所用があって神奈川まで行ってきた。長く住んでいたところだが、コロナ禍のため自由に出かけられなくなって久しい。用が済めばとんぼ返りの短い旅ではあったが、なんだかバタバタした気分になる。今年こそは見に行きたいと話していた花も、そろそろ終わる頃かもしれない。
帰った翌日、疲れてはいるが山にも行きたい・・・。友人に山中毒と笑われたが、最近は夫にも中毒が移った様で、洗濯が終わるのを待って「おにぎりを作ろう」と張り切っている。「どこへ行こうか」おにぎりをにぎってから頭をひねる。「ミツガシワを見に行こう」と言ったのは、逆谷地(さかさやち)湿原が10万年も前からの泥炭層でできている湿原と再認識したから。これまで春の逆谷地湿原に2度訪ねている。その時にも看板を見たはずなのだが、どこか意識の外を素通りしていた。ここを調査して論文を書いたという人(の父親)の話を聞いたら、急に身近に感じられた。
気持ちは疲れていないけれど体は疲れているだろうから、森の中をゆっくり歩いて太古からの自然に浸ってこよう。
信濃町から戸隠へ向かって飯縄山の麓を回っている県道404号から森の中へ入ると、木々が覆いかぶさってくるようだ。ウワミズザクラが揺れている。アズキナシだろうか、白い5弁花も揺れている。
逆谷地湿原の入り口に車を停めると森の息吹に包まれる。木々が瑞々しい山の空気を惜しげなく噴き出しているようだ。 山フキの葉が一面に広がり、その緑の波の上に白い綿毛の穂が揺れている。足元にはツボスミレ、カキドオシの花。前に来た時は足元ばかり見て歩いていたので、湿原の入り口の道標を見落として先へ進んでしまった。立派な道標なのに・・・と、我ながら呆れるが、しばらく森の中を彷徨い、『善光寺の森』などというものを見つけたから道迷いもまた面白い。
ここは、遠く昔は湿原だったのだろうけれど、今は乾いて森になっている。そんな森の中を歩いていくと木々が丸く倒れてトンネルが続く。人が歩くのか、通り道の枯れ枝が折れている。いくつかのトンネルをくぐったり避けたりして進むと、木道に着く。広く造られた木道は歩きやすい。カエルの声が遠くに響いている。聞こえるのは鳥の声とカエルの声だけだ。木道を辿っていくと広くなった木のデッキに至る。デッキが見えてくると、左下の水辺に白い花が見えた。ミツガシワだ。喜んで広いデッキに荷を置く。ここに立つと飯縄山がどっしり聳えている姿が目の前だ。デッキの柵にはこの湿原で見られる植物などの説明板が何枚か取り付けてある。ここからは湿原の中に進めない。
さて、目的のミツガシワは。以前来た時には飯縄山をバックに水辺があり、ミツガシワがたくさん芽を出していた。訪れたのが少し早すぎて、まだ蕾が多かった。今度は満開だろうと期待してきたのだが・・・。
ミツガシワは咲いていた。小さな丸い蕾は赤い色だが、下から白い花を咲かせていく。氷河期の生き残りと言われる植物の一つ。赤い蕾と、白い花びらからふわふわの毛が生えている様子がなんともかわいい花だ。
しかし、花穂の数は僅か10本に満たないくらい。以前水面が見えていたところは一面に苔で覆われている。やはり乾いてきているのだろうか。今年は雪が多かったから、芽出しが遅いのかとも思ったが、独特の三枚の葉も見えない。生息地が随分狭まったようだ。このデッキがあるところは湿原の一部分だから、遠くの方に咲いているといいのだが。
木の板が敷き詰められたデッキは陽の光をためてポカポカと暖かい。座って目の前の飯縄山を眺めながらおやつタイムとする。暑過ぎず、寒過ぎずあまり気持ちがよいので転がってみる。「ここでちょっと昼寝をしていこうか」などと言いたくなる。
10万年などという想像もつかない大昔から積み重ねられてきた泥炭層には何が眠っているのか、ここで眠れば夢の中に出てくるかもしれない。
ふわふわした時間を楽しんで、さぁ帰ろう。木と鳥の声のトンネルをくぐって日常へ戻る。
でもその前に4月末にOPENしたという森の駅を見ていこう。これまでのキャンプ場やアスレチック、大座法師池ボートなどの施設が『nagano forest village』として新しくなった。その中に森の駅 Daizahoushiも併設された。
新しい森の駅でちょっぴり今晩のお楽しみの買い物をしてから家に向かった。