「志賀高原は広いねぇ」。長野にやってきた友人たちと秋の高原の空気を吸いに行こうと、目指したのは志賀高原。車の中で高原の案内マップを見ながら、友人が呟いたのがこの一言。
「志賀高原は初めて」と言う友人をどこに案内しようか・・・。ユネスコエコパークの志賀高原には何度も足を運んでいる私たちも、充実しているトレッキングコースの一部しか歩いていない。案内するなんておこがましいのだけれど・・・自分たちも楽しみたいから色々考える。
生態系の保全と、持続可能な利活用の調和、つまり自然と人間社会の共生を目的としているユネスコエコパークだが、自然をそのままの形で残すことよりも困難なことではないかと思う。
さて、我が家のカレンダーの10月写真は紅葉に囲まれた澗満滝(かんまんだき)、志賀高原の入り口に展望台があるという。その写真を見て、ちょうど良い季節だからここへ行ってみようと友人が言う。せっかく行くのだからその後どこかへ行ってから帰ろうと決めた。横手山はどうかな、晴れれば北アルプスが見えるよという言葉につられて、友人たちも気持ちが動いたか、「行こう」とうなずく。
足に故障を抱えている友人は、高低差のある山道を歩く時はとても緊張するという。長い山道は難しそうだ。そこで前山リフトから四十八池までの湿原めぐりを考えたのだが、前山リフトの営業が前日に終了ということなので、急遽横手山に変更した。横手山は山頂までリフトで行けるうえに、素晴らしい大展望が望める。
当日の朝、行き先を決めるなどとのんきな話だが、心の中には行ってみたいところのメモが何枚もファイリングされているから、焦ることはない。横手山の山頂にはおいしいパン屋さんもあるし、志賀高原エリアには食事をするところもあるからと、おにぎりを持って行くのは止めた。たっぷり炊いたご飯は、帰ってから食べよう。
今年は志賀方面に何回か出かけている。なじみになった道を走り、中野市から国道292、別名志賀草津道路に入って行く。残念ながら今は草津白根山の噴火活動が活発なため一部通行止めになっているが、渋峠には行ける。
しかしまず、めざすは澗満滝。何度もこの道を通っているが、ここに車を停めるのは初めて。紅葉の美しい森の中をわずかに登ると、一気に目の前が開ける。山の傾斜が重なる向こうに一筋の水の流れ。木々の梢が幾様の色に重なりあって渓谷を縁取っている。全体に茶色がかっているのは、少しばかり季節に遅れてしまったのかもしれない。
展望台の下には炭焼ガマがあり、煙が昇っている。志賀高原一帯は昔から林業が盛んなところで、最盛期には年に2万俵もの木炭の生産があったそうだ。根曲竹、用材、薪材なども生産していたという。しかし終戦後、観光業へ移行するとともに忘れられてきた。そこで、平成2年に、炭焼きガマと竹切小屋をここに復元したのだそうだ。ここでは一カマで6俵の木炭がとれるそうだ。木酢液を販売していたので、少し購入した。庭の野菜の病害虫に使えるらしい。我が家では市販されている農薬を使わないので、うどん粉病などがつくことがあるから、ためしてみたい。
澗満滝を後にして、車はぐんぐん高度を増す。途中の道の脇にはいくつもの池が見え隠れする。恵まれた晴天で風もないため、紅葉した樹木を写して美しい。大きなカメラをぶら下げた人たちが池の周りを歩いている。
私たちは、周囲の風景を横目に眺めてぐんぐん登って行く。高度を増すと笹原が多くなってくる。光を反射するササの原をカンバの明るい幹が柔らかく覆っている風景はどこか暖かい。
横手山には『のぞき』からスカイレーターとリフトを乗り継いで行くコースもあるが、駐車場がいっぱいだ。私たちは、もうひと登りして渋峠に着く。
ここは長野県と群馬県の県境、私たちはここに車を停めて、リフトに乗る。ゆっくり登るリフトに揺られながら眼福を楽しむ。眼の下に緑濃く広がっているのはシラビソの森。遠く草津の山、新潟と群馬の県境の稜線、善光寺平から見慣れた山並みも、いつもとは反対の東から眺める。
リフトの上は風当たりが強い。太陽に照らされている時はいいのだが、太陽が雲の向こうに隠れるととたんに寒くなる。お日様は偉大だ。
山頂駅に着くと、山頂の大地が広がり、向こうに山頂ヒュッテが見える。見慣れた横手山の山頂だ。けれど、ふと見ると、リフトの左に『横手山神社、三角点→』の看板がある。横手山には何度も来ているが、三角点のある山頂には行ったことが無かった。ヒュッテに向かって歩き出した仲間に「私、三角点を見てくるから先に行っててね」と声をかけて、一人で神社の鳥居をくぐり、森の中の道を行く。
すぐそこかと思った山頂までは意外と歩数があった。誰もいない、山頂。素晴らしい眺めだ。仲間にもこの景色を見せてあげたいと思い、夫に携帯電話をかけたのだが、通じない。仕方がないから写真をいっぱい撮って行って見せてあげようかとあちらこちらを写していたら、友人がやってきた。
「よかった。電話したけれど、通じなかったのよ」と、後ろを見るが、彼女は一人だった。
「男性陣は?」と聞くと、向こうでのんびりしているらしい。私がこの風景を見せてあげたいと言うと、彼女もパートナーに電話してみた。今度は電話は通じたが、電波状況が悪いのかブツブツ切れてしまうと言う。私も脇から「おいでよ」と叫んだのだが、結局切れてしまった。
私たち女性二人で写真を撮り合ったり、風景を眺めたりしていると、話し声が近づいてくる。『あ、来たみたい』と思って見ると、それは全く見ず知らずの男女だった。
「こんにちは」と言いながらやって来た二人連れは、外国の人、上手な日本語で挨拶して風景を眺めている。
私と友人も、絶景に感動して「笹原が光っていて、なんてきれいなの」などと話していると、外国からの客人も、ニコニコして「きれい」と言う。
「日本語お上手ですね」と話しかけ、旅行か住んでいるのか聞くと、旅行と言う。オランダから来たと言う。どこに住んでいるかと聞かれ「長野」と応えると、「セン、セン・・・」と何かを伝えたい様子。スマホの画面を操作して、画像を見せてくれる。
「善光寺!」と言うと、嬉しそうに「イエス、善光寺。ワンダフル」と笑顔。
私が善光寺の近くに住んでいると言うと、すてきねと言う。そんなやりとりをしていたら、向こうから足音が聞こえて来た。今度こそ私たちのパートナー。
「あ、夫が来たみたい」と言って、紹介し合った。
私たちが風景に見とれているうちに彼らは「さよなら」と言って帰って行った。山が大好きと言った二人連れはすてきな空気を残して行った。
私たちもしばらく風景をながめた後、山頂ヒュッテに入ることにした。11時、まだお昼には早い時間だけれど、軽く食べようかとパンを選ぶ。標高2307mの山の上で焼いているとは思えない、しっかりした味、一緒に頼んだコーヒーも、ていねいにいれてあって美味しい。
山頂ヒュッテのテラスは素晴らしい展望台。北アルプスの北部が美しい。しばらく展望を楽しんで、私たちは再びリフトに乗った。遠く群馬や新潟との県境方面の眺めを楽しみながら、渋峠まで天空のゆらり旅。
車に戻って、来た道を下り始める。湯気がモクモク上がっている平床大噴泉に立ち寄る。近くの温泉に、ここから湯を引いているようだ。小さな流れが脇から出ているが、触ると熱い。大きな岩で囲まれた源泉からは常に湯気が立ち上っている。友人が早速お茶目に岩に登る。横になって、『ア〜いい湯だな』?
少し遊んでから木戸池に行ってみる。朝、道路から鏡のような水面が見えたけれど・・・。少し風が出て来たけれど、まだ水鏡は周囲の紅葉を写していた。シラビソのきれいな緑と、カンバの明るい幹、そして少し遅いけれどまだ残る紅葉。いくつかの色が青い空のもとで迫ってくる。池に写る空は、深く、神秘的だ。
しばらくただ立って眺めていたけれど、さぁ、行こうか。
さらに下って、今度は田ノ原湿原に向かう。カラマツの原生林が黄金色に染まっている。草紅葉は終わりかけているが、清々しい空気の広がりを肌に感じる。私たちは湿原の真ん中でおやつを食べた。他県に住む友人たちとはゆっくりおしゃべりすることも少ない。お互いの家に行って過ごすことも楽しいが、青空の下、標高1610mの雄大なサロンで過ごすひとときは、また格別だ。太陽が頬をなでると暖かい。向こうのススキの穂もキラキラ輝いてくる。
いつまでもいたいと思いながら、ゆっくり帰り支度を始めた。