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森のシンフォニー 三登山 923m 髻山 744m(長野県)

2020年4月16日(金)


map:三登山  髻山

「今日は1日晴れるそうだよ」夫が言う。「裏山を歩いてこようか、どこがいいかな」。少し足を伸ばして「三登山(みとやま)に行こうよ」と言ったのは私。先日(4月6日)髻(もとどり)山に登ったら、カタクリは3分咲きだった。暖冬で開花が早いと言われる今年、4月初旬の髻山はもう満開かと思って行ったのだが・・・。しかしあれから十日も経ったから、お隣の三登山にもカタクリをはじめ、早春の花が咲いているのではないかと思ったのだ。ところが、自然の摂理というのはちっぽけな私如きには予測困難なことを思い知らされた。


三登山への登りから見た髻山

初めて三登山の懐に足を踏み入れたのは2016年4月23日、髻山に登ったあと行けるところまで行ってみようかと足を伸ばした(※1)。その時、髻山のカタクリはほとんど終わっていたが、三登山へのコース途中、数輪のカタクリが咲いていた。その後、坂中峠から三登山を歩いたのは、雪の道だった(※2)。

(※1 山歩き・花の旅3 髻山)

(※2 山歩き・花の旅17 三登山)

長野の北『吉』の駐車場に車を停める。この駐車場は10台ほどのスペースがあるが、けさは我が家の1台だけ。8時半、足元を整えて歩き出す。リンゴ畑で作業している農家の人がいる。畑の脇を通って登り出す。すぐ杉林になるのだが、山は荒れている感じだ。害虫による松の被害が大きいというのは話題になっているが、杉も元気がないような気がする。大きな木がたくさん伐採されたり倒れたりしている、明るくなった斜面を道は登っていく。タチツボスミレらしい薄紫の花が塊になって揺れていて、荒れた道を行く目を楽しませてくれる。忘れ去られた昔の畑の脇を通り、ため池を越えていく。先日登った時は、湿地の流れをのぞき込んで小さなセリを摘んでいる婦人たちに会ったけれど、今日は誰にも会わない。


晴れるという予報は外れたか、空はグレー一色、冷たい風が強い。

しばらく登ると上杉謙信由来の観音清水に着く。髻山はもともと城の跡、上杉謙信が井戸を掘らせたけれど、たくさんの兵を養うほどの水が湧かなかったので、守り本尊の黄金の千手観音を井戸に投じて祈願したら、こんこんと湧き出したという。日本全国このようなお話はたくさんあると思うが、ここ長野では謙信と信玄の戦いの跡らしい話がたくさん残っているようだ。


森は冬景色

さて、そこを越えればすぐ八方峠への分岐。わずかな下りで林道に出る。林道を横切ると気持ちの良い森の中の道。しかし汗っかきの夫は、冷たい風に当てられて寒いと、ここでシャツを着替える。

林道から八方峠までの道は緩やかな歩きやすい道、途中には北側の展望も開けて気持ち良い場所がある。だが、今日は雲が低く、遠くの山は見えない。麓の飯綱町の向こうに聳える斑尾山も、中腹までしか見えない。森を進んで、谷の向こうに目指す三登山が姿を表したが、これまた山頂は雲の中。おまけに「なんだか滴があたる」と、夫が言う。滴も選んでいるのか、私には当たらないけれど・・・。


ネコノメソウ

八方峠に到着。峠とは言うけれど、急な沢まで降りて登り返す。沢のほとりにネコノメソウが咲き始めていた。小さな1〜2ミリの花の中を覗き込んで「おしべが4本だから、これはネコノメソウ」、やっと覚えた見分け法。まだ開いている花はほとんどないので、探し回って見つけた。小さな、小さなネコノメソウ属にはなぜか目を引かれる。見つけるとつい足を止めて花をのぞき込む私を、夫は諦め顔で待つ。


咲き始めたカタクリ

峠からの急な登りはわずかで、あとはとても丁寧に手入れされている歩きやすい登山道が続く。登ったり降りたりを繰り返すと、小広い鞍部に到着。どうやらカタクリの群生地らしく、独特な模様の葉がたくさん顔を出している。しかし、花はほとんど開いていない。よく見ると蕾がたくさん俯いているが、暗紅色で目立たない。ようやく開きかけたピンク色の花を一輪見つけた。奥の太い木の幹には『熊出没注意』の張り紙がある。


倒木がいっぱい

途中古い林道に飛び出し、また山道に入り、緩やかな稜線をしばらく登ると三登山の三角点に出る。森の中の広い稜線だが、風が強い。雲も多いので、疲れている夫はここから引き返そうと言うかと思ったら、「せっかくだから山頂まで行こう」と言う。三角点からは5分ほどで、三登山山頂の看板がある広場に到着。ここで持参のアンドーナツを食べようと楽しみにしていたのだが、寒い。記念写真だけ撮って、風を避けられるところまで下る。

三登山、髻山山頂にて


ありがたいことに、だんだん雲が流れて青空が多くなってきた。少し下った森の中の、倒木に腰掛けておやつタイム。アンドーナツやクラッカーを食べて元気回復。森が広いので、晴れて暖かければ居心地が良いだろうねと話しながら下りにかかる。


空は晴れてきたけれど、風はますます強くなる。東に向いて歩いているので、北風を受ける左の耳が痛い。この季節は、日替わりで体感温度が違う。ちょっと陽がさせば暑いくらいだし、今日のように風が強いと毛糸の帽子が欲しくなる。

森の中でおやつタイム

昨日裏山(大峰山、地附山)を歩いてきた時は、暑くて順番にジャンバーやトレーナーを脱いでしまったのだが、今日はしっかりジャンバーを着込んで手袋もしている。昨日と今日でこんなに違うのだから、山は油断ができない。


それでも帰り道は気持ちにゆとりがある。周囲の景色はまだ冬真っ盛りと言いたくなるけれど、それは間違い。一見茶枯れた世界だけれど、足元には緑の芽吹きがある。面白い形のヤブレガサが土を割って顔を出している。目の高さにはミヤマウグイスカグラのつつましい赤が揺れ、ダンコウバイの鮮やかな黄色、キブシの淡いクリーム色も頭上に広がっている。オクチョウジザクラはポツリポツリと白い花を道標のように咲かせている。

森には面白い形がいっぱい

オオバクロモジの蕾は今にも開きそうに、小さな丸を膨らませている。枯れかけている枝の先を少し折って香りを楽しむ。爽やかな木の匂いだ。枯れた枝でもこれほど匂いがするのだから、元気な枝はさぞかしいい匂いだろうと思うが、クロモジの枝はあまり密生していないので若枝を折るのは遠慮する。


冬の名残濃い山道を歩きながら、早い春の気配をさがして歩く。3月から4月にかけて気温の低い日が多いためか、春の訪れはゆっくりだけれど、暖かくなれば山の花は一斉に開きだすだろう。もちろんチョウやハチなどの昆虫も忙しくなる。珍しいサナギ(だと思う)を見つけたけれど、一体どんな昆虫だろう。網目の中にこげ茶の塊が眠っていて、長さは5、6センチもある。網目はゆりかごということだろうか。

粘菌がいっぱい

この季節は花もキノコも少ないけれど、倒れた木の影をのぞき込んでうれしそうにしているのは夫。粘菌の姿を見つけると「おっ、いましたね」と、元気な声が出る。太い木の幹を覆い尽くすような蝋状のものは粘菌だろうか、それとも樹液?


幸い雲はどんどん流されていき、青空が広がってきた。しかし、八方峠を越えて明るい森を歩きだすといよいよ風の音が強くなった。突然頭のすぐ上で「ギャーッ」と大きな音がする。誰の叫び声か、一瞬身が縮んだ。「ギーッ」「ギィーー」などと続いて音が響く。

あ、木が泣いている。倒れかかった木を受け止めている木が風で揺れている。

私は杉林の落ち葉を踏むとつい呟いてしまう言葉がある。毎度、毎度同じことをと思うが、つい言ってしまうのだ。それは「子どもの頃ここに来たら大喜びだったなぁ」という言葉。私は小さい頃、お風呂とご飯のお釜の火の番だった。焚き付けにだって余分な紙は使えない。杉っ葉はとてもよく燃えるので、焚き付けにすると楽だった。けれど、家の周辺にはそれほど杉の木はなかったので、遠くまで拾いに歩いたものだ。

足元に積み重なるように落ちている茶色い杉の落ち葉を見ると、人間と自然の関わりを思ってしまう。里山を大切にして、そこからの恵みをありがたく受け取って暮らしていた頃、山はもっと豊かだったのだろうか。

カタクリ満開

荒れるに任せた森の木々は風の音と共に大きな声を響かせている。「ピー」「ピョー」、「ギギギッギー」、そして「タン、カン、コン」・・・。笛の音も弦の音も、打楽器の音もちゃんとあるじゃない、森のシンフォニーだね。


髻山への分岐につくと「カタクリを見てこようか」と夫。一登りで斜面が紫に染まっているカタクリ群生地。さすがに十日前に比べるとここは満開だ。山頂までカタクリ群落は続く。広い山頂の四阿でゆっくりおやつタイム。

センボンヤリ

日差しが強くなってきたのはありがたいが、相変わらず風は強い。谷の木々が大きく揺れている。杉の梢は三角坊主みたいになって、それがくっついたり離れたり、楽しそう。 なんだか笑われているような気がしてきた。コロナウィウスの感染拡大で「2m以上近づいてはいけません」などという文字が踊っているけれど、医師も介護職もお母さんも、近づいてこそのお仕事、係りではないか。感謝の心を杉に教えてもらっているようだ。


髻山からの下りは森の奏でるシンフォニーに耳をすませながら、あっという間だった。朝は開いていなかったセンボンヤリの小さな純白の花が、足元に散らばるように咲いていて、なんだか森が拍手しているような気がした。




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