6月といえば梅雨。山々は恵みの雨を受けて花盛りとなる。例年なら、梅雨の晴れ間を見つけては山道を歩く季節だ。長野は内陸に位置するせいか乾燥している。市民になってから10年にも満たないが、この間、雨が続けて降ることも少なかった。ところが昨年の秋雨の頃から雨が多い。今年の春も雨の日が多かった。梅雨はどうだろう。
今年は久しぶりに海外旅行に出かけた。6月の前半は東ヨーロッパを旅して、長野とどこか似た雰囲気の自然の中で彼の地の花々を楽しんできた。しばらく留守にする間の庭の鉢を気にして行ったが、みんな元気だった。どうやらはげしい雨が降ったようで、草木が地面に近くなっている。
帰ってからも雨の日が多い。なかなか花を見に出かけられない。そんな中、長野の6月といえばこの花を見に行かなくては・・・と、雲の多い日だったが出かけた。海外への旅の途中の、冷房と気温の温度差、そして乾燥のせいか気管支炎になってしまい、帰国後数日は静養した。まだ咳と痰が残っていた。いつもの倍の時間をかけてゆっくり歩く。登っていくと、眼下に善光寺平が広がる。下がってきている重い雲の下に、東の山々が見え隠れしている。
やっぱり遅かったかな・・・と思いながら木々の下に目をこらす。あった。ウメガサソウ。小さな、小さな白い花がうつむきにぽっつりと咲いている。数年前に初めて見つけたあたりには少なくなってきた。ずいぶん減ったかなと思いながら登っていくと、以前にはあまり見られなかった上の道にも、何株も見つけることができた。範囲が広がってきているのかもしれない。これは嬉しいことだ。ゆっくり息を整えながら歩いているうちに体が温まってきた。小さな花を探しながら、山頂までの山道を歩き通すことができた。ウメガサソウはイチヤクソウ科だけれど、茎の先に一個の花をつけているものが多い。大きな双子の花をつけているのを見つけると、嬉しくなる。径1センチほどの小さな花なのに虫が蜜を吸っている。自然の営みの豊かさを感じさせられる。
ほとんど山歩きをしなかったと言っても、6月の楽しみを少しは味わうことができた。春、空を薄桃色に染めたソメイヨシノの実がこぼれている。甘酸っぱい実を味わいながら道をゆくのは、この季節の楽しみ。そういえばモミジイチゴは今年も実をつけただろうか。カバンの中のビニール袋を確認して、いそいそとイチゴの森を目指す。ところが、今年は残念ながら外れ年。いじけたような形の実をポツポツとぶら下げている枝をアリたちが忙しそうに往復している。良さそうな実をいく粒か口に入れ、ビニール袋は出番なし。
季節の味と言えば、久しぶりにヤマグワの実を見つけた。気が付いて頭上を仰ぎ見れば、ヤマグワの木がたくさんある。今まで見つけなかったのが不思議だ。幼稚園に通っていた頃、友達と道路脇の畑のクワの実を食べて、口の周りを赤くして家に帰ったことを思い出す。畑のものは勝手に食べてはいけないと、諭されたことも懐かしい思い出だ。
美味しい実のなる木は山にはたくさん自生しているが、たとえばトチノキの実を何個か拾ってきても、それを加工して食べるすべを知らない。たった数個では栃餅にはならないだろう。少しずつその場で味見させてもらえるものを楽しんでいる。
ナツハゼの花がたくさんついていた。夏には甘酸っぱい実を味わえるだろう。今年はどの枝にもびっしり花がついている。豊作になるだろうか。
市街地近くの6月の山道は木の葉が茂ってきて緑一色になる。山道も緑に覆われるようで、花は少ない。それでも背の高いハナニガナが風に揺れていると、その明るい白や黄色が遠くからでもよく見えて楽しくなる。
時々、紫の一群があってハッと見るとそれはウツボグサ。我が家の裏山ではイノシシに掘られてずいぶん減ってしまった。私もイノシシと同じで、足元ばかり見ているような気がする。森の春は、木々の花も豊かなのだが、高い枝の上で、小さな花を咲かせている木々の花は見えにくく苦手意識が強い。
もちろん目立つ花の木もたくさんあるから、仰ぎ見ることだってある。緑色の小さな木の花も、見つけたら、名前を呼べるようになりたいものだ。
目立つといえば、道を曲がっていきなり目の高さに揺れている花を見てギョッとするものがある。花には申し訳ないが、何度出会っても、一瞬息をのむ。それからホッとして、その造形の不思議さに目をこらす。クロバナエンジュ、最近増えてきたような気がする。
6月前半留守にしていて、帰ってきたら、庭のバラが満開になっていた。5月から咲き始めて、出かける前には大きな花が次から次へと咲き出していたが、帰ってきた時には小型のバレリーナや安曇野が枝を隠すように咲き競っていた。山のノイバラは残っていたが、我が家のノイバラはみんな散って、緑の小さな実をたくさん揺らしている。
自然の奥深くには、人の力の及ばないところがたくさんあるだろうが、歴史は人と自然の営みについて多くを物語る。善光寺三鎮守の一つ、湯福神社には樹齢800年などというケヤキが何本もそびえ、境内に立つと大きな自然の息吹を感じるところ。ここでは6月末に茅(ち)の輪くぐりの行事が行われる。カヤが手に入らなくなってきたため、今では竹で茅(ち)の輪を作るという。自然の移り変わりに対応しながら、人が知恵を絞って生きてきたことを、ふっと思う。