20年も昔のことになる。二日続けて同じ山に登ったのは、栗駒山だけだと思う。縦走していると、奥の目的地に行くために往復同じピークを通ることはある。けれど、一回下って、また次の日同じルートを登ってピークに立つことはあまりない。夏休みということもあって、そして東北の山へ行くぞという思いもプラスされて、優雅なプランの旅だった。
最近夫がテレビ番組を録画してくれて、それを夕食のお供に見ることが多いが、続けて栗駒山の紅葉を扱った番組を見た。「私たちが行った時は夏だったね」「2回も登っちゃったんだよね」「泊まった宿(駒乃湯温泉)が土砂崩れで埋もれたってニュースがあったけど、復興したかな」などと、話が弾んだ。
その旅は『山登り』という目的を冠しながら、実は東北旅行という意味合いが大きい旅だった。私は運転免許を持たないので、どんなに疲れていても運転するのは夫一人。なるべく疲れがたまらないようなプランが必要だった。それでも久しぶりの4泊の旅、気分は上々。当時住んでいた関東の家を出発したのは朝5時前。夏とはいえ、まだ空は明けきっていなかった。
長い旅だった。夫は今でも時々言う「『これよりみちのく』という福島県の入り口までが遠かった〜」と。確かに「え〜っ、やっとみちのくの入り口なの?」と、私も言った気がする。長い道中だったが、道路脇にヤマユリが群れるように咲いているのを楽しんだ記憶もある。その日は宮城県の古川にホテルを予約してあった。
早朝に出発したので、環八も難なく通り抜け、外環道、東北道もスイスイ走った。思っていたよりずっと早い時間に、栗駒エリアに到着していた。こんなことなら、もっと登山口近くのホテルを予約するんだったというのは、行ってみてわかること。無理をしないように考えたプランだったのだ。しかし、若かったね、私たちも。夫は、栗駒山麓を行けるところまで走ってみようと言う。そして、結局秋田県側の山頂直下、ツンドラ帯まで行ってしまった。その湿原を散策し、岩手側を走って古川まで戻った。つまり栗駒山を右回りに一周してしまったのだ。走り出してすぐの道の駅に、すりおろした自然薯の天ぷらがあって、それが美味しかったことを覚えている。
山道をぐいぐい登って秋田県に行ったのだが、初めは目的もなく行けるところまで・・・と考えていたので、途中で停まっては細い山道を散策していた。通る車もなく、本当に山中ただ二人という感じだった。
一気に登って、ツンドラ帯に到着。ここは秋田側からの栗駒山登山口でもあるが、モウセンゴケなどが自生する湿原の散策を楽しむ人も訪れるところ、須川湿原という。ツンドラ帯といえば永久凍土があるところと思っていたが、高山ツンドラの場合は、必ずしも永久凍土があるというわけではないらしい。須川湿原も泥炭の積もった湿原のようだ。木道が敷かれ、歩いている人の姿がちらほら見える。モウセンゴケが赤い。そして、小さな白い花穂を伸ばしていた。しばらく歩くと、水の溜まったところが多くなり、そこにたくさんのトンボの羽が浮かんでいた。銀色に光るそれはモウセンゴケの食事の後らしい。木道をさらに進むと水たまりがあって、その奥は幅の広い焦げ茶色の崖になっていて、小さな滝が水しぶきをあげている。崖の所々からは水が滴っている。ここが昔泥炭採掘していた跡だと聞いたが、こんな山奥まで採掘に来る価値があったのだろうか。昔の人の生活エネルギーはすごいと思う。ここで同じように歩いている二人連れに出会った。私たちはそこで少し話をし、お互いに二人の写真を撮りあった。まだフィルムを入れて撮るカメラだった。
翌日はまず、伊豆沼を見てから栗駒山地へ向かおうという計画。伊豆沼は、釧路湿原に続いて、1985年に日本で2番目のラムサール条約湿地に指定されている。ラムサール条約は、国際的に重要な湿地の保全と自然を生かした活用を考えていくための条約で、今では(2020年)日本に50箇所もの指定地があるそうだが、当時はあまり知られていなかったように思う。あいにく煙ったような空模様だったが、ハスの花が咲く沼の広がりには感激した。数カ所に車を止めては周辺を歩いて、ぐるりと回ってきた。事情があって北へ帰ることができなくなった白鳥が数羽、少し寂しそうに感じたのは単なる感傷だろうか。
伊豆沼を巡った後は、山道を登る。栗駒山宮城県側の中腹にある世界谷地を見てみたいと思っていた。かなり登っていくと駐車場がある。車は1台もない。我が家の愛車だけ。濡れるほどでもないが、ポツリポツリと雨粒が落ちてくる中をゆっくり歩く。キンコウカ、ミズギクの黄色が雨の下でも鮮やかだ。ウメバチソウの白い花びらと、草の影に隠れるように咲いているサワランの濃いピンクが印象的だ。
残念ながら、雲は重く覆いかぶさったまま、明日の山に備えて早めに宿へ行くことにした。木造の駒乃湯温泉は、斜面を利用して建てられていて、部屋は飾り気のない湯治場の名残を残しているようなところだったが、湯客には人気のある温泉らしく、お土産品なども置いてあった。
さて、いよいよ栗駒山へ登る。ところが、やはり重い雲の下、時々雨粒も落ちてくる。あまりひどい雨になったら引き返そうと言いながら、車で行けるいわかがみ平まで行ってみる。緩やかな登山道と聞いていたので、雨具の他に傘も持参。さいわい風がなかったので、傘をさしてゆっくり歩き出す。雨模様と言ってもザァーザァー降るわけではなく、時折ポツポツとくる様子だったので、花畑を見ながら山頂にたどり着いた。水が溜まりやすいところもあったが、緑が吸収してくれる程度で済んだようだ。シロバナトウウチソウのヒゲのような細かい細工が美しい。シャクナゲが好きな夫は、キバナシャクナゲの大輪に感動。花の名山と言われるだけに様々な花が目を楽しませてくれる。だが。生憎の雨の中、あまり写真を撮ることができなかったのが残念だ。
雨は止んだと言っても、重い湿り気を含んだ空気に包まれている。それでも私たちは、登頂の喜びとともに車まで戻った。今日も駒乃湯温泉で汗を流せる。車に戻った時はまだ午後の早い時間だったので、もう一度世界谷地まで行ってみることにした。「近かったからね」と、今、夫は言うけれど、登山の疲れと運転の疲れでかなりくたくただったのだろう・・・と思う。湿原が大好きな私のわがままに付き合ってくれたのだろう。
昨日も行った世界谷地の湿原に着いたけれど、空は重い灰色のまま。夫は車の中で寝ていると言うので、私は一人で奥の第2湿原まで歩いてくることにした。第1湿原までは15分ほどだが、さらに10分も歩くともう一つの湿原が開ける。第2湿原。ブナの森が突然明るくなって、夏の湿原は晴れていれば別天地なんだけれど、まぁ雨模様でも妖精が出て来そうな雰囲気は同じかな。白いワタスゲが揺れ、一面の黄色はやはりキンコウカとミズギク。時々見える淡いピンクはサワランかな。いや、あれはトキソウだ。ポツポツとスゲか何かの葉の影に咲いている。嬉しくなってルンルンしながら車に戻ったら、夫はまだ眠っていた。
さぁ温泉に入りにいきましょう、駒乃湯まではちょっと。車を停めて宿に入ろうとしたら、セミがふわっと飛んできて夫の首に巻いたタオルに止まった。「もう行きなさい」と、手を出したら、今度は手に止まってしまう。しばらくセミと遊んでから、宿に入った。駒乃湯温泉は、その後崖崩れで倒壊してしまったが、今は日帰り温泉として復活しているらしい。当時の写真は、夕方で薄暗いせいか、かなりピンボケだけれど、懐かしい。
温泉に入ってぐっすり眠って、起きたら晴れていた。3日間、重そうな雲が頭上を覆っていたのに・・・。
「今日なら、お山がもっと楽しかったのにね〜」と言うと、
「行ってこようか」と、夫。
えっ、驚いた。山登りはどっちかと言うと私の方が強く望んでいて、夫はまぁお付き合いと思っているようだった。それが、「悔しいから登ってこようよ」と言うなんて・・・。
栗駒山への一番楽ちんなコースだから、確かにそれほど大きな体への負担はない。そして、今日もまだ仙台あたりまで帰れば良いのだから・・・、行きましょう。
青空の下、昨日と同じ道を登る。中間あたりまで登ったら、頭上に爆音が響く。ヘリコプターだ。えぐれた山道を修復する資材を運んできたようだ。ヘルメットをかぶった人が数人でヘリコプターから資材を下ろす作業をしている。ありがたいことだ。
青空の下の山道は本当に気持ちがいい。標高が上がると。高い木がなくなって見渡す限りの山並みが続いている。ハクサンシャジンの薄紫の釣り鐘があちらこちらに茎を伸ばしている。アザミもたくさん咲いている。夏は白い花も多いが、コバイケイソウはもう実になっている。小さな花火のような白い花もたくさんあるけれど、名前がわからない。
今でこそ花を見れば写真を撮るようになったけれど、あの頃はレンズもそれほど良くなかったし、フィルムも高かったし・・・写真は記念撮影くらいにしか考えていなかった。もったいないことをしたかなぁ。
歩いているうちに雲が湧いて来た。山のお天気はわからない。山頂を踏むころには青い空は薄いヴェールの向こうになってしまった。それでも2度の登頂を果たし、私達の気分は絶好調。そして意気揚々と引き上げることにした。
さぁ、帰るぞ。
まだ日は高いので、前から気にかかっていた水沢まで足を伸ばして行ってみることにした。鉄器で有名なところ。風鈴も、鉄器の音はその鉄という固さを微塵も感じさせない済んだ軽やかな音が特徴だし・・・。大きなフライパンも魅力的だし・・・。子どもの頃おじいちゃんが煮てくれたニシンの昆布巻きは、囲炉裏に自在鉤、そして鉄の大きな鍋だった。
でも、どれもこれも高価だ。私たちは、鉄瓶だけを買った。我が家には保温ポットがない。お茶をいただく時はその場でお湯を沸かす。私はポットと言わずに「魔法瓶」と言って、若い人に笑われるが、我が家にポットなるものがなくて、子どもの頃にあった「魔法瓶」の記憶が生きているからなのだ。でも今ではもうポットも保温用ではなくて、電気で沸かしてそのまま保温できるものが主流みたいだけど。
話を戻そう。重い鉄瓶を抱えて、心は軽く、今夜の宿に向かう。まだ夏の午後は日が長い。途中で思いついて、平泉中尊寺にお参りしていくことにした。義経が落ちのびたと言われる奥州藤原氏の歴史は頼朝に攻められるまで100年もの平和な時代が続いたそうだ。その藤原氏が建立した中尊寺、有名な金堂も見てみたい。国宝建造物第1号の金色堂、金ピカなのかな。
中尊寺にお参りした後は一気に仙台まで走る。栗駒山登山の旅が東北名所巡りにならないうちに仙台のホテルに到着。その日は2日続けての登山に興奮していたはずなのに、ポトンと眠ってしまった。
そして、翌朝目が覚めれば、もう帰り道しかない。仕事も待っている。長い高速道路のドライブをして、家に向かった。