須坂市の小さな書店で粘菌の図鑑を見つけてからますますその微小菌類の世界に魅せられている夫は、さらにもう一冊粘菌図鑑を見つけて購入しニコニコしている。先にぐっすり眠り込んでいる夫の枕元を覗くと、2冊の図鑑を頬の下にしてぐっすり寝ていることもある。さぞかしいい夢を見ていることだろう。
私はと言えば、自然の奥深い世界を感じさせてくれる粘菌にも魅力を感じているが、花の季節には花を見るだけで忙しい。だが、11月ともなれば多くの花は枯れ、それぞれの実が次の季節を待つくらいか。独特な形の実にはもちろん目を惹きつけられ、色づいた葉やこれから膨らんでくる冬芽にも魅力を感じるが、やはり寂しい季節の到来だ。勢い、夫と一緒に粘菌を探して喜ぶことになる。
長野市周辺の里山にたっぷり時間をかけて粘菌探しに出かけるようになった。大峰山、地附山はもちろん、葛山、旭山、茶臼山と回ってきた。そして次は松代の斎場山に行ってみよう。以前からブログで粘菌を紹介している人もあるから、期待できそうだ。
朝9時に家を出る。途中ちょっと混んでいたが、千曲川を渡って妻女山駐車場に車を停めたのは9時40分。ゆっくり靴を履き替えて歩き始める。だんだん晴れてくる予報だが、雲は低い。昨日の雨で道はかなり濡れている。
山は色づき始め、道の上には落ち葉が積もっている。陽の光が当たれば輝くだろう紅葉を見上げながら、ゆっくり登っていく。緑の苔に覆われた倒木にも粘菌は生きている。時々見かけるのはマメホコリ、粘菌の中では大きいので見つけやすい。
車も登れる林道を歩いて、まずは斎場山の山頂にご挨拶。別名妻女山、何回か名前が変わったとも聞く、古墳だ。丸くぽっこり盛り上がっている。木々が茂っているので見晴らしはあまり良くないが、この山の山頂の盛り上がりを飾るように、中腹にヤマコウバシの林が続き、冬の山の裳裾となってくれる。今はまだ緑を残しているが、春まで残る赤茶色の葉の漣は嬉しい。
さて、山道をゆっくり登ってみようか。今日の目的は粘菌、斎場山に挨拶したから、あとは森の中を気ままに登るだけ。
倒木の重なりの影に早速ポツポツを見つけた。今日は定規を持ってきたから当ててみよう。1cmの間に何個ものポツポツが見えている。マクロに設定して一番近づいても、こんなに小さくてはピントぴったりに写せない。定規が裏返しだったのはお笑いだが、一緒に撮影してみた。この小さなポツポツはクモノスホコリというらしい。
二人で撮ってきた写真を図鑑と見比べながら特定するのは夫、いつも首を傾げながら唸っている。微小な世界、そのうえ変形していく生き物、まだまだ分からないことだらけという。多分これかなと思っても、ソックリさんがたくさんいるというから、いつも「違うかもしれない」と心に刻みながら見ている。
ちょっと大きい白いお饅頭のようなものを見つけた。サルノコシカケかと思って触って見たら柔らかい。饅頭の裾野に白い菌糸のようなものが見えるから、これはマンジュウドロホコリだろう。黒い木くずのようなものが散らばっていたので払おうと思ったが、取れないのでそのまま撮影した。家に帰って写真を拡大して見たらこれは虫のようだ。体長1mmくらいの小さな虫、触覚らしいものも足らしいものも微かに見える。粘菌を食べる虫はあまりいないそうだが、この虫は粘菌を食べるのだろうか。
ゆっくり粘菌を見つけながら歩いていると、森の中で時が止まったような錯覚になる。立ち止まりしゃがみ込み、首を捻り、あっちに回りこっちから覗き、一つの被写体に一体どれくらい時間をかけているだろう。それでも満足にピントがあった試しがない。この小さな世界はなかなか手強いのだ。ただ、そういう時間が楽しいから何度でも歩きたくなってくる。
ようやく陣場平にやってきた。春にはバイモの群落がそよぐところだが、今はミズヒキやヌスビトハギの枯れ草に覆われている。うっかり歩くとズボン一面に草の実がついてくる。
この陣場平にある丸太のベンチに腰掛けておにぎりを食べようか。晴れてくるという予報はなかなか実現しない。たまにポツリと滴が落ちる。それでも雲の様子を見れば厚く重なった綿が少しずつ剥がされていくようだ。向こうの青が透けてくるような感じがあるから、雨にはならないだろう。
粘菌をさがして歩いていると、森の中の小さな形に目を惹かれる。粘菌か、いや違うみたいだ。菌類も昆虫類も、人間の知恵が及ばない部分が膨大だと聞く。
これからも、いくらでも学びながら楽しむことができるではないか、二人で顔を見合わせてニヤリと笑う。