「八方尾根に行きませんか?」山梨に住む友人からのメールが飛び込んだ。日本全国猛烈な暑さ、長野も連日快晴。この酷暑がいつまで続くか分からないけれど、2千メートルの山の上に涼を求めて出かけることにした。
ゴンドラ乗り場で待ち合わせ、久しぶりのおしゃべりの花を咲かせながら、ゴンドラと二つのクワッドリフトを乗りついで行く。広いゲレンデは一面お花畑だ。黒菱平から次のリフト乗り場までは小さな鎌池湿原があり、前回来た時(2015.7.22)にはニッコウキスゲが沢山咲いていたが、今年は一面緑でコバイケイソウがもう実になっている。夏リフトは低いところを進むので、お花畑を揺らしながらゆくようだ。白いトリアシショウマ、オレンジのクルマユリ、ピンクのシモツケソウ、紫のクガイソウ・・・息をのむ。
八方尾根は長野冬季オリンピックの会場にもなったところで、ロングコースが魅力的なスキー場だが、尾根を上り詰めると唐松岳、そこから左右に続く稜線は後立山連峰の峻嶮な岸壁で、登山者のあこがれを集めている。
私たちが唐松に登ったのは二十年も前。ルンルン登ってその日のうちに降りてきた。若かったんだ・・・。スキーで最上部の八方池山荘まで上がったのも同じ頃、オリンピック滑降の選手が数分で降りるところを半日かけて滑り降りたっけ、懐かしい。
今、私は膝にサポーターをつけてゆっくり登る。友人も膝に故障を抱えていると言うから、まぁよいパーティなのだろう。
リフトを降り、八方池山荘の前から歩き始める。人が多い。混雑を嫌って平日を選んだつもりだったが、なんと学校登山が2組もあるようだ。きれいに敷かれた木道を1列になって登る。木道は平行して敷かれているので、すれ違いができる。一部の元気な中学生が「こんにちは、こんにちは」と、山のあいさつをしているが、あまりに人数が多いのですれ違っても「こんにちは」と声を掛け合うことはない。仲間同士のおしゃべりの声が賑やかだ。
歩き始めるとすぐ、左に視界が開ける。スマートな鹿島槍ヶ岳の双耳峰が、ここから見るとどっしりしている。ゴツゴツとした五竜岳は、大遠見山から続く長〜い尾根を従えていて、わずかに盛り上がっているところが小遠見山か、あそこまで行った日も暑かった(※)。ここから見れば、稜線上の点のような出っ張りでしかないけれど・・・。 (※ 五竜小遠見山2007m)
一面のお花畑の中を友人と歓声を上げながら進む。色が鮮やかだね〜。大柄な花は人目を惹くが、草の影に隠れているような小さな花も大好きだ。ハッポウタカネセンブリはとてもきれいな青い花だけれど、小さくて、草にもぐって咲いていることも多いので、その前で立ち止まる人はいないようだ。隣のミヤマアズマギクを指差す人はいても、きれいなピンク色のユキワリソウに目を止める人が少ないのは、とても小さいからか。ミヤマリンドウの深い青も美しいが、気をつけて草の中をのぞかないとなかなか見つけられない。
ヨーロッパアルプスでは1種しかなくて有名な『エーデルワイス』の仲間ウスユキソウは、日本では山域ごとにと言えるくらい何種類もある。その地味で清楚な姿が好きなので、色々な山に行って見てきたが、遠見尾根に『ハッポウウスユキソウ』という名札があって、私は初めてその名を知った。今回八方尾根にも名札があったのだが、あまりに個体差があり、私にはどれがハッポウウスユキソウなのか、分からなかった。
私が花の写真を撮るのが好きなことを知っている友人は「あれ、今日は撮らないの?」と、冷やかす。「撮りたいのだけれど・・・」と私。「ゆっくり撮っていいよ、急ぐ旅じゃなし」と言ってくれるのだが、前を見ても、後ろを見ても登山道には人の行列ができている。木道にしゃがみ込んで花にカメラを向けていると、後ろから来た人が立ち止まってしまう。山に来る人はみなそこで怒ったりはしないのだけれど、リズムが狂ってしまうことは確かだ。
まぁ、それでも人の隙間を見つけて花の写真もいっぱい撮ったかな。
気軽に歩ける、風景も花も美しい素晴らしい尾根だから、人が集まるのは仕方がないのかもしれない。けれど、クラスごとに行列になってなんだか訓練のように同じ速度で登って同じところで並んでおにぎりを食べて・・・いる、中学生の集団を見ると、どこか落ちつかない気分になる。学校というところが子どもたちに用意できることって、こんなに画一的なことだったろうか。願わくは、せめて子どもたちがこの素晴らしい風景を存分に味わっていますように。そしてこの大きな自然の中で、自分自身を感じて欲しい。
雪渓が残っているところにはチングルマ。赤い綿毛の実が風に揺れ、遠くには淡いクリーム色の花が絨毯のように広がっている。
空は青く、山々は高く、花々は緑に映え、というと芝居の書き割りのようだけれど・・・。言葉にすればあまりに当たり前の今日の風景が、なんと心地よいのだろう。木道が終わると岩のゴロゴロする山道になるが、2列縦隊という姿はなくなって三々五々登って行く。傾斜も急になるので、友人が「少し休憩しよう」と言う。八方ケルンのあたりは少し広くなっているので、ケルンの陰に腰を下ろす。ワレモコウが風に揺れている。友人が今年はあまりに暑かったからか、庭のワレモコウがぐんぐん背伸びをしていると笑う。
ケルンからひとがんばり。雄大な白馬三山のつらなり、不帰ノ嶮のとんがった岩と雪渓を背景に八方池が見おろせる。岩尾根も広くて、山頂の趣がある。あちらこちらで腰を下ろしてお昼にしている人たち。私たちも石に座り、おにぎりを食べることにした。今日は現地集合だったから、おにぎりは各家の味。我が家は毎度のミョウガ味噌漬け、友人はごぼうの味噌漬けとトロロ昆布の組み合わせが意外といけると言う。夫が丹精したトマトや、それぞれの味の漬け物、元気の出る甘いものと、やはり青空の下の食事は特別製の調味料付きのようだ、うまい!
「あ、あれは?」今来た第三ケルンの稜線の上に鮮やかな色彩が舞っている。鳥じゃない。人が乗っているよ、あれはパラグライダーだね。見ているうちにもう一機、優雅に空を舞っている・・・ように見えるけれど、スピードはかなりある。恐がりの女性陣は、見ているだけでも緊張している。「見ているだけならいいけれど、絶対やりたくないね」と言いながらも、恐いもの見たさなのか、しばらく目が離せない。
食後は八方池に降りてみる。今日は風もないから、逆さアルプスが期待できる。ふと見ると白馬の頂にはわずかに雲が湧いている。急ごう。
つい最近まで雪があったような斜面と小さな池を越えて八方池の東側に到着。目の前に逆さ不帰ノ嶮がきれいだ。池はそれほど大きくないのに、雄大な風景を映していると池まで大きく見える。友人と写真を撮りっこする。普段夫と二人で山歩きをしていると、素敵な風景のところでツーショットを撮るのは難しいから、今日は交替で撮る。そしてそれだけではなく、近くにいたお姉さんにお願いし4人全員で「ハイチーズ」、せっかくだからね。
少し登って降りて、池を一回りする。八方池北側に降りて行く斜面にはクガイソウがどこまでも紫の風を送っている。できるなら、いつまでも眺めていたいような風景。
目を移すと池の表面には小さな昆虫がすいすい走っている。ミズスマシだろうかと話している友人たちの声を聞きながら、ぐるりと360度回転してみる。池のほとりには飯森神社奥社の小さな祠が祀られている。
八方池を訪ねること何度目かで、美しく池に写る山並みを見ることができた。贅沢な時間だ。
唐松岳まで行った時はライチョウがいたよ、ライチョウが住むエリアなんだ・・・ゆるゆると会話しながらの下り道。日傘か、杖か、大きな傘を持ってきた友人は「雨降らないかな〜」と言って睨まれている。前回はちょうどこの辺りで雨になり大変だったんだよ、すぐ止んだからよかったけどね。
雲が遠くの山の峰にまとわりついているが、今日は気持ちよい晴れ、友人が傘を開くとメリー・ポピンズ男性版だ!
ゴンドラの山頂駅には美味しいコーヒー屋さんのスタンドができていた。疲れた体にうまいコーヒー、ゴンドラに揺られながら・・・、下界はすぐそこ。