しばらく曇り雨の予報が続いていたが、起きると青空が広がっている。「こんなに良い天気になるのだったら山へ行けたよね」などと悔しがる。
その日は珍しく寝坊をした。前夜寝そびれて遅くまで目が冴えていたせいかもしれないが、予報が曇り少し雨模様ということもあったと思う。起きたら青空が広がっている。「山へ行きたい」という私のわがままに付き合うように、夫が『信州の里山を歩く◇東北信編−信濃毎日新聞社1996』をめくる。洗濯を干したら、もう10時になろうとしているから遠くの山へは行けない。長野市の中心からぐるりと見まわしてまだ行っていない山、富士ノ塔山を目指すことにした。
長野駅から東京方面に向かって電車が動き出すと綺麗な三角錐の旭山が見える。そしてその隣にどっしりと大きく裾を広げる富士ノ塔山が見える。いつか行ってみたいねと言いながら、車で奥まで行く山という印象が足を遠のかせていた。今日は出だしが遅いので、車で上まで行ける山がいいだろうということになった。
朝たっぷり食べたからご飯はいらないと夫がいうので、おやつのお菓子だけを持って出かける。長野県庁前から裾花川を渡って平柴という地域に入る。民家の間の道をグイグイ登っていくと山道になり、朝日観世音に着く。以前ここに車を置いて旭山に登ったが、今日は車の中から黙礼をして通り過ぎる。
道はどんどん険しい山道となり、ほとんど通る車もないのか、落ち葉や栗のイガなどが転がっている。ガードレールがないところも多いけれど、カーブミラーはついている。他に車の姿がないから、その点は気が楽だ。
ぐんぐん高度が上がって、いくらか平らになったところで、前方に大きな鳥が立っている。「あれはキジだね」「メスのキジだ」。驚かさないようにと、車の中から写真を撮る。キジはまったく動かない。目だけが可愛らしく動いている。「お〜い、どいてください」と言いながら車をゆっくり前進すると、ようやくキジはちょこちょこと歩いて森の中に隠れていった。
この道を車が通ることはとても少ないのだろう、鳩もたくさん道の真ん中で餌をついばみ、近づいても逃げようともしないのが多い。
森の中を車がゆるゆると登り、途中ガードレールがない細い道で少し怖いところもあったが、なんとか小広い駐車スペースに着いた。降りると緩やかな傾斜の上に小さな四阿が立っている。「ここはもう山頂なんじゃない」「本当に車が登る山なんだね」などと言いながら四阿に行ってみる。明治初期に開校し、昭和45年まで小学校として使われてきた建物の、玄関の一部を移転したものという説明文があった。尋常小学校、国民学校、村立小学校、市立小学校と70年もの歴史の中で子どもたちを包んできた建物という。明治42年に改築された時の玄関の一部というが、おしゃれな作りがよくわかる。
さて、そこからわずかひと登りで山頂。木の鳥居をくぐり、丁寧に作られた階段を登っていると、コンという音が響く。栗が落下してくる。今まさに目の前に。今落ちたばかりのイガの中には立派な栗が入っている。見ればあちらにもこちらにも。私たちはわぁーとかきゃーとか言いながら綺麗な栗をいくつも拾った。
しばし栗拾いに興じ、山頂を踏む。山頂にはなんだか不思議な形の塔が立っている。下から見ているときはなんだろうと思ったが、登ってみてそれが方向指示盤だとわかった。残念ながら今日は薄曇りで見えないが、名前の通り富士山も見えると書いてある。そして、愉快なのは、この方向指示盤には富士ノ塔山頂1000mと彫ってある。山頂の標高は確か998m、そしてこの塔は2mくらいあるかもしれない。足せば1000メートルということか・・・。なんだか建てた人たちの思いが見えてくるようで楽しい。
山頂からは善光寺平が見下ろせる。真ん中には犀川が悠々と流れている。夫は新幹線を撮影しようとカメラを持って待ち構えている。その間に私は山頂を取り巻く細い道や杉林の中をウロウロと歩き回って小さな秋の花に挨拶した。
もう花はあまり見られないと思っていたが、日当たりの良い草原にはまだピンク、紫、黄色、白などの花々が小さな花を咲かせていた。
山頂でのんびり過ごした後、もう一つ北のピークへ行ってみることにした。そこには巨石がいくつもあると里山の本に書いてある。わずかに下って、登り返すと、右にピークへ向かう道が分かれている。まっすぐ行くと反対側の登山口に行くようだ。私たちは右に折れ、ピークを目指す。木が倒れ荒れた道だが、踏み跡はある。そしていくつもの巨岩にお目にかかった。これは飯縄山の火山活動によってできた輝石安山岩だそうだ。なぜこの場所にあるのか不思議だと、本にも書いてあったが、飯縄山からこんな大きな岩が飛んできたのだろうか・・・。
巨岩の間を歩いて苔むした岩の面を眺めてから車に戻る。気持ち良い雑木林の下にはトリカブトやサラシナショウマが色鮮やかに咲き、キノコもたくさん見ることができた。
車に戻って地図とにらめっこ。来た道を戻るか、国見林道を反対側に降りるか。そういえば、富士ノ塔山は別名『国見山』ともいうらしい。昔山城があったそうだから、その見晴らしの良さで呼ばれた名なのだろう。
「国見方面へ行ってみますか」。道は同じように細く曲がりくねっていたが、所々広くなっている。かなり降りたところで浅間池の標識があったので、寄ってみることにした。車を置いて、針葉樹の切り開かれた道を進むとすぐに開けた。けれど、水は見えない。堰堤の跡らしき縁の中に窪んだ湿地。いや、タデやアシが茂るその窪地はもう湿原というには乾きすぎているかもしれない。それでも、周りにはツリフネソウやキツリフネがたくさん咲いているから、水の流れはあるのだろう。縁の道を進んでいくと丸い実がゴロゴロ落ちている。クルミだ。栗の次はクルミ、私たちは、今度はクルミ拾いに興じた。
少しぐらい疲れていても、寝坊をしても、長野の山は懐深く迎えてくれて、私たちは秋の山を二人じめしてたっぷり楽しんできた。