晴れた日にちょっと高い山に登ると、展望を楽しむことができる。あまりたくさんの山を知らない私たちだけれど、山並みに囲まれた山頂にのんびり座って、おにぎりを頬張りながらの山座同定は魅力的だ。長野の山から見えるのは北アルプス、八ヶ岳、浅間連山、菅平、志賀などの山々。これは自分がわかる山を上げている。鹿島槍ヶ岳、槍ヶ岳などの独特な山容はまず目を惹く。そしてどっしりと広がる八ヶ岳連峰、その北の端っこにぽっかりと飛び出した蓼科山。なんだか懐かしいような山の形だ。どこから見ても「あれは蓼科山」と指差している。
蓼科山に登ったのはもうずいぶん昔のことだ。とにかく忙しい日々だった。土曜日の昼、溜まっていた仕事を片付けて出発した。1日目は諏訪のホテルに泊まった。諏訪湖周辺のホテルは温泉を引いているので、ゆっくり温泉に浸かることができる。
翌朝、7時にホテルを出発、大門街道から夢の平林道を走って七合目に車を停める。靴を履き替え歩き始めたのは8時20分。八ヶ岳は人気の山岳地、北から南まで麓にはたくさんの観光施設がある。けれど、私たちはあまり訪れたことがなかった。リゾート地というイメージから、明るい高原や林の中を登り始めると思っていた。
ところが、いきなり深い針葉樹の森、暗い程だ。たくさんの苔がびっしりと覆う岩の道をゆく。森の中にはオサバグサがポツリポツリと咲いている。カニコウモリも咲き出したようだ。登山道の淵には小さな艶のある葉がびっしりと広がっているが、そこから伸びている穂はもう実をつけている。コイワカガミの群落だ。
馬返しを過ぎ、天狗の露地を過ぎる。森の中の道は次第に石がゴロゴロしてくる。マイヅルソウの白い花が森の下を彩る。少し開けるとゴゼンタチバナの花も群生している。ピンク色に咲くイチヤクソウは、ベニバナイチヤクソウだろうか。
花を見つけると元気になる。だがフィルムのカメラだった上に、接眼レンズなどなかったから花の写真はほとんど残っていない。一生懸命撮ってもピンボケになってしまっていたから。
将軍平に着く。蓼科山荘が建っている将軍平は稜線上になるが、まだ大きな木があるので見晴らしは効かない。ここでちょっと一息入れていこう。ここからは急な登りになるようだ。
登り始めると、急なだけではなかった。大きな岩がゴロゴロと積み重ねられたような登山道だ。夫はこういう道は面白いと言う。確かに全身を使って登る感じだ。
蓼科登山というと、「大きな岩がゴロゴロした道だったね」と二人同じことを言う。だが、さてどれくらいの岩が重なっていたっけ・・・と思い出そうとしてもどこか曖昧になる。アルバムを繰って当時の写真を見ると「ああそうだった」と具体的な岩肌が思い出せる。写真が無くっても思い出は豊かだけれど、写真によって具体的な記憶が蘇ることもある。
なかなか面白い岩ゴロの道だった。
高度が上がるにつれ大きな木がなくなってくる。振り向くと目の前に隣の山がどんと広がっている。あいにく雲は切れず、次から次に湧いてくるから遠くは見えない。だが、目の前の山は森の木々まで見えるようだ。将軍平から別れていく登山道があった前掛山だ。急な山の斜面がすぐそこに見える。
登山道の脇にはコイワカガミの葉がたくさん光っている。森の中からずっと見える小さな光る葉、その葉の間からは赤い穂が出ている。残念ながらもう花は終わって実になっている。そして岩肌を覆うようにコケモモがたくさん群生している。コケモモはまだ花をたくさんつけている。クマさんも好きだというから、豊作だといいな。
どんどん登っていく。大きな岩をガッツリと乗り越えるのに気を取られていたが、ふと振り返ると隣の山が下になっている。
いつの間にか空が近い。もうすぐ山頂だ。キバナシャクナゲが咲いている。夫の好きなシャクナゲの中でも高山に咲く花だ。樹高も低く、強風にも耐えながら咲く花という風情だ。
さて、もうひと頑張り。蓼科山頂ヒュッテが見えてきた。ヒュッテの向こうは広い!
到着、蓼科山2530m、10時20分。蓼科山の山頂は岩だらけの広場だった。遠くから見る優しいコニーデ型の三角形とは全くイメージが異なる。だだっ広い岩の広がり。そして、その山頂にはたくさんの人がいた。いくつかの登山コースから登ってきた人たちがここでゆっくりしているようだ。みんな交代で記念撮影をしている。私たちも山頂表示の前で一緒に撮ってもらった。何組かの人も撮ってあげた。
記念撮影をした後は、広い山頂を散歩してみる。あいにくの雲で南八ヶ岳方面は隠れているが、北の雲は少し薄い。お隣の北横岳は雲の上に稜線が見えている。さらに北に目をやる。霞んではいるが、足元を見下ろすと白樺湖が小さく見える。その向こうの霧ヶ峰は雲の中。
平に広がっているような山頂だけれど、中央は少し低くなっているようだ。そしてそこには蓼科神社の奥宮が祀られている。この広い岩石の広がりは火山活動の痕跡で、平らな岩石の積み重なりは噴火口の跡だという。
遠くから見ると、蓼科山は八ヶ岳の北に聳え、南の赤岳とともに大きな一つの連なりにも思える。広く長く裾野を広げた姿はあまりに大きくて、富士より高かったという逸話がうなずける。富士と八ヶ岳が高さ比べをして、富士がわずかに低かった。怒った富士が八ヶ岳を蹴飛ばしたから、今の姿になったという話。話としては面白いが、度重なる火山の噴火が今の八ヶ岳を形作ったのだろう。その一つの痕跡が、蓼科山頂の累々と重なる岩の堆積なのだ。
人は多かったが、広い山頂に散らばっているので、気になるほどではない。1時間近くのんびりしてから、降ることにした。
山頂ヒュッテで記念バッジを買う。登山の記念にバッジを買うのは私の若い頃からの趣味だった。いつの間にかたくさん溜まったバッジを額に入れておいたら、夫が壁飾りに設てくれた。今でも時々バッジを発見すると買ってしまうが、だんだん高い山に登らなくなってきたから、あまり増えない。
帰りは蓼科牧場を通り、佐久まで降りて、関越自動車道で帰ることにした。11時過ぎに降り始める。急な登山道を滑るように降りて、12時半に七合目に停めた車に到着。県道40号線から国道142号を走り、佐久ICから上信越自動車道に乗る。
都心を越えて、家に着いたのは夕方6時、ゆっくり1日を振り返ることができる時間だった。