私も夫もどちらかというと寒い地方で育ったためか、山登りも北指向になる。花が好きな私にとっては、北へ行けば標高が高くなくても高山植物が豊富だということも魅力だ。
というわけで、西日本の山には数えるしか行っていないけれど、東北の山には何度も出かけた。そして、そのほとんどを車で回ってきた。限られた休暇を無駄なく回るためには、やっぱり自由に動ける車が便利だったからだ。
その旅は、フリー切符の宣伝を見つけた私の提案で、電車で行ってみることにした。もともと鉄ちゃん(鉄道好き)の夫は、もちろん大喜び。バスや電車の時刻表を並べ、あれこれ検討して、東京駅の窓口に出かけて切符を購入した。
前の日まで仕事があったので、家を出たのは7時過ぎ。東京駅から東北新幹線『はやて』で八戸へ。当時、東北新幹線の終着駅は八戸だった。そこから特急『つがる』に乗り換え、一気に弘前へ向かった。弘前に着いたのは午後3時過ぎ。バスに乗って嶽温泉に向かう、宿に着いたのは4時を回っていた。遠かった。それでも、新幹線は早いと感じた。朝7時に家を出て、夕方4時には青森の山の中にある温泉に着いてしまうのだから。
嶽温泉でゆっくりお湯に浸かり、翌朝岩木山に向かった。8時に旅館を出、シャトルバスで八合目駐車場まで登る。ここからはさらにリフトで上に上がることができる。リフトで10分、一気に九合目まで上がる、ありがたい。アザミやヤマハハコが咲く中を歩く。岩の影からアカバナが顔を出していた。鳥ノ海噴火口を右に見て、険しい岩場を登る。バスとリフトで楽をさせてもらったが、さすがに山頂近くの岩場は注意が必要だ。大きな岩を乗り越えるようにして進む。火口は岩が切れ落ちていて覗くと怖い。あまり近寄らないようにしながら、それでも時々覗き込んではフーッと息をつく。怖いもの見たさ?・・というより、自然の大きな姿に魅せられるような、なぜか引き寄せられるような力を感じる。
岩場をぐいぐい登って山頂1625mに着いたのは10時ちょっと過ぎ。遠く日本海の海岸線が見下ろせる。
麓の里の美しい広がりを眺め、満足満足と岩に座って一休み。実はこの時すでに小さな悲劇の種は芽をふいていたのだけれど、嬉しさいっぱいの私たちは全く気付いていなかった。
とても気持ち良い山頂だから、もっとゆっくりしていたかったけれど、私たちには明日の予定もある。重い腰をあげて下ることにした。
リフト乗り場の分岐を過ぎて、下りはシャトルバスの発車する八合目まで歩いて降りた。バスターミナルは、お土産売り場などもある広い空間だった。1日目なので、私たちはお土産には目を向けず、やってきたバスで降りることにした。まだ日は高い。嶽温泉で乗り換え、弘前城に行ってみる。お腹が空いたので、弘前市立観光館に寄り、遅いお昼をいただいたが、ねぶたが展示してあったり、なんだか変わったメニューがあったり、楽しいところだった。食事を済ませてから、お城の中を散策。桜で有名な弘前城。もちろん今はもう葉桜。木が多いので、爽やかな風を感じる。
ところが、ここでハッと気づくと、夫の靴底が剥がれている。登山靴にはよくある故障。だが、私たちは明日も山へ入るつもりだ。この靴では登れない!
岩木山の大きな岩をガッツガッツ登ったので、やられてしまったらしい。
山の中で靴底が剥がれてしまったら、急きょ紐で縛るなどの応急処置をして降りてくるが、初めからパックリ割れた靴で登るのは危険。うわ〜、なんという悲劇。
でも諦めない。私たちは慌てて調べた。登山用品専門店があったから、タクシーを奮発した。ベストとは言えないけれど、とりあえず足に合った新しい靴を購入。ほっと一息ついて、特急『つがる』で青森へ。今晩は青森泊まりだ。
さぁ、新調の靴を履いて今日も登るぞ〜とは、夫のセリフ。朝7時半のバスで八甲田ロープウェイ乗り場に向かう。1時間ばかりバスに揺られて、9時前にロープウェイに乗ることができた。
八甲田山と言えば、本や映画でずいぶん知られるようになった、明治時代に行われた雪中軍事訓練中に起きた遭難事故で有名だ。山岳遭難として世界山岳史上最悪の最多の犠牲者を出したことで知られる。山のことをあまり知らない人でも「八甲田山に行くの?怖いところなんでしょう」などと言う。
もちろん山はどこでも怖い。それは、山に、大きな自然の懐に入るという敬虔な心持ち。どんなに低い山でも、侮ってはいけない。けれど、特別な技術や、筋力が必要かという意味では八甲田山はそれほど怖い山ではない。しかも嬉しいことに、イワブクロの群落や、イワギキョウの群落が広がっていて、高山の雰囲気を味わえる。足元に揺れる花々を眺めながらの山歩きは日頃の疲れを吹き飛ばしてくれる。
ロープウェイの山頂駅にはちらほら観光客らしい姿も見られたが、縦走路を歩き出すとパッタリ人の姿はなくなる。
余談だが、実家に帰って母に八甲田山登山の話をした時、居合わせた叔母が「え〜っ、八甲田なんて歩くところがない山だよ。ロープウェイで上がると、公園みたいで時間が余っちゃったよ」と笑った。バスツアーで行ってくると、そういう話になる山なのだ。それでも八甲田山に行ってきたことになる。
まぁ、それはともかく、話を戻そう。山頂公園を散策しながら田茂萢(たもやち)湿原を渡る。キンコウカの黄色が水に写って夢の世界のようだ。
湿原を抜けると、稜線伝いに赤倉嶽1548m、井戸岳1550mを越えて、道は八甲田大岳に向かう。赤倉嶽や井戸岳は噴火口の名残、道は断崖の淵を回り込むように続いている。遠くまで見晴らしが良い雄大な空間を楽しめる道だ。奥に綺麗な三角錐の頂が見える。高田大岳。時間があればあっちにも登ってみたいけれど、2倍の時間がかかるので、今回は最高点までの旅とした。
緯度が高いので、標高がそれほど高くなくても周囲はハイマツ帯になってきた。一面の濃い緑、足元には可憐な花が揺れている。
気持ち良い稜線のアップダウンを繰り返して、大岳直下の避難小屋に着く。見上げると一気に直線で登る、まるで空に向かっているみたいだ。その直登を一気に登るとついに山頂だ。360度の方向指示盤がある。座ってのんびりしている人がいる。私たちもここでおにぎりを食べることにした。ちょうどお昼だ。
朝より霞がかかってきて、遠くは淡いブルーのカーテンの向こうに隠れたような景色になってしまったが、どこまでも深い森が続く山並みは、日本の山の美しさだと思う。ゆっくり味わいながら・・・おにぎりも、風景も・・・、この山頂でのひと時を満喫した。
大岳からは広大な大湿原、毛無岱(けなしたい)湿原を抜け、酸ヶ湯温泉へ降りる予定だ。毛無岱湿原は、標高1000mから1200mあたりに広がっていて、上毛無岱から下毛無岱へと続く。まず、大岳鞍部の避難小屋から森の中をぐんぐん降って上毛無岱へ向かう。目の前が開けると、あとはただどこまでも黄緑色の大海原。いや、草原を海にたとえるのは安易すぎるか。ただただ、でっか〜い。表す言葉がない。
自然に足が軽くなるような湿原の中の一本道の木道をどこまでも歩く。一面キンコウカの黄色が輝いている。季節が変われば様々な色に染まるのだろうけれど、今は黄金の広がりだ。 なんだか通り過ぎてしまうのがもったいないような気がして、ゆっくり歩く。こんなに気持ちいいところなのに、ほとんど人に会わない。大岳に登っていた人の多くは、またロープウェイの方に戻るらしい。短い時間で山頂往復できるからなぁ。
振り返り、振り返りしながら湿原を抜け、一気に湯坂道を降りると、酸ヶ湯温泉の横に飛び出した。バスに乗って十和田まで行けば良いので、ここで一休み、温泉に入っていくことにした。
ところがここで、私は大失敗。酸ヶ湯温泉は昔ながらの浴場で、なんと混浴。入り口あたりにはきっとそのような張り紙もあったのだろうけれど。「目が悪いので・・・」というのは後から考えついた言い訳。
私は、混浴などとは思いもせず、呑気に人のいない方の階段を降りていった。こっちは男性更衣室に近い階段だった!の。ものすごく広いお風呂だった。遠くは湯気で霞んでいるくらい。何か変?と思った時には湯気の向こうに男性の気配。パッと見まわして走るようにして女性が集まっているらしき方へ隠れた。全身火が出るような気分だった。実はどこもかしこも湯気が朦々としていてあまり見えないのだけれど、それとは話が別。いやぁ〜恥ずかしかった。
先に入っていた夫に聞いたけれど、「全然見えなかったよ。探していたんだけど」と言う。まぁいいか。こういうのを旅の恥はかき捨てというのだろうか・・・。
再びバスに乗って十和田湖へ向かう。走っても、走ってもブナの森の中をバスは進む。このブナの森は我が家の会話によく出てくる。もう一度行ってみたい場所だ。バスでどれだけ走っただろうか、行けども、行けども深いブナの森が続く、夢のようなところだった。
夕方十和田湖畔のホテルに到着。湖畔を散策して『乙女の像』に挨拶してきた。
一夜明けるともう帰る日になってしまった。夕方八戸を出発する新幹線の時間まで、奥入瀬渓流を散策して帰ろう。
子供の頃、父や母が十和田湖廻りの旅行をして、その写真を見せてもらったときのことを今でもよく覚えている。お土産の絵葉書だったと思うが、鮮やかな新緑の中に水しぶきをあげて走る渓流。赤や黄色に染まった紅葉の下に、白い波を立てて流れるいくつもの瀬と滝。いつか行けるかなぁ・・・と、子供心に憧れた景色だった。
夫と話しながら歩く奥入瀬は、思い出の奥に憧れでコーティングされたイメージよりもぐっと現実に引き寄せられた姿だったけれど、勢いよく流れる渓流の空気はやはり清涼だった。幾つもの早瀬、淀み、滝、そして深い森。あまり人もいない渓流沿いの道は、時にはエゾアジサイのブルーに飾られ、時にはクルマユリのオレンジ色で点描され、何度でも歩きたい道だった。
石ケ戸、石でできたケ戸(小屋のこと)、つまり岩小屋のようなものという名前のついた、大きな石と巨木でできた穴蔵のある場所からバスに乗った。昔、この穴蔵には美女の盗賊が隠れ住んでいたとか、長い年月の間に語り伝えられた話が今に残るのは興味深い。
石ケ戸からJRバスに乗って八戸へ、八戸から東北新幹線『はやて』に乗り、我が家に着いたのは真っ暗い空の下だった。