我が家から一番近くて、高山の雰囲気を味わえる山と言えば、やはり飯縄山だろう。車で30分、登山口の一ノ鳥居駐車場に着く。長野市の北にそびえる飯縄山は、市内から優雅な姿を望むことが出来、市民に親しまれている。
長野に引っ越してくる前に一度、市民になってから二度登っている。5月に登った時は早春の小さな花たちが林床を飾り始めていたが、山頂にはまだ雪が沢山残っていた。8月には期待以上のお花畑が広がっていて大喜びしたのだが、カメラを忘れて行ったので、ほとんど写真を撮ることが出来なかった。携帯のカメラでちょっとだけ撮ったっけ。
初めて登ったのは20年ほど前の11月だった。山の空気は澄んでいて飯綱高原から戸隠高原に続く森林が足元に波打つように広がっている様は言葉をのむほど美しかった。そして、遠く遥かに日本一高い富士山が見えていた。もちろん北アルプスの槍ヶ岳、穂高連峰も見えていた。11月ともなれば、高山は雪をかぶり、飯縄山も上の方はうっすらと雪化粧をしていた。まだ若くて山やスキーに出かけることが多かったから、寒さを物ともせず、雪の上を歩くことを喜んでいた。
そう言えば、この時は山頂の看板表記が『飯綱山』だった。飯綱高原や飯綱町と同じ。今はお山だけが『飯縄山(いいづなやま)』!
さて、今回は紅葉が期待できそうだ。今年の夏は夫の体調が悪く、あまり山歩きをしていない。それでも何回か歩いているのだが、友人に「ロープウェイで行くところばかり・・・」と笑われるしまつ。運動不足は否めない。晴れている日の朝早めに家を出て、一日かけてゆっくり登ってこようと話しながら出発した。
一ノ鳥居の駐車場は広い。公園の中のフカフカした道を別荘地の奥の鳥居まで行く。とても小さなイガイガが沢山落ちている。よく見ると中には小さな、小さなクリが入っている。思わず拾いながら苦笑する。こんなことをしていたら、山頂に着くのは夜になっちゃうかもしれない。後ろ髪を引かれながらも「帰りにね」と言いながら先へ進む。落ち葉の下には赤いキノコもたくさんある。大きくなって、傘が崩れてしまっているものもある。自然の生き物たちは季節の移っていく様をちゃんと知っているんだなぁ。
鳥居を過ぎるといよいよ山道だ。たった3回しか登っていなくても、なんだか懐かしい道。カラマツの葉が散り敷いた歩きやすい道をゆっくり登り始める。そろそろ仏様があるかしら・・・と思う頃に1番の石の仏様が見えてくる。仏様は道々続き、13番まで私たちを見守ってくれている。
森は黄色が勝っている紅葉に染まり、華やかだ。所々に赤い葉が固まっていて目をひかれる。高度を上げて行くにつれネバリノギランやイワカガミの花穂が茶色く枯れている姿が多くなる。シャクジョウソウも茶枯れてツンツン立っていた。ギンリョウソウよりずっと小さい壺を上向きに掲げているのがかわいい。
10月の3連休、今日は体育の日だからか登る人が多い。最近は若い人にもたくさん出会うようになった。私たちは追い越されるのみ。
若い頃は山頂に立ちたいという気持ちが強かった。ピークハンティングというのか、途中の景色ももちろん楽しむけれど、たとえ雨に降られても山頂を踏んでこなければ山に行った気にならないというような気分があった。今だってもちろん目指した山の頂には立ってみたい。けれど、途中の自然の様々を沢山楽しみながら歩きたいから、急がない。足が弱ってきているから・・・というのが正直かもしれないが。
それでも、足が弱ったから山に行けないと思うのではなく、足が弱って早くは歩けないから途中での楽しみを深く味わうようになったのだと考える方が楽しい。
私は山に咲く花が大好きだ。いつか会ってみたいと思いながらまだまだ会えない花がたくさんある。だから、花の多い春から夏の山を歩くのが好きだ。とは言え、もちろんそれぞれの季節の楽しみがある。秋の山は澄んだ空気の下、紅葉の華やかさと遠く見晴らしのよさがいい。冬山は怖くて奥に入っては行けないが、純白の雪を抱いた神々しさは、見るだけで震えるほど美しい。私の見る冬山はスキー場からか、残雪期の前山辺りからなのだけれど、それでもその美しさの前に立てば、冬山に挑む人たちの気持ちはわかる。
そしてもちろん秋の山に咲く花もある。ヨメナやアキノキリンソウが道の脇を彩っている。
高度を上げていくと、私たちの身長ほどもあるオヤマボクチが大きな花穂を掲げている。巨大なアザミのような花だ。残念ながら多くの花穂は茶色く変色して倒れかかってきていた。けれど、斜面には長さ30㎝もある大きな葉がまだ沢山残っていた。地方によってはこのオヤマボクチの葉を蕎麦のつなぎに使うそうだ。小麦粉より強く、歯ごたえがあるという。
私たちはオヤマボクチの葉と自分の顔を並べて、大きさ比べをしたり、背の高い花穂と背比べをしたりしながら紅葉の森の中を登っていく。
11番の仏様の前は駒つなぎの場としてやや開けている。腰を下ろして小休憩をする。若い男女が休んでいたが、キューリの浅漬けをたくさん持って来たと、お裾分けをいただいた。山でいただく水分の多い野菜や果物は疲れを取ってくれる。
仏様の祀られている森を越えると、水場がある。登山道の奥に小さな流れがあり、手を洗うと気持ち良い。そこからわずか登ると、また水場があった。今度は立派な木の看板がある。『富士見の水場』と書いてあるが、脇にマジックで「飲めない」「×」などとたくさん書いてある。飲用としては良くないのだろうか。後ろから来た若者たちが「沸騰させてしか使えないのか〜」「さっきの水場はどうだったんだ?」などと、大きな声で話している。みんな同じことを考えるものだと、思わず笑ってしまう。
森はシラカバからダケカンバと様相を変えて、だんだん丈が低くなって来た。カンバは落葉がすすみ、光の多い明るい森になっている。
戸隠方面からの登山道との分岐点に出ると一気に視界が開ける。山頂手前の飯縄神社のピーク1909mが見える。この辺りには大きな岩がゴロゴロしている。火山によって出来たことがうなずける。ただ初めて登った頃より、灌木が丈高くなっているように思えた。もっと一面草と岩の斜面だったように思う。木々が生長したのだろうか・・・。
初めて登った11月初旬に遥か遠くまで見晴らせたので、今日も期待して来た。けれど、近く、遠く、雲が周囲に遊んでいる。空気もどこか湿り気を帯びている感じ。近くに見えるはずの戸隠連峰も、白馬三山も雲の向こうだ。
今日はもう遠景は望めないかと思いながら高度を上げてきて、ふと後ろを見ると遠く雲の上に槍のとんがりが見える。穂高連峰が続いている。まだ、雪はかぶっていない。槍、穂高の山なみだけ、雲の上に青々と横たわっている。元気が出た。
ここまで来れば、山頂までは一息。残念ながら、妙高方面は深い雲の中。岩がゴロゴロしている山頂には人が沢山いた。ちょっと早いお昼時、私たちも座っておにぎりを食べることにした。山の上で食べるおにぎりは最高!
けれど、そうこうしているうちに薄墨色のガスが山頂付近を取り巻いてフワフワと移動してきた。さっきまで見えていた後立山連峰の山頂部がどんどん隠されていく。せっかくの山頂も見晴らしが無ければつまらない。長居は無用と下ることにした。
下るにつれ、再び視界が開けてきた。どうやらいたずら雲は山頂部辺りに遊んでいるようだ。私たちは様々な木や草の実を楽しみ、枝の向こうに広がる高原を見おろしながら、来た道を戻った。