標高千メートルに満たないわが裏山だけれど、季節ごとにさまざまな花が咲く。今年の長野は降り続く雪の多さに驚かされたのか、花の咲き出す時期が遅れたが、その後驚くほど超特急で花々が咲き出している。いや咲き急いでいると言った方が良いくらいだ。
いくつかの花を、その盛りに見たいと思っていたのに、行ってみればもう落花の上に実が膨らんでいる。
欲張りな私は他の山に咲く花も見に行きたいから、うっかりしていると一番身近な山の花に会いそびれてしまいそうだ。
土曜日は善光寺の『びんずる市』が開催され、友人も出店するためにやってきていた。しかしこの日は雲が多く、雨粒はわずかにいっときで済んだのだが、冷たい風が吹く日だった。『びんずる市』の後は花見の散策も良いかと思っていたが、震えるような寒さでは花も縮んでいるだろう。ぬくぬくと甘いものでも食べて休もうと話がまとまった。
翌日は雲が流れて青空が広がったが、友人たちは留守番をしている猫のもとに帰る。せっかく広がった青空がもったいないので、友人を見送った午後、裏山へ向かった。
いつの間にか山は緑濃く染まり、山滴(やましたた)ると呟きたくなる。昔の人の言葉は静かに気持ちに寄り添ってくる。
地附山、大峰山には花が多いと思う。一週間ほど前に歩いた時に、ヒメハギを見つけた。数年前には大峰山の登山道でも、地附山の登山道でも見ることができたが、この数年見つけられなかった。時期が合わないのかな・・・とも思っていたが、昨年は何回も探しながら登ったけれど見つけることができなかった。登山道の真ん中に生えていたから踏まれてしまったのかもしれないとがっかりしていた。今年発見したヒメハギはまだとても小さい株だったが、登山道から少しそれたところに出ていたから、このまま大きくなってほしいものだ。
大峰山も地附山も標高は低い山だが、市街地のすぐ近くにあって誰もが歩ける登山道が何本かある。どのコースを歩くかによって見られる花が違うから、同じ季節に数回訪れないと目指す花に会えないことになる。なかなか忙しいなどと他愛もないことに頭を使いながら山道を歩いている。
今回は午後からの出発、物見岩から上がろうかと話しながら、登山口へ続く坂道を歩いて行った。しかしここから山道へ入るところは狭い樹木をくぐっていく、人があまり通らない道なので、かなりの藪になっていた。じゃあ今日はギンランを見ながら登ろうと、善光寺の雲上殿を横切り地附山公園まで歩いた。
公園の入り口にはミニ山野草園があり、管理の西澤さんが手塩にかけた花々が咲いている。ちょうどキンランが咲いていたのでそれを見てから山に入った。
中腹のギンランは昨年より株が少ないようだ。周囲を荒らさないように気をつけて写真を撮る。花々にも波があるような気がする。来年は多い株が見られるといいのだが・・・。
そろそろ蕾が膨らんだかなと、ベニバナイチヤクソウを見に行ったら、驚いたことに綺麗に咲いている。ここは少しずつ広がっているようだから、安心だ。
ベニバナイチヤクソウはとても綺麗な桃色。ところがこのベニバナイチヤクソウは半寄生の植物なのだそう。葉があって光合成を行うけれど、足りない栄養素は菌類からもらっている。古くは仲間に分類されていたギンリョウソウやシャクジョウソウなどは葉緑素を持たず、菌類と共生して栄養を得ている。半分菌類のような不思議な植物はたくさんあるようだが、なかなか見ることができない。みんなひっそりと森の中で暮らしているからだ。なぜか私は、そういう誰かの力を借りて生きているような植物を好きになる。
それはともかく、先へ行こうか。春一番に咲いたウリカエデは幾つものプロペラのような実をぶら下げている。いろいろな花を見つけながら山道を進む。地附山から大峰山へ。毎年見る花々は、懐かしい友に会うようで「あ、今年もここにいましたね」「来年も綺麗に咲いてくださいね」などと話しかけながら歩く。隣を歩く夫は呆れ顔。
そう言えば、地附山の麓にコバンソウが揺れていて毎年楽しみに見ていた。神奈川では山の麓にキラキラ揺れていたヒメコバンソウはこの辺では咲かないのだろうか。所用があって神奈川へ行ったら、山の裾野どころか町の草地に群れ咲いていてびっくりした。
昔からあるもの、海外からやってきていつの間にか増えているもの、花の世界も少しずつ変化しているのだろう。でもずっと親しまれてきた山野の花にはいつまでも元気でいてほしい。