ずっと会いたいと思っていた花についに会うことができた。自分で光合成をせず木の根に寄生することで生きている小さな花、ヤマウツボ。限られた環境でしか生きられない花々の一つ、会いたいけれど環境を荒らしたくない思いもあって、探しに行くのも遠慮がちだった。
しかし、一度は会っておきたいものだと考え、調べた。飯綱東高原のどこかに咲いているという。国土地理院の地図を調べて、地形を想像する。水の流れと、森の姿と合わせて見当をつける。課題は車を止める場所だったが、それは夫が調べた。駐車スペースがなければ、牟礼駅から歩いてもいいと考えていたが、なんとかスペースを見つけることができた。
車を降りて30分ほど歩いただろうか、森の中に咲いていた。ほとんど人が歩かない山道には春の花がまだ咲いている。倒木も多く、くぐったり、乗り越えたりして歩いた先にヤマウツボの自生地があった。一塊になっているところに12株を数えた。花は終わりに近く、中には全て散って、とうもろこしを食べたあとの芯のような形のものもある。しかも太い枯れ枝に押されて倒れているものもある。そっと枯れ枝をどかして写真を撮らせてもらう。嬉しくてワクワクしている。
周囲を探せばまだ見つけられるかもしれないが、あまり歩き回ってこの環境を壊したくないので、そっと来た道を戻る。朝早い山の懐は気温が低いからか、ウスバシロチョウが羽を広げてじっとしている。陽の光を求めているのだろう。
一日かけて探そうと思って出かけてきたが、思わぬ幸運ですぐ見つけることができたので、霊仙寺跡の花を見に行くことにした。
鎌倉、室町の頃から栄えていたという霊仙寺は山岳信仰の寺で、たくさんの修験者が集まっていたそうだ。後ろに聳える霊仙寺山は『れいぜんじやま』、麓の寺は『りょうぜんじ』と呼ぶ。同じものを表すのに漢字が違っていたり、読み方が違っていたり、日本語は難しい。
小さな駐車場の周りは真っ白だ。ニリンソウの大群落が森の奥までずっと続いている。あまりの見事さに「すごいね」「綺麗だね」と、単純な言葉を繰り返す。他の言葉が出てこない。
車を降りて、霊仙寺跡を目指す。杉並木が続いているが、この道の両側は除草剤散布されたのだろうか。道の幅に茶色い帯のようになっている。スギの葉がたくさん積み重なっているから、落ち葉を積むことによって除草しているのであればいいのだが・・・。
薬剤散布は百害あって一利なしと思う。目先の楽を求めてしまうと、広く困ったことが残ってしまうことがある。『この自然は祖先から譲り受けたものではなく、子孫から借りているものだ』という先人の教えをもう一度噛み締めたい。
さて進むと、どこまでもニリンソウの大群落。とにかくすごい。そして小さな流れに沿うようにコチャルメルソウが光っている。すでに花を終えて実になりかけているものも多い。オオタチツボスミレ、サワハコベ、ラショウモンカズラ、タチカメバソウなどの花も多い。ニシキゴロモはぽつりと一株咲いていた。
花の豊かさに大喜びして、さらに一筋離れた沢まで行ってみることにした。ほとんど人が歩いていない道は花で覆われている。キランソウが這うように広がり、ツボスミレが今を盛りに花をつけ、フデリンドウが鮮やかな青い星を掲げている。遠くの森には真っ赤なユキツバキの花。そしてここは一面タチカメバソウの大群落、一斉に白い花をつけている。
足を下ろす場所がないくらいだ。よく一緒に山を歩き、共に活動をしていた柴田敏隆さん(コンサベーショニスト1929-2014)が、そのユーモアたっぷりの語り口で『ナバホ(だったと思う)インディアンは足跡も残しちゃいけないんです』と教えてくれたが、う〜ん難しい。今風に『残していいのは足跡だけ、とって良いのは写真だけ』ということで許してもらおう。
長野は日本の中央部に位置し、南北や太平洋側日本海側の植生が混じり合っているという。この辺りは長野でも北になるからか、ヒメアオキやユキツバキなどの日本海側の花が多くなる。楽しめる花の種類が多いのは嬉しいことだ。
一面の花々・・・もう一度ゆっくり見回し、できるだけ花を踏まないように一歩一歩確かめながら花畑を後にした。