「橋を渡って四国へ行きたいけれど遠いね・・・」、赤ワインをお供に夜の食事をしながら四国が話題になったのは数年前のこと。
「四国くらい僕が連れてってあげますよ」というタノちゃんの一言を、言葉遊びから現実に拾い上げて、私たちとタノちゃんキミちゃんペアーの四国旅が実現することになった。長野と山梨の間でいくつかのやりとりを行った後、年明け早々に私たちは四国へ向けて出発した。
午前5時15分、長野の空はまだ暗い。夫と私は3泊分の着替えを車に積んで出発。タノちゃんキミちゃんの待つ家まで2時間半。そこに愛車を停め、彼らの車に便乗、8時10分いざ四国へと出発した。
中央自動車道を南西へ進むと、南アルプスの峰々、中央アルプスも見えてくる。途中のサービスエリアで、キミちゃんが作ってくれたおにぎりを食べ、車は名神高速道路に入っていく。右に伊吹山を見、琵琶湖を遠くにチラリと眺め、京都、大阪を進む。都市エリアになると自動車道路がいくつにも入り組んでいてよくわからない。カーナビを頼りに進んでいく。吹田から海岸に向かい神戸に近づくと六甲の山並みが近い。
そしてついに明石大橋に到着。神戸淡路鳴門自動車道で、淡路島を縦断するのだが、まずは淡路SAで明石海峡の眼福を楽しむ。海は凪いで青く美しい。遠くに紀伊半島も見えると、タノちゃんが教えてくれた。
しばらく楽しんだ後は一気に徳島へ。「ついに四国の地を踏んだぞ〜」と、大袈裟に喜ぶ。午後4時10分、徳島市内のホテルに到着、まずは部屋で寛ぐ。
一息ついた後は、近隣のレストランを探して散策。ホテルのすぐ脇は海に注ぐ川、吉野川と並行して流れる細い川だが、ヨットがたくさん係留してある。その岸辺をゆっくり歩く。うっすらと暗くなり始めた空に月が大きく丸い。ホテルでもらった案内図を見ながら15分ほど歩き、一軒の料理店に入った。美味しい料理を堪能した後は酔い心地で、満月の下をゆうらりと歩いてホテルに戻った。
翌日は今回の四国旅のハイライト、阿波人形浄瑠璃を観にいく予定。だが、その前に一箇所くらいは高いところに行きたいという私のわがままで、眉山ロープウェイを訪ねることになった。山と名のつくところは眉山だけが訪問可能範囲にあった。足を痛めているキミちゃんには山は無理と思うが、ロープウェイなら大丈夫だろうとの名案・・・だったはず。
ところが、山麓駅の駐車場に車を入れようとすると、「3月まで運休」の貼り紙が。係の人が教えてくれ、急遽タノちゃんの運転で山道を登る。
山頂は広く、散策路は結構長かった。ロープウェイ山頂駅の方までアップダウンをゆっくり歩く。ツワブキが一面に植えられ、ツバキやアシビなどの常緑樹が枝を広げ、その向こうにユッカが大きく白い花穂を掲げている。大きな木を見つけると、タノちゃんのヤンチャ虫が騒ぎ出す。木に登ろうとするのを、相変わらずキミちゃんが「危ないよ」と引きとめにかかる。
山頂からの眺めは生憎わずかに霞がかっているが、県庁の大きなビルの向こうに、泊まったホテルを見つけたり、吉野川にかかる橋を数えたり、淡路島や紀伊水道に浮かぶ島陰を眺めたり・・・思いがけず楽しめた。
山頂には三角点もあり、迷わずタッチ。周囲に『太陽の光を利用して空気をきれいにしています』と書かれた白いパネルがあり、『TiO2の光触媒作用』というのだそうだ。自然を大切にしようという働きがいろいろなところで動いていることを感じる。
さて山を降りるといよいよ人形浄瑠璃だ。阿波十郎兵衛屋敷では毎日2回人形浄瑠璃を演じているが、平日は録音で土日祝日だけ太夫の語りと三味線が実演なのだそうだ。せっかくなら、生の語りと三味線で観たいと、今回の休日の旅となった。
11時からの開演に合わせて到着。サザンカの生垣に飾られた木造の建物は、人形浄瑠璃『傾城阿波の鳴門』のモデルとなった庄屋、板東十郎兵衛の屋敷跡なのだそうだ。
まず席に案内され、人形浄瑠璃についての短い映像が流された。その後は展示物の紹介。説明を聞いた後、人形を持たせてもらった。持ったのは小さい方の人形ということで、3kgほどの重さというが、頭につながる背の棒を操作して、目を開け閉じし、もう一方の手で人形の右手を操作しようとするとずいぶん重く感じる。人形の左手は他の人形遣いが操作するそうだ。一人の人形に3人の人形遣いがついて、ようやく人形は生き生きと動き出す。
説明を聞くうちに時間になったので、私たちは席についた。幕が上がると、語りの太夫、三味線奏者も席につき静かに始まった。驚いたことに語りの太夫はまだ幼い声の少女だった。後で聞くと、語りの少女は9歳とのこと。大人も一緒の太夫の大会で準優勝にもなった名人だという紹介だった。
最後に人形や演者と一緒に写真を撮って、私たちは屋敷を後にした。
次に向かうのは愛媛の道後温泉。しかしその前にもう一つみんなの頭に浮かぶ映像がある。四国といえばうどん。宇高連絡船の中で食べた讃岐うどんの美味しさを忘れられないと、食べたことがある私とタノちゃんが何度も話したので、後の二人はとても楽しみにしていた。徳島から愛媛へ行く道中で、香川に立ち寄り讃岐うどんを食べようと、期待が膨らむ。
ところが高速道路を降りて、一般道を走ってもうどん屋さんは見つからない。タノちゃんが工事現場のおじさんに聞いてたどりついたお店は、地元のチェーン店らしかった。透き通ったつゆに太い麺はまさしく讃岐うどんだけれど・・・どこか違う。ちょっと違うかなと呟きながら丸亀城の高い石垣を下から眺めてから、高速道路に乗った。
高松自動車道から松山自動車道に入り、一気に松山まで走る。めざす道後温泉のホテルに着いたのは4時20分、まだ明るかった。
修復工事中の道後温泉本館はホテルの目の前、3分も歩けば入り口だ。私たちは浴衣に着替えてホテルから借りた湯桶ならぬ湯篭を持って出かけた。行ってみてびっくり、行列ができていた。おりから風が強くなってきて、立っていると寒い。こういう時私たちの意思疎通は早い。こんな寒いところで待っていて風邪をひいてもバカらしい、ホテルのお風呂に入りましょ。
引き返す途中にホテルの別館があり、11階の露天風呂があるということを思い出し、そこに行くことにした。お風呂に入って暖まれば後はホテルに戻ってご飯を食べ、休むだけ。ホテルの食事はタイのかぶと煮、タコのお造りなど、地元の美味しいものが並び、私たちはさらに地ビールを足して、贅沢な夕食となった。
翌朝、6時から入ることができるという朝風呂、一体何年ぶりだろう・・・。いや、何十年ぶりかもしれない。朝ごはんを食べた後、道後の街を歩いてみた。昨日走っているのを見た市電の駅が近くにあるからそこまで行ってみようと、ブラブラ歩き。
この朝の散歩はキミちゃん達と別行動、でもすぐに「ヤァ」と出会う。それはそう、一本道のような商店街だから。
ホテルを出発した後は、松山市内に戻る。伊丹十三(1933–1997俳優、映画監督)記念館を訪ねた。建物はおしゃれな黒い平屋建て、庭園には十三さんの愛車だったという黒い車が、寂しそうにテンと座っていた。私たちは記念館で彼の早い死を惜しんだり、多彩な才能に目を奪われたりして、午前中を過ごした。
そしてついに帰る時間になった。やっぱりミカンを手に入れてから帰ろうと国道を走る、道の駅を目指せ。車は国道196号を北へ登る。左には瀬戸内海が見えている。この辺りは釣島海峡というのだろうか、遠くに島影が重なって見える。そして斎灘が開けるあたりに道の駅があった。ビニール袋にざっくり入ったミカンが並んでいる。
みかんをたくさん買って、しまなみ海道に入る。橋を渡る頃は生憎の曇り空、青く澄んだ海と空をイメージしていたけれど、灰色がかった風景だ。
島と島を結んだ西瀬戸自動車道、別名しまなみ海道は思ったより山の中を走っていた。大小幾つもの橋を渡るのだから、もちろん海の景色も開けるのだが、島の中は森の間を縫う道が多かった。ちょうど中間あたりの瀬戸田PAで停車、お土産売り場を眺めたり、渡ってきた多々羅大橋を眺めたりした。
ついに四国とサヨナラ。自動車道は広島県に入って山陽道につながった。見繕ってきたお団子やタコ飯を食べながらひた走り、夕方5時に兵庫県小野市のホテルに到着した。
翌日の帰路を考えて小野市にホテルを決めたのだが、広島を抜けて走る道は長かった。ホテルの近くの居酒屋風レストランでこの旅最後の乾杯をした。ホテルには大きなお風呂があったので、そこで気持ち良い汗を流して休む。
翌朝、東の窓に日がのぼる。空が赤く染まっている。ホテルの窓から赤く染まった空を眺め、「今日は帰るんだね」と呟く。山陽自動車道から新名神、そして中央道を山梨に向かう。雨が降ったところもあったけれど、途中からは青空が広がった。キミちゃんたちの家に着いたのは午後3時。別れの言葉もそこそこに私たちは長野に向かった。
遥か昔、私とキミちゃんが出会った頃、キミちゃんがこう言ったことがある。「あなたは免許取らなくていいわよ。行きたいところには私が連れてってあげるから」。これはもちろんジョーク、大笑い。
自慢じゃないけれど、ボーッとしていてバスや電車を乗り過ごすことは日常茶飯事、歩いていて柱にぶつかりそうになり、自転車に乗っていても段差に気づかず大ジャンプをしてしまう私の大ボケぶりを知っていたわけでもないと思うが、危なっかしいとは思ったのだろうか。
今、「どうしてあんなことを言ったんだろうねぇ」と笑うキミちゃんだが、こうして本当に行きたいところに連れて行ってもらった。いくら感謝しても足りないかもしれない。