我が家からは比較的近い松代の奥に、バイモが群生する山があると知ったのは昨年末。4月の半ばに満開になるというから、来年は行ってみようと話していた。
3月になると春を飛び越してしまったように一気に暖かくなった。花々は例年より10日ほど早く見頃を迎えている。「バイモも早いかもしれない。行ってみよう」と、夫。
国道403号を南下、上信越自動車道の下をくぐってから山道を登る。桜の大木がみごとに空に広がる妻女山(411m)の展望台には、車は我が家の1台だけ。
靴を履き替えて歩き始める。標識に従って林道を行く。舗装してないので、轍のあとが大きく窪んでいる。車では走りたくないが、歩くには面白い。林道の両脇は緩やかな傾斜地が広がり、林の木々もまばらなので明るい雰囲気だ。しばらく歩くと道は分かれ、私たちは<斎場山→>の案内に従って直進する。わずかに登るとこんもりした斎場山513mの山頂に着く。第4次川中島合戦で上杉謙信が本陣としたと伝わるそうだ。山頂が円形にこんもりしているのは円墳(斎場山古墳)だそうで、なるほどと思う。
さて、ここから引き返し、さっき分かれた天城(てしろ)山方面への林道を進む。
しばらく歩くと堂平大塚古墳への分かれ道、立派な標識があった。私たちはまっすぐ先へ進む。目の高さには赤い小さな羽子板の羽のようなミヤマウグイスカグラの花がポチポチと見える。足元にはわずかにスミレが咲いている。ボコボコした林道をさらに進むと、ようやく山道に出会った。ゆるやかな稜線を行く。落ち葉が積もった道はまだまだ冬のなごり。ダンコウバイの黄金色の花の塊が散らばっている枝の広がりを見ると、春の訪れを感じることができる。キブシも花穂を揺らしている。
この辺りまで来て、「あれ、バイモが咲くところはどこ」。地図を見ると、通り過ぎてきた古墳への分かれ道より下になるようだ。「帰りに見ようか」と言う夫にうなずき、まずは山頂に立つことにした。
なだらかな稜線の道、霞んでいるが空はどこまでも青い。気持ちよく歩いて行くと登山道の標識が左に巻くような分かれ道に出た。天城山の山頂を巻く道らしいが、ここはやはり山頂を目指す。急な道を一気に登ると丸い山頂に着く。ここも古墳(坂山古墳)で、石室のあとらしい窪みが見られる。このような山の上の石積みなどを見ると、重機も無かった昔の人々の知恵や工夫の深さに敬意を感じる。そして同時にその時代の庶民の苦しさも感じてしまうのは私だけだろうか。権力を行使する者の下には沢山の労働者としての民がいたのだろう。
私たちは天城山を降りて、先の鞍骨(くらぼね)山を目指す。さっき分かれた巻道と合流、二本松峠を過ぎまっすぐ進む。森には太い蔓植物が沢山見える。巻き付かれてねじれるようになっている木や、しめ縄のような渦巻き状の蔓が個性的だ。
しばらく行くと道の端に広く緑の群落、これはヤマトリカブトだ。花の季節には紫がきれいだろう。今は緑の中にカタクリのピンクが点々と見える。
きれいな三角の頂が次第に近づいてくる。目指す鞍骨山も城跡。三角に見える本郭は何段かに積み上げられた要塞で、石垣も見える。山頂へは右手南面を巻くように登って行くが、急斜面に足の幅ほどの落ち葉に埋もれた道が続いている。手がかりにできるような木もほとんど無いから一歩一歩ていねいに登って行く。ほとんど半周して反対側の石垣からひょっこり山頂に飛び出すと「天空の山城鞍骨城跡」の看板が迎えてくれる。丸い山頂からはあまり見晴らしはよくないが、北に蛇行する千曲川と善光寺平方面が見える。木々に葉が茂る前のご褒美だろうか。北側の小高いところでご褒美の展望を楽しみながらおにぎりを食べる。今日は誰にも会わない。
昼食を済ますと、来た道を戻る。急斜面は下りが怖い。幸い乾燥しているので滑りにくいが、積もった落ち葉は油断できない。私たちはゆっくり足元を確認しながら下った。
さて、いよいよバイモの群落を探す。堂平大塚古墳への分岐点から右方面を見ると、緩やかな高台に緑の叢が見えている。ワクワクしながらわずかに登ると、緑の塊には小さな釣り鐘のような花が沢山咲いているのが見えてくる。満開にはわずかに早く、まだ小さな蕾が沢山風に揺れている。そっと中をのぞくと面白い編み模様が見える。バイモの別名が編笠百合だというのがうなずける。
ここは陣場(馬)平といって、上杉謙信が斎場山の次に本陣を構えたというところ。昔、薬草畑だった名残のバイモ群落だと言うが、ヤブになって絶滅しかかっていたのを復活させたそうだ。
太い木の根元に20㎝はあろうかというトカゲが2匹追いかけっこをしていて、なんだか微笑ましい。トカゲの鬼ごっこを眺めていると、「あれ?」と夫の大きな声。「僕たち、いまどこにいる?」と、変なことを聞く。「ワープしちゃった?」
指差す先には山火事注意の看板、そして、そこには『神奈川県』の文字が!私たちは何度も首を傾げながら帰路に着いた。