斑尾山のふところで遊んできた。標高はそれほど高くないけれど、どこか日本離れした開放的な高原の風景は私たちのお気に入りとなっている。以前は主にスキーをするために行くところだったが、孫を連れて百合の花を見に行ったり、アスレチックで遊んだりもするようになった。そして最近は、登山道わきの花々に会いに、湿原の花に会いに、そしてブナの森の空気を吸いに、時々訪ねるようになった。斑尾山を起点に信越トレイルが整備されていて、歩きやすいコースが新潟県の津南町まで80kmほども続いているそうだ。
長野に引っ越した年の秋、斑尾山に登ったのは落葉拾いのためだったような記憶がある。麓の山里の森にはたくさんの落葉が敷き積もっているから、堆肥づくりのためにもらってこようと考えたのだ。
飯綱町の三水(さみず)というところから山道をぐんぐん上り、斑尾高原に入っていく。高原に広がるゲレンデは、どこでも登山道のような明るさだ。さて、どこから歩き始めようか・・・。いくつものトレッキングコースがあるようだが、かえって決め手がない。高原ホテルの裏の広いゲレンデまで車で登ってみるが、どこに車を置いていいのかわからない。広すぎて、誰も車を置いていなくて不安。少し道を戻って、橋の脇の狭い空き地に停めることにした。そこからは林の中を登る。しばらく登ってから傾斜の緩い山道を、山を巻くように歩くと広いゲレンデに飛び出した。
ゲレンデはジグザグに高度を稼ぐ。木が切り開かれている斜面は人工的なのだけれど、見晴らしは雄大だ。どんどん高度を稼いでいくとお隣の新潟県の山々と、その向こうに日本海も見える。
その雄大な風景に、私たちは思わず歓声をあげる。誰もいないから「わぁ〜」と言い、「見て、見て」と叫ぶ。気持ちがいい。長野と新潟の県境の稜線から、日本海まで続くいくつもの出っ張りにもみんな名前がついているのだろうけれど、その山の名は知らないものばかりだ。
この辺りまではスキーで訪ねている。リフトで、最高地点まで上がり、山頂はどこかな?と、キョロキョロしたっけ。ゲレンデの周囲は森の中に深い雪が続き、どこがピークかはわからなかった。そしてすぐ下の急斜面を、へっぴり腰で滑り降りた。夫は私のようなへっぴり腰ではなかったけれど・・・。
リフトの山頂駅あたりについた。斑尾高原スキー場とタングラム斑尾スキーサーカスがこの辺りで合流している。どちらも回数は多くないが滑ってみた。今見回すと、山頂へはさらに稜線をたどっていくようだ。
雪の深さを思わせられる、ゴツゴツと曲がった木の幹を乗り越えたり、潜ったりしながら進む。山頂まではさほど長い道のりではなかった。たどり着いた斑尾山のピーク1382mは木々に囲まれていて、見晴らしは良くない。
そこで一服をして、さらに先へ進むことにした。標高は少し下がるが、西へ飛び出した稜線のピーク、大明神岳からは見晴らしが良いそうだ。
ブナの気持ち良い森を歩いていくと、足元の落ち葉がガサゴソと動いた。ヘビだ。じっと見ると、ヘビは焦ったように森の方へ進む。そして頭が落ち葉の下に隠れたところで止まった。ピクリともしない。シマヘビらしい。
「おいおいヘビ君、それじゃ丸見えだよ」と、夫。
なんだかユーモラスだ。このヘビ君の『頭隠して尻隠さず』は、その後も時々我が家の話題にのぼる。
なぜか、蛇を見ると蛇君と呼びかける。蛇ちゃんとは言わない。彼らの雌雄を知らなくても。猫を見れば猫ちゃんと呼びかけてしまう。フランス語など名詞に雌雄の区別をつける言語があるというが、「ふうん、そういうことなのかな」などと思う。ん?これがまさに蛇足!
じっと隠れた(つもりの?)ヘビにお別れして、緩やかな稜線を下ると目の前が開けた。目の下には青い野尻湖。そしてどっしりとそびえる、群青の飯縄山、黒姫山、妙高山・・・広い空の下に青い世界がどこまでも続いている。
この絶景を見ようと、野尻湖方面からここまで登ってきた人たちがいた。みんな言葉もなく美しい景色の中に身を置いている。ブナの葉が黄色に染まり始めている。赤いのはナナカマドだろうか。様々な木がそれぞれの色に変化し始めている。
山を歩いていると自然の多様さに驚く。私が無知というだけのことかもしれないが。植物も動物も、そして菌類も、最近では粘菌という存在についても知識を得た。斑尾山に登った頃は想像すらしていなかった自然界の不思議に巡り合っている。
ただ、様々な学者がその専門分野を研究していることで細分化された知識が、互いの関係性を忘れてしまわないようにと願う。この雄大な自然の中に立っていると、全てが一つのオーラとなって私を包み込んでいることを強く感じる。
自然と一体化したような満足感を懐に抱いて、私たちは再び斑尾山頂目指して引き返す。さすがにシマヘビはどこかへ行ってしまった。青い空と、うっすら色づき始めたブナの森を堪能し、ゲレンデにたどり着く。遠く日本海、きれいな三角の米山も見えている。
傾斜が緩むあたりにはススキ原が広がり、穂が光を反射して波のように揺れている。思わず「あ〜きれいだね」とつぶやいている。
私たちは最後の林道で、子供のようにキャーキャー言いながら積もった落ち葉を拾い、大きなビニール袋をぶら下げて車に戻った。
そのあと、飯綱町の高台にあるワイナリーに寄って、今宵のお供にと、ちょっぴり財布の紐を緩めてワインを買って帰ったことも付け加えておこうか。