いよいよ冷えてきた。冬到来か。雲が覆い被さった空模様が続いている。いくつか用が重なって裏山歩きもご無沙汰している。
今年は花に粘菌にと気持ちが揺さぶられ、頻繁に山歩きをしてきたが、花も姿を消し、粘菌もどうやら冬はお休みするらしいと聞き、急に「山へ行こう気分」がしょぼんとなってしまったようだ。
とは言うものの、山の魅力は単に「花」「粘菌」などと括られるようなものではない。ちょっぴりお天気に合わせて一休みというところか。
その証拠に、ちょっと青空が見えるともう「どこへ行こうか」と言っている。
空模様がはっきりしないので、近場でやっぱり粘菌を探してこようということになった。「来春の雪解け時の下見さ」などと呟きながらも、気分はしっかり探索に向かっている。
春には花を探しに何回も訪れた髻山の北の駐車場に車を停める。志賀方面の山を黒い雲が覆っている。あそこは雪が降っているね、きっと。そろそろスキーシーズンだからね。
靴を履き替えて、りんご畑の真ん中を歩き出す。見事なサンふじ(りんご)がぶら下がっている。畑では収穫作業が行われ、りんご農家の人たちは忙しそうだ。
美味しそうなりんごを横目で見ながら山道に入っていく。ため池にはガマの穂がみっしり茂っている。さらに大きな穂はヨシだろうか。背が高く立派だ。
山道に入る頃に白いものがチラリホラリと漂うようになった。雪だ。初雪だ。雪は思い出したように舞っては消え、どこかから残り雪が風に運ばれてきたようだ。
髻山の登山道脇の斜面は倒木がたくさん重なっていて、苔むしている。「美味しそうだね」「きっと粘菌もいるよね」と顔を見合わせながら進む。二人とも、今は粘菌の活動時期には遅いと思い込んでいる。そして見つけるのはキノコばかり。いや、きっとキノコだろうと思われるもの、もしかしたら苔やカビかもしれない。
森の中にはあまりにもたくさんの命が息づいていて、その密度の濃さに圧倒されるようだ。次から次へとキノコらしいものが目に入ってくるが、名前がわかるものがほとんどない。
稀に名前がわかるものがあると嬉しくなる。杉の枝から細いキノコが出ていた。透けるように光っているのが可愛らしいと思ったら、このキノコはスギエダタケという、姿そのままの名前だった。近くにはツチグリが転がっている。でもこのツチグリ、ヒダが一枚くっついているような?これはなんとエリマキツチグリというのだそうだ。まさしくエリマキしているね。
でも、昔しゃぶった砂糖衣のついた飴玉みたいなのは、キノコなのか粘菌なのかすらわからない。
私たちはいろいろなものを見つけては首を傾げ、写真を撮り、「なんだなんだ」と言いながら歩いていく。
雨模様の日が続いたので、登山道はかなりぬかるんでいる。滑らないように気をつけながら歩く。花の季節は終わったと言いながらも、小さなイヌトウバナがまだ開いているのを見つけると嬉しくなってしゃがみこみ挨拶をする。マムシグサは真っ赤な実が重いのだろう、倒れてしまっている。葉が枯れてもしばらくは立っているのだが、さすがにもう茎も力尽きたのだろう。
近くには真珠のように輝いているスズメウリ、これも最後の一個らしい。
一つ一つの出会いに挨拶しながら、山頂を目指す。また雪がちらついてきた。山城だった山頂は広々している。志賀方面の山が下半分だけ見えている。山頂部を覆っていた雲が広がりながら近づいているようだ。
今日はまっすぐ帰ろうか。あちらこちらと山の中を分け入ってみるのも楽しいが、お天気が崩れてしまっては楽しさが半減する。
山頂のマユミが見事に実をつけている。その下の四阿でおやつを食べてから降り始める。
滑らないように気をつけながら、それでもやはり倒木の影を覗きながら歩く。綺麗な黄色のビョウタケが目に入った。近づいてみるがあまりに小さい。その隣の凹みに白いものが光っている。とても小さいけれど、何かの芽吹きかな。「これ、何だろう」と夫を呼ぶと目が輝いた。「これは粘菌だ。未熟子実体だ」と言う。小さなライトをぶら下げたような形のそれは確かに図鑑で見た粘菌に似ている。名前はまだわからない。
これで目的が達せられたと大喜びの夫、その後の足取りが一気に軽くなったのは言うまでもない。そして、近いうちにまた「変化した姿を見に行こう」と言うのだろう。