ヨーロッパには一種しかないというエーデルワイスの花、日本では薄雪草と呼ばれ、各地の山に咲く。そしてそれぞれの山域に特有の種がある。北海道に咲くレブンウスユキソウ、早池峰山に咲くハヤチネウスユキソウ、東北の山に咲くヒナウスユキソウ、木曽駒ヶ岳に咲くコマウスユキソウなど。そして今回会いたいと思っているのは上越境の山に咲くというホソバヒナウスユキソウ。
8月も終わりに近づき、何とか休みをとって出かけたが、時期的に遅め、花に会えるだろうか。尾瀬方面は人気があり、人がたくさん訪れる。夏の間は戸倉の駐車場に車を停め、シャトルバスかタクシーに乗り換える必要があると聞いてきた。自然を守るための方策だから、それは仕方がない。
前日の午前中は用があって出かけられないが、山の近くのホテルまでは行けそうだ。用を済ませて出発したのは夕方4時少し前、横浜横須賀道路から第3京浜、関越自動車道と走って、沼田のホテルに着いたのは午後8時だった。
翌日は7時15分に沼田を出発。戸倉に到着してどこが駐車場かとキョロキョロしながら徐行していたら、案内をしていた男性がそのまま行っていいよと促す。お盆も過ぎて訪れる人が少なくなったのだろうか、何はともあれありがたい。そのまま車で鳩待峠まで上がる。
途中乗り換えがなくて済んだので、9時には鳩待峠の駐車場から歩き始めることができた。森の中の道を至仏山に向かって歩く。
夫は初めての尾瀬という。私はずいぶん昔に一度訪ねたことがある。季節を読み違えて一面の雪の尾瀬ヶ原を歩いた。大清水では満開の水芭蕉が森の奥まで続いていてその見事さに息を呑んだのだけれど、三平峠に登る道は雪に潜りながらだった。長蔵小屋に泊まり、翌日尾瀬沼を越えて原に出た。どこまでも真っ白な一面の雪原のところどころ、水の流れの見えるあたりに微かに水芭蕉がのぞいていた。雪の尾瀬ヶ原を歩いてきて鳩待峠に登り、そこからバスで帰った。雪の情報は年によって違うけれど、宿の予約や、仕事の段取りは早めにしないといけないので、読み違えると大変だということか。
尾瀬といえば湿原というくらい広い湿原のイメージだけれど、至仏山に咲く花にもずっと会いたいと思っていた。せっかく尾瀬に出かけるのだから、尾瀬ヶ原を歩いて燧ヶ岳にも登りたいのだが、休みがとれなかったので、至仏山のピストン登山になった。
8月も後半になると山の上は秋めいてくる。しばらく森の中を登る。木々の梢の向こうに燧ヶ岳の山頂が見えている。ナナカマドの葉が綺麗な赤に染まり始めている。まだ一面の赤にはなっていないが太陽の光を受けて輝いている。木の葉はまだ紅葉に遠いが、足元を見ると草花の実が秋を教えてくれている。
しばらく登ると右に視界がひらけてくる、さっきから見えていた燧ヶ岳の麓に尾瀬ヶ原が広がっている。広〜い広い尾瀬ヶ原の、その向こうに燧ヶ岳が独特の形で聳えている。
さらに登ると、ナナカマドの葉の向こうに綺麗な三角錐の笠ヶ岳が見える。そして小至仏から至仏に至る稜線もゆったりと伸びる姿を表してくる。至仏山に続く稜線は白っぽく、岩がゴツゴツしている様子がわかる。手前に岩を盛り上げたような小至仏が立ち、あそこを越えてゆくんだねと頷き合う。
1時間ほど歩くと、山上の湿原に出た。オヤマ沢田代、キンコウカが満開で風が吹くと黄色い波が揺れる。湿原を守るために木道が敷かれている。以前一緒に長野の湿原を歩いた時、友人が「これ(木道)は山を守るためなんですよ。人のためではありません」と、おどけて言っていたが、それは本当だと思う。たくさんの人が無造作に湿原を歩いてしまったためにいくつもの湿原が荒れてしまったのだから。とは言っても、そういう自分もこうして出かけてきているのだから、木道は有難い。人が歩きやすくなるためではなく湿原に踏み込まないようにこの道があるのだと、心して行こう。
さてお腹も空いたことだし、ここで休憩だ。風に揺れる草原の真ん中でおにぎりを食べる。空気に湿り気が混じってはいるが、今のところ天気はすぐ崩れそうではない。いい気持ちだ。小さな花々を数えながら、二人でゆっくりおにぎりを食べる。
オヤマ沢田代を越えるといよいよ登りにかかる。小至仏山への登りは大きな白っぽい岩がゴツゴツしている。これは蛇紋岩という岩で、至仏山はこの岩でできているようだ。岩の道になるとそれまでの花と植相が異なってくる。期待しながら登っていく。あった、ホソバヒナウスユキソウ。登山者は少ないけれど、みんなこの花のそばでしゃがみ、写真を撮ったり、ゆっくり見つめたりしている。この花に会いたいと思ってきた人が多いんだなぁ。
至仏山には他にもウスユキソウの仲間が咲く。稜線にはミネウスユキソウが咲いている。ふわふわした綿毛のような感じはないが、白く星形に開いた形が薄雪草らしい。ヤマハハコの花は丸まっこく見えるので、薄雪草とは少し雰囲気が異なる気がするが、群落になって咲いていると白い花と濃い緑の葉のコントラストが美しい。ヤマハハコは薄雪草の仲間によく似ているが、星形に開く苞葉がない。そしてヤマハハコ属。ウスユキソウ属もヤマハハコ属も欧米には種の数が少なく、東アジアに多く分布しているそうだ。冒頭にも書いたが、ヨーロッパにはエーデルワイス一種しかないので、珍重されるそうだ。
楽しみにしてきた花にも会えたので、足取りは軽い。岩場にはあちこちに高山の花が咲いている。タカネナデシコ、カトウハコベ、ムラサキタカネアオヤギソウ、ホソバコゴメグサ、ヒメシャジン、ミヤマウイキョウ、ノートにはたくさんのメモがある。頑張って写真も撮ろうとしたが、遠くに咲いているもの、風で揺れているものと、素人カメラマンには小さな花の撮影は難しい。
楽しみながら岩場を越えると小至仏山に到着。樹木がないので、稜線続きの至仏山が目の前に見える。さぁ、あそこまで行くぞ。 蛇紋岩は白っぽい岩面に黒い線があって、それが蛇のようだというので名付けられたというが、ツルツルと滑りやすい石だという。晴れているのであまり感じないが、雨が降ってきたら滑りそうだ。
岩の模様を見たり、岩の間に咲いている小さな花を楽しんだりしながら気持ちよく歩いて、ついに至仏山の山頂に到着。目の下に大きく湿原が広がっている。雄大な風景だ。この気持ちの良い山頂のあちこちで、登山者が腰を下ろして食事をしている。
ちょうど12時だ。私たちも腰を下ろして目の前の風景を堪能する。ずうーっと新潟の方へ続く山並み、平らな山頂は平ヶ岳だろうか。燧ヶ岳は一段と大きく見えて、その奥に東北の山々がうっすらと見える。笠ヶ岳の向こうには上州方面の山か。
ずっと見ていたいけれど、少しずつ雲も増えている。帰ろうか。
名残を惜しみながらゆっくり歩いて2時間、鳩待峠に着いたら、ポツリと水滴が落ちてきた。ジャストタイミング、2時半に出発して家に着いた時は夜8時だった。