朝家を出るときは車の窓にポツリポツリと雨粒があたっていた。5時45分。長野インターから上信越自動車道に乗る頃には白いものが混ざり、次第に雪に変わってきた。空は雲に覆われ、「冬型だから大丈夫」と言う夫も少し心配そうになったが、トンネルを抜け群馬県に入ったら青空が広くなった。
目的地は南牧村の奥の山、三ツ岩岳1032m。大仁田ダムの下に駐車場があり、そこから沢を登って行く。2時間余りも車を走らせて出掛けた目的は、沢沿いのコガネネコノメソウ、そして山頂近くのヒカゲツツジ。
家を出て直行、長いドライブの後なので体を伸ばして、靴を履き替える。ダムの駐車場にはトイレもあり、登山口の看板も立派だ。7時50分、車は我が家の1台だけ。思ったより空気は冷えている。暖冬という冬を越して、春の声を聞いてから寒気が強くなった気がする。
ゴロゴロした岩の多い道を歩き始め、いくつかの堰堤を越える。細い丸太を4本括った丸太橋が渡してあるが、1本は夫が乗ると今にも折れそうに沈む。なんとか渡り、水の音を聞くようになると、咲いていた。コガネネコノメソウ。とても小さいけれど、輝くような黄色。途中竜王コースへの分岐を過ぎてしばらく、枯れ沢になっても道の脇にはネコノメソウが咲き競っていた。中にはとても小さくて指の先ほどしかないものもあったが、ちゃんと小さな花を咲かせている。
沢は杉林の中を流れているので、杉の赤い枯れ葉が積もり、濡れたところには苔が堆積し、大きな岩が重なり合う中に自分の居所を見つけて咲いているのだ。
この沢にはヨゴレネコノメや、ハナネコノメも多く、混ざり合いながら咲いている。しばらくの間、きついゴロゴロ登りの目を楽しませてもらった。ユリワサビもたまに顔を見せ、ハシリドコロが濃い紫の花をぶら下げている。ハシリドコロは猛毒で、間違えて食べると走り回ってしまうそうだ。
ネコノメソウたちが見られなくなってしばらくすると林道に登りつく。大きくえぐれていてとても車が通ることなどできそうにない古い林道だ。途中からもう一度杉林の斜面に入って、ひと登りで鞍部に着く。ここまで登ると左右に大岩がそびえて、岩山という雰囲気が増す。登山道は右の稜線に向かう。楽しみにしていたアカヤシオにはまだ出会わない。この辺りから咲いていると思ったけれど・・・と呟きながら右の岩山に登ると、そこにピンクの輝きが!
アカヤシオ、枝の先に一つずつ花をつけるので、この辺りでは『ひとつばな』とも言われているそうだ。まだ少し早かったのか花はまばらだが、明るいピンク色がなんとも言えない奥行きを感じさせてくれる。アカヤシオとの出会いは嬉しいけれど、北からの風をまともに受けるようになったからか、一段と強くなった風が冷たい。あまりゆっくりもできず先に進む。
ここからの稜線はなかなかハードだった。標高は低いが、妙義山系らしい大岩の連なり。滑り台のような足場のない急な下りも、ゴツゴツ岩の直登も、お助けロープが取り付けてはあるのだが。時々首を仰向けるようにして岸壁を見上げ、ため息をつきながら登って行く。途中でポーズをとって写真というゆとりはなく、私は前を行く夫のおしりばかり撮っていた。家に帰って「おしり狙いの1日だった」と言うと、夫は「カッコよく撮った?」などとふざけ、無事に行ってきたことを噛みしめたのだった。
話を戻そう。頑張って登り下りを繰り返し、ようやく山頂稜線に到着した。この辺りは周囲をアカヤシオの木が取り囲み、まだ少ないとは言え明るい彩で迎えてくれた。ここから山頂までは狭い岩場の稜線歩きだけれど、大きなアップダウンはなく、一息だ。
ついに山頂。一気に目の前に西上州の山並みが広がる、圧巻だ。苦労して登ってきてよかったね。狭い山頂だけれど、お尻を下ろして休むくらいの場所はあった。腰を下ろし、疲れた足を休める。朝ごはんを食べていなかったので、ここで夫はおにぎりを一つ食べる。9時50分、おやつの時間だ。
私たちがのんびりしていると、前橋から来たと言う夫婦が登頂してきた。彼らはここに3度目だとか。アカヤシオが満開になる頃にはマイクロバスが何台もやってきて、この狭い山頂には交代で登頂すると言う。私はヒカゲツツジを楽しみに来たのだけれど、今日はまだ発見できないと話した。ヒカゲツツジの方がアカヤシオより少し後で咲くから、今年はもう少し後なのではないかと言う。
「今日はもう諦めかなぁ」と、少しがっかりしながら下山することにした私たちの前になって歩いていた婦人が、「あ、咲いていますよ」と大きな声で教えてくれた。岩のかげになって数輪、淡い独特のクリーム色の花が揺れている。「あった」思わず叫び、狭い岩綾の上から覗き込む。夫と私が、ヒカゲツツジの写真を撮れないか挑戦していると、さらに先に進んでいた婦人が再び「こっちにも咲いていますよ」と叫んでくれた。
確かに稜線の脇にたった一枝、綺麗に咲いている。遠くからやってきて、頑張って岩場を登ってきた私たちへのご褒美のように・・・などというのは勝手な思い込みだけれど、ようやく出会えたヒカゲツツジにしばらく見惚れていた。
さぁ、あとは気をつけて帰ろう。竜王コースの尾根にはアカヤシオが咲いていて目を楽しませてくれるから、狭い岩綾も楽しく歩く。見下ろすと怖くなるような崖にはヒカゲツツジを咲かせている大きな木もあった。楽しく歩いていると道は杉林の中に続いて行く。急斜面を本当に滑るように、けれど、足元は一歩一歩確実に降りて行くと大きな岩の下に竜王大権現が祀られている。薄い岩を積み重ねたような独特の岩は、見上げると首が痛くなるほど。風もなく暖かいので、ちょっと早めのお昼を食べようか。岩の下は休憩場所としては危ないところなんだけど、オーバーハングになっている竜王様の隣をお借りしておにぎりを食べた。
再び急斜面を転がるように降りて、ようやく平らな地面に戻ったのは11時15分だった。