長年勤めた仕事を終えてリタイアした身だが、社会生活を送っていれば何かと用はついてまわる。ことに年度末年度始めとなれば気忙しくもなる。朝、夫の用があったので、終わってからゆっくり裏山に行ってみることにした。そろそろショウジョウバカマやシュンランの花に会えるのではないかと思ったから。
どのコースを行こうかと考えて、結局楽ちんコースを行くことにした。ちょっと時間が遅かったことと、なんとなく雲が多かったということで、理由はつくだろう。本当はただ楽なコースを選んだだけとも言える。
地附山公園の駐車場まで車でのぼる。平日だから、車が少ないと思っているうちに登ってくる車が増える。靴を履き替えている間に駐車場の車は倍になった。毎日登るという男性が車から降りて体操をしているのが遠くに見えた。顔を合わせれば挨拶をする。明るくて元気な男性だ。雪の多かった今年の冬も何度か山道ですれ違った。
さて、『ゆっくり』を合言葉に登り始める。今日は夫の胸に新しいカメラがぶら下がっている。長いこと愛用してきたカメラがうんともすんとも言わなくなってしまい、最近のデジタルカメラは保証もあまり効かないので、ずっと考えてきた一眼レフに切り替えた。今日はその試運転。さてうまくいくだろうか。
何と言っても望遠で遠くの目的物がうまく撮れるかどうか、だ。目的地に直行できる旧車道をのんびり行こう。コゲラが木を突く音に耳を傾けていたら、後ろから話し声が近づいてきた。駐車場で見かけた毎日登っている男性と、何回か出会って話したことがある地附山愛護会の男性が、話しながら登ってくる。
森の中の蕗の薹を見つけて、採っている。「蕗味噌は最高だよ」全員の意見が一致。でもこのあたりにはもう見当たらない。数年前より随分減った気がする。
森はまだ枯れた色が広がっている。所々に常緑照葉樹の緑があるとなんだか嬉しくなる。多年草の緑も嬉しいが、まだ落ち葉の下に埋もれているものが多い。そろそろ葉を持ち上げてくるだろう。
桝形城跡の入り口で休憩する彼らを残し、先をいく。旗立岩で望遠写真を撮るためにレンズ交換をしなければならない。前方後円墳で腰を下ろして休憩しよう。そしてレンズ交換もしよう。
目的地についてカメラを構える。慣れないカメラなので、ピント合わせなどに時間がかかるが、それがまた楽しみとも言えるだろう。しばらく撮影してから山頂に向かう。登り始めに見えた志賀高原方面の山は霞んでいたが、山頂から見える飯縄山はどっしりと雄大だ。その奥の黒姫山も妙高山もよく見える。雪の量がずいぶん少なくなって、青い山肌が春めいてきた。
山を眺めながらおやつを食べる。爽やかな気分だ。しばらく休憩してから大峰山へ向かう。気温が上がってきたので、山歩きの気分も上昇してきたが、まだ花が見つからない。シュンランは少し膨らみかけていたが、ショウジョウバカマはまだ緑色の蕾だ。
大峰山に登り始めると、日当たりの良い斜面のショウジョウバカマはわずかに桃色をのぞかせている、あと少しだね。陽だまりには冬越しをしたと思われる蝶たちが羽を休めている。今年の冬は雪が多かったから冬越しも大変だっただろうか。
登山道にも雪の重さで折れた大小の倒木や枝が転がっている。道にはみ出した枝などは気がつくと片付けているが、大きなものはもちろんできない。道に顔を出した枝を夫が持って片付けようとしたら動かない。あれ、重い。小さな枝かと思ったら、根元で折れた木だった。よいしょと持ち上げて道と並行にして藪の中に置く。山道や森の整備は大変な重労働だと実感する。
大峰山の山頂にはミスミソウが花開いている。一つの株にたくさんの花をつけるのでいつまでも楽しめる。小さなエンレイソウの芽も見えてこれから開くのが楽しみだ。
ゆっくり眺めていたら、大きな木の根元にあったミスミソウがないことに気がついた。先日たくさんの花をつけていたので写真を撮った。よく見ると、土が緩んで窪んでいる。誰かが株ごと掘っていったみたいだ。こういう姿を見ると本当に悲しくなる。不幸中の幸いというか、盗掘の被害はそこだけのようだ。全体には小さな群落なので、商売のためには割りが合わないだろう。それにしてもわざわざ登って花を見にくるような人がどうして盗掘をするのか、理解できない。自然の中に豊かに咲いていてこそいつまでも楽しめるのに。 人間の欲はキリがない。『人のふり見て我がふり直せ』とはけだし名言、心しよう。
山の斜面は黄色い霞がかかったようだ。ダンコウバイがあっちこっちでその存在をアピールしている。秋になれば黄葉の美しさでまた存在感を増すが、今は「あ、あそこにも」と、指差しながら楽しもう。ダンコウバイの向こうの町の風景は少し霞んで春らしい。霞んだ風景を眺めながら地附山に登り返して、来た道を帰ることにした。