不通になってしまったこともあるそうだ。麓の宿で何日か籠っていたそうだが、仲間たちと過ごす高原の日々は雨でもまた楽しかったのではないだろうか。
乗鞍高原の雪渓は夏スキーでも有名だが、ガリガリの氷斜面で怖かったそうだ。転ぶとそのまま滑っていきそうだ。私にはとても無理だ。
その後数年経って、麓の乗鞍高原スキー場で滑ったことがあるが、こちらはパウダースノーで気持ち良いゲレンデだった。滑ってくると、途中に道路標識があって、「あぁ、ここは夏には道路になるんだね」などと話した。夏の林道が冬にはゲレンデになるところは多い。林間コースなどと呼ばれている。緩やかな傾斜だけれど、幅が狭いので案外難しいところもある。
ようやく畳平2072mに車を停める。さぁいよいよ3000m級の稜線だ。周囲には魅力的な峰々が連なっているが、私たちはまっすぐ剣ヶ峰を目指す。
雲は多めだが動いているので、その隙間から北アルプスが遠くまで見える。ハイマツが海のように広がっている。その上を飛んでいるのはイワヒバリ。写真は上手く撮れないけれど、イワヒバリと一緒に山歩きをしているなんて素敵だ。
道が険しくなってくると、夫の足にはちょっと堪えるようだ。時々岩の上に腰を下ろして休む。休みながらなら、なんとか登ることができるようだ。岩山なので華やかな丈高いお花畑はないが、岩にしがみつくようにして高山の花が咲いている。その隙間に腰を下ろして休むのもまた3000メートルの稜線をいく醍醐味かもしれない。1箇所だけ、コマクサが咲いていた。数輪しか見ることができなかったが、岩場にピッタリの貫禄だ。
進むにつれて岩がゴロゴロしている急な山道になる。足が元気なら、面白いところなのだが、一応気をつけてゆっくり登る。遠く山並みが見えると元気が出る。急な岩の斜面の向こうに青い山脈が低く見える。標高3026メートルの山頂が近いのだろう。気持ちが逸るが、ここが肝心と一歩ずつしっかり歩く。
頑張って、ついに山頂に到着。頑張って登ってきた人が多い。山頂はそれほど広くはないので、みんないっとき見晴らしを楽しんで降り始める。
山頂には小さな乗鞍本宮が立っている。登山最盛期だからか、神主さんがいてお札やお土産品などを販売している。私たちも登頂記念の絵地図やお札をもらった。
思い出したように雲が湧くけれど、その隙間から遠く穂高連峰が見える。上高地から直登する岳沢だろうか、まっすぐ立った沢の上の稜線は霧でけむっている。
広く青く幾重にも重なった山並みは美しい。いつまででも眺めていたいくらいだ。しばらく眺めてから降ろう。登りより、降りの方が足に負担がかかる。気をつけて行こうと話しながら歩く。
岩の斜面を一歩一歩確かめながら歩く。夫は右足を庇いながら歩いている。降りでは体重がかかるので辛いかもしれない。時間はたっぷりあるので、時々休憩する。風景を眺めながらだから、休憩も楽しい。
降りてくると、ハイマツ帯になり、高山植物が咲くようになってくる。花を楽しみながら降ると、下に東大宇宙線観測所が見えてきた。東京大学宇宙線研究所の附属施設という乗鞍観測所では銀河系・太陽惑星空間における宇宙線変動と磁場や太陽活動に関連した研究、太陽中性子に関連する研究、雷雲による宇宙線加速の研究等の最先端の宇宙線研究などが行われているそうだ。難しくて実際はわからないのだが、なんとなく興味を惹かれる内容だ。目に見えない宇宙線をどんなふうにして研究するのだろう。
足元には小さな花が咲いている。標高が高いからか、チングルマ、コイワカガミなどの小さな花々の色が鮮やかだ。キバナシャクナゲの向こうにコバイケイソウが立っているが、標高が高いからか、風が強いからか、高原で見るより丈が低くて可愛らしい。
思いをあちこちに飛ばしながら、さらに降って畳平に到着、ホッとする。
愛車に乗って帰ろう。
帰り道に雪渓の上を歩いてみた。登頂を果たしたので、気持ちが緩んでいる。雪玉を作って遊ぶ。真夏とはいえ、雪渓の上は空気が冷たい。少しだけ遊んで帰ることにする。
乗鞍高原温泉の真っ白な湯で筋肉をほぐし、新島々からは松本電鉄線と並行して走る。電車を見たら、ようやく街に降りてきたという気分になった。