コロナ禍になってから長野に引っ越しをする以前の友人たちと会う機会が減った。コロナは第6波、7波と繰り返し、今度は8波がくるそうだが、対応策も広がったからか、比較的動きがおおらかになってきた。
そんな状況を受けて関東からやってきた友人と、戸隠へ出かけた。
残念ながら戸隠の紅葉はすでに終盤、地面に降り積もった落ち葉が赤く山肌を染めているのが美しい。
14日は奥社までお参りしようという計画だった。この日同行したのは山歩きの経験はあまり無いという友人夫妻だったので、奥社への杉並木や随神門に感動しながらゆっくり歩いた。あいにくの雨模様だったが、傘の助けはあまり必要ない程度の小雨。薄陽が差したり、思い出したように雨粒が落ちてきたりだったので、風景も楽しみながら歩くことができた。
そして見上げる杉並木には薄くもやが漂い、幻想的な風景となった。このどこか厳粛な空気は奥社の周辺まで濃く広がり、あまり信心深くない私たちも心が洗われるような清々しさを感じた。
以前から「戸隠に行きたい」と言っていた友人は嬉しそうだ。いつもは自分たちだけで歩いているが、たまに頷き会える友人と歩くのもいいなと思う散策だった。
帰りは大谷地湿原に立ち寄った。飯縄山は雲の向こうに隠れていたが、湿原周辺のカラマツが赤く染まり、その幻想的な風景もまた見惚れる美しさだった。
一週間経って、やってきた友人は近年山歩きを始めたという。長野の山を一緒に歩こうと楽しみにしていた。
しかし11月も後半になると、近隣の標高が高い山は一気に冬支度になる。友人は神奈川の太平洋岸の山歩きをしているそうだが、まだ長い急斜面や岩の道はあまり歩いていないそうだ。自然の中を歩くのが好きというから、広い山麓の散策もいいだろう。
どこへ行こうかと迷った末に、鏡池までの散策に決めた。森林植物園の「八十二森のまなびや」は11月23日に閉館する。春までのお休みだ。この後は長い冬籠りに入るのだ。
お世話になった「まなびや」の方にお礼を言ってから歩き始めた。
友人は、春雪が残っている時にみどりが池を訪ねた時のことを思い出し、「このベンチでおやつを食べた」とか、「ここは雪の上を歩いた」とか懐かしそうに話す。今度は花が豊かな時においでよと、ほとんど人に会わない森の中ではおしゃべりの声も賑やかだ。
最近夫がハマっている「粘菌」を我が家のホームページで見ている友人は、本物を見てみたいと言う。私たちはゆっくり森の中を歩きながら周辺の倒木に目を向ける。夏の間賑やかに咲いていた花々は実をつけ、いや、すでにその実も運ばれ、食べられ、姿を消している。実を守っていた殻が風に揺れている。木の実も残っているのは少ないが、時々華やかに目を楽しませてくれる。
さて、粘菌探しはなかなか難しい。もう冬支度の森、粘菌が活動するには寒すぎるのだろうか。苔、キノコ、そしてカビか地衣類か、なかなか特定できない小さな生き物がたくさんいることはよく分かった。けれど、ついにマメホコリすら見つけられなかった。粘菌の中では比較的大きく、形も可愛らしいマメホコリは見つけやすいのだが・・。がっかりする友人に「粘菌探しは次の楽しみにして、今日は雄大な景色を楽しもう」と慰め、先へ進む。
いつもの道を、媼と翁にあいさつし、天命稲荷の鳥居を見て行く。小川を渡って急な道を登ると大きく戸隠が聳える。あいにくの雲が頂あたりを隠しているが、ゴツゴツした岩肌は迫力を増して見える。
あいにくの波立っている鏡池をバックに3人並んで記念撮影をし、ほとりのどんぐりハウスでソバガレットをいただくことにした。この雄大な風景の中にもう少しいたくなったから。
ガレットを美味しくいただいて、もう一度戸隠山を見上げてから戻ろう。口では「帰りはさっさと帰りましょう」などと言いながら、やっぱり倒木の影をのぞいたり、森の奥を伺ったり、小さな生き物に出会うのが面白くて時々足が止まってしまう。森の中に木の皮が剥がされたようになっているところが数箇所あったが、これは鹿さんが食べたのだろうか。戸隠にも鹿が来るのかなと首を傾げながら、熊さんじゃ無いよねと顔を見合わせる。
途中から木道がなくなった湿地を辿って高台園地に向かう。この素敵な森にもう一度木道が整備されますようにと願いながら。
車に戻ったけれど、さっと家に帰ってしまうのが惜しいような気がして、途中の大谷地湿原に寄ってみる。一週間前に比べるとカラマツの赤い色が薄くなっている。確実に冬は近づいているようだ。