体のあちこちが痛くなったり、疲れやすくなったり、若い頃はなんということもなかった長時間の外出が億劫になったり・・・これが『歳を重ねる』ということなのだと、じわじわと実感されてくる。しかし一方で花を恋う気持ち、稜線を歩きたい気持ち、頂の空気を思いきり吸いたい気持ち、そして知らない土地を歩きたい気持ちが体の中から湧いてくる。
アンバランスな自分をちょっぴり持て余しながらも、体は前へ前へと動き出す。
「ちょっと標高の高い山へ行きたい」と言ったのは私。梅雨にしては雨が少ないが、一日晴れという予報も少ない中で、晴れそうな日には山へ行こうと話している。長野の自宅から日帰りで行ってこられる山、朝の洗濯もして、おにぎりを作って・・・などと贅沢なことを言っていると、どうしても近くの里山になる。もちろん里山も大好きなのだが、標高の高いところに咲く花にしばらく会っていない。2千メートルを超える山に、それも花咲く季節にしばらく登っていない。
夫が色々探していたが決め手がなく、私が以前から一度行ってみたいと話していた高峰高原に向かうことにした。
長野市内は通勤ラッシュが残っていて少し渋滞していた。長野インターから小諸インターまで上信越自動車道を走る。ここからチェリーパークラインという道を車坂峠まで登るのだが、助手席でナビをしている私が道を間違えて菱野温泉への道に入ってしまった。細い温泉までの道を走り、遠回りしてチェリーパークラインに入った。
「標高は高いが、車が登ってくれる山だね」と話しながらぐいぐいと登って行く。車坂峠にはもうたくさんの車が停まっていた。何組かのグループ姿もチラホラ見える。夫がこの山行を少し渋っていたのは、『シーズンには沢山の人が訪れる』という案内文を見たから。以前行った山で学校登山やツアー登山のグループに何組も出会ったことがあり、懲りていた。
しかし歩き出してみたら、あれほどの車の人たちはどこへ消えたのだろうと思うくらい、静かだった。私たちは林道を高峰温泉に向かったが、多くの人は浅間山方面に行ったようだ。
青空の下20分ほど林道を歩き、ひっそりと立つ高峰温泉に着いた。ランプの湯と書いてある。ここで足りない水分を購入して水ノ塔山への登山道に入る。この辺りはカラマツの自然林、きれいな若緑の新芽が伸びてきている。カラマツと言えばすっくとまっすぐ伸びている姿を思い浮かべるが、この森のカラマツは背が低くボコボコと不格好だ。けれど、風雪に耐えてきた大木という感じになぜか親しみを感じる。足元にはもちろん絨毯のようにカラマツの落ち葉が敷きつめられている。火山らしい岩がゴロゴロしてはいるが、落ち葉の積もった道は足に優しい。
歩き始めてすぐ、イワカガミの赤い色が目を惹く。マイヅルソウはまだ蕾が多い。凛と立つツマトリソウ、小さな花火のようなミツバオウレンもまだ咲いている。しばらく登ると、ツガザクラが一面に小さなツボ型の花をぶらさげていた。そしてコケモモも負けずと葉を広げ、小さな花を密につけている。
車が高いところまで登ってくれたから、足で稼ぐ高度はさほど大きくはないのだが、それでも高度を上げて行くと視界が開けてくる。後方には黒斑山、高峰山が見えている。
木々が薄くなり、大きな岩が転がっている稜線に出る頃からキバナノコマノツメが鮮やかな黄色に光っている。春の早い季節に咲く花なので、なかなか会えなかった。
野の花が好きな私は、花を見つけるたびにワァーと喜びの声を上げる。そして一つ一つ名前を書き込もうとしてしまう。きっと花の名前なんか知らなくていいという人もいるだろうなぁ・・・と思う時もあるし、そう言う自分も、名前を知らなくても目の前の花をきれいだなぁと思えればそれでいいじゃないかと思っているところもある。それでも名前には人々が慈しんできた歴史が隠れていると思うので、知っている花に会えば思わず名前を口ずさむ。
イワカガミの花は途切れることなく続いている。ツガザクラも、マイヅルソウも、森の奥にどこまでも続いている。
一回少し下り、鞍部に降りるが、その後はこれから行く篭ノ登山まで続く稜線が見える岩ゴロの道になる。ほとんど人に会わないのだが、同じようなゆっくり歩きで登る夫婦らしき二人連れとは話し声が聞こえてくるくらいの間隔で近寄ったり離れたりした。そしてついに追い越す。彼らはスマホを操作し、「花の名前が分からないので調べているのですが、なかなか見つからなくて・・・」と言っていた。お先にと、あいさつして先へ進む。
「花の名前を知りたいっていう人がやっぱりいるんだね」「だから、時々立ち止まっていたんだね」などと話しながら登る。前方の稜線には赤ゾレの痛々しい姿も見えるが、今登っている岩場はいかにも火山で積もったというような大きな岩がゴロゴロしている。所々ザレ場もあるので気は抜けないが、岩登りの楽しさを味わえる。岩陰にもイワカガミの赤い花、ツガザクラの白い花は絶えることなく咲いていて目を楽しませてくれる。水ノ塔山の山頂近くなった頃には目の高さにアズマシャクナゲのピンクの花が見えてきた。
シャクナゲが好きな夫は大喜び、濃い緑の肉厚な葉の向こうに隠れるようにして咲いている花を写真に収めようと、苦労している。日当りのいい南斜面なので、花は終わりかけているものが多い。まだ6月になったばかりなのにもうおしまい?ずいぶん早いね。でも会えたから良かったねと言ううちに水ノ塔山の山頂だった。北側に木が茂り、ほとんど広さのないそこは初め通過点のピークかと思った。ふと横を見ると道標だと思った木の板に《水の塔山2202M》と書いてある。「え、ここって山頂なの?」と、素っ頓狂な声を上げてしまった。
おにぎりを食べようと思うが、山頂は狭いし日を遮るものがないので暑い。そこで裏の森の方に行って木陰で食べようと話しながら、北側に回った。数歩下ったところに苔むした棚のような場所があったのでそこに座ることにした。
そしてびっくり、そこは一面シャクナゲの枝に覆われていた。まだ濃いピンクの蕾、みごとに開いた淡いピンクの花びら、様々な色のアズマシャクナゲの花がずっと奥まで続いている。私たちは大喜びで座り、花の下でおにぎりや柑橘類を楽しんだ。
さっき苦労して撮ったけど、こんなに沢山咲いているんなら、変な姿勢で撮らなくても良かったねと苦笑。
昼食の後は、楽しい稜線歩きだ。青空のもと、シャクナゲの続く稜線を東篭ノ登山めざして歩く。左下には湯ノ丸高峰林道が見えている。下から見上げた時にも赤く崩れた崖が見えていたが、赤ゾレと呼ばれるその上は迫力がある。数カ所崩れているところがあるが、今日は晴れているので気持ちよく歩くことができた。雨もようの日はちょっと怖いかもしれない。
途中十数人の小さな団体とすれ違ったが、他には人がいない。登る途中で追い越した二人連れも追いついてこない。最近の私たちは、追い越されることはあっても追い越すことはなかったので、いずれまた追いつかれるだろうと思っていたのだが・・・。
東篭ノ登山までの最後の登りは、水ノ塔山とは異なり、森の中だ。私たちが山頂に飛び出すと、首からガイドの名札をぶら下げた人が一人立っていた。その人にシャッターを押してもらって二人の写真を撮った。
岩ばかりの山頂は360度の展望。浅間山の山頂も近い。昨年登った烏帽子岳もよく見える。見渡して深呼吸。ひと休みして、今度は下に見える池の平湿原に向かうことにした。
岩場を歩き始めてすぐ「あっ」と、夫。「抜けた!」持っていたストックの先のゴムが岩に引っかかって抜けてしまった。二人で岩の間の小さな石を動かして探したが見つからない。諦めかけたとき、夫が「あった」と叫ぶ。手には真っ白に砂がこびりついたゴム。「それじゃないよね」「誰かが前に落としたものだね」と顔を見合わせる。着けてみるとぴったり、これをもらって行こう、取りあえず使えそうだ。
再び、気持ちのよいカラマツなどの森を下り、池の平湿原への入り口に着く。ササが広がる乾いた湿原だが、とても広いから気持ちよい空間になっている。湿原を横切り、三方ヶ峰に登ると、もうコマクサが花をつけていた。高山植物の女王と言われるが、確かに風格がある。
さて、ここからは林道を歩くしかない。車坂峠まで、さっき稜線から見おろした林道をてくてく歩いた。午後4時を過ぎるとさすがに通る車もほとんどいない。砂利がゴロゴロして歩きにくいが、道端のシロバナヘビイチゴの群落が目を慰めてくれる。どこまでも、どこまでも白い縁飾りが続く。草の間にオオヤマフスマの小さな白い花も星のように見える。もちろん見上げれば赤い崖が大きく立ちはだかっている。所々崩れ落ちていて怖い。てくてく、てくてく1時間10分、ようやく車にたどり着き、夕方5時少し前、帰路に着く。
湯ノ丸に回って、大好きなチーズ屋さんに寄って帰ろうかと話していたが、遅くなったので来た道をまっすぐ下ることにした。ところが、途中のサービスエリアで良いものを発見した。大好きなチーズ屋さんのチーズカレーが冷凍で販売されていたのだ。
今日の夕食はこれで決まり!