アメリカの友人から時々思い出したように手紙がくる。読みにくい英語の手紙には頭が痛くなるのだが、文字の隙間に彼女の笑顔や太い声が隠れていて、彼女が日本にいる時に一緒に過ごした時間の豊かさを思い出すことになる。彼女は英語、私は日本語で頓珍漢な会話ばかりしていたけれど、なぜかとても豊かに通じ合えていた。
その彼女がいつも「素晴らしいところよ」と話していたのは、山梨の石和温泉、そして昇仙峡。彼女の知人が時々連れて行ってくれたそうで、素敵なところだと聞かされた。わたしたちが行ったことがないと言うと、「近いのにどうして行かないの?」と不思議そうな顔をしていたのを思い出す。
8月も終わろうという頃になんとか休みが取れたので、出かけることにした。泊まりは難しかったのでその時は石和温泉には行かず、昇仙峡を歩いてみることにした。そしてせっかく行くのだから弥三郎岳の頂を踏んでこようと思って出かけた。
三浦半島の家を出たのは朝6時半、中央自動車道を走り、甲府昭和インターで降りる。観光地らしく昇仙峡まで車の道は続いている。甲府からは30分もかからない。
渓谷美を期待して、遊歩道を歩く。見上げれば直立した岩肌が白く、雨風に削られてできただろうさまざまな形にそそり立っている。岩の裾を飾るように揺れる木々の緑と、白波を立てて流れる渓流が目に涼しい。
渓谷の脇の遊歩道を歩いて仙娥滝を目指す。名所らしいけれど、あまり人に会わないのがいい。日差しが強く眩しい光の向こうに滝は流れ落ちている。光を反射して水が踊っているようだ。
ここからロープウェイに乗る。そう、弥三郎岳に登るにはロープウェイが利用できるのだ。『昇仙峡ロープウェイ』、仙娥滝からパノラマ台まで一気に登る。
山頂駅には羅漢寺山の標識が立っている。当時撮った写真には富士フィルムのマークがついたベンチが写っていて懐かしい。当時の写真はフィルムで撮っていたから、つい枚数が少なくなってしまう。貴重なフィルムを無駄遣いするわけにはいかないので、ピントが合わせにくい花の写真は少ない。今思えば残念なことをした。メモには花の名前も書いてあるのだけれど・・・。
さて、『羅漢寺山1058m』と書いてあるロープウェイの山頂駅から矢印に従って弥三郎岳を目指す。稜線のそぞろ歩きだろうと思っていたが、それは大きな間違いだった。
奇岩重なる昇仙峡の岩山のてっぺんに登るのだから、考えてみれば分かりそうなのだが、実際に歩いてみないと分からないことは多い。岩の重なる道をよじ登ったり、落ちたり、途中からはどこが道だろうと思うような古木の曲がりくねった枝の隙間を潜っていく。 そして到着したところはダルマさんの頭の上のような、緩やかに弧を描いた岩の上。もちろん頭の上には手すりなどない。私たちは、まるで磨いたかのような綺麗な円の上に立っている。360度の見晴らしがあるはずだけれど、あいにく遠くは霞んでいて残念だ。 端の方に行ってみると三角点が立っている。この岩の上にどうやって立てたのかな。
弥三郎岳は別の名を羅漢寺山というらしい。標高1058m。まさしく花崗岩だよなぁという感じの白い岩が見事に磨かれて達磨の頭になっている。晴れているからいいけれど、雨が降ってきたら怖いよ。手がかりも足がかりも何もない。
でも、なんだか面白くていい感じ。誰も来ないし。富士山も見えるらしいけれど、そんなことはどうでもいいという気分になる。周りに何もない空間に立つことがこんなに清々しいとは知らなかった。
しばらく達磨の頭を楽しんでから降る。渓流のほとりにあったお店で食事をしよう。夫はイワナの塩焼き、私はお蕎麦を食べて満腹に。
帰る前に『影絵の森美術館』に寄ってみた。光を自由に演出して描く世界は幻想的で美しい。影絵の世界を楽しんで、ついお土産に「影絵せんべい」を買ってしまった。
帰り道は比較的順調だった。中央自動車道から国道16号線に入り、三浦半島の家に帰り着いたのは夕方7時過ぎだった。
昇仙峡の美しさはともかく、弥三郎岳のまん丸い山頂は忘れられない。自然の作り出す芸術のようだった。