そろそろ雪も溶けたのではないか、ショウジョウバカマの蕾も見えるのではないかと、暖かい空気に誘われて地附山に向かった。「舗装道路を歩くのは嫌だから、駒弓神社まで車で行っちゃおう」と、夫が言う。洗濯物を干してから出発。駐車場の入り口に着いたらイケさんの車が見えた。まだ誰もいない駐車場に車を入れると、後ろからイケさんの車が入ってくる。イケさんは伐採した木の始末をしに登るという。もう少し上の駐車場に停めるそうだが、私たちの姿を見て寄ってくれたらしい。少し話をして、イケさんは上に向かい、私たちは足元を整える。
さすがの雪も3月半ばを迎え、ずいぶん溶けて、駒弓神社からの登りは土の上を歩くことができるようになってきた。それでも人が踏み固めた道の中央には固く凍りついた白い筋が残り、うっかりその上に乗ると滑る。固く凍りついた雪はなかなか溶けないが、割れ目をつけて小さくしたり、剥がして枯れ草の上に置いたりすると早く溶ける。夫と私は面白がって、ストックで割って遊びながら登って行った。
しかし、土の上を歩いたのはパワーポイントの下まで。パワーポイントはまだ一面真っ白だ。山頂までの道も、日当たりが良いところに土の色が見えるが、ほとんど雪面。イノシシの足跡がたくさんついている。イノシシも潜ってしまう雪の原を歩くのは嫌なようで、人が踏み固めたところを歩いている。
到着した山頂はまだ明けの冷え込みから覚めず、雪が凍りついている。もうすぐ10時になろうとするが、まだ雪面を歩いても沈み込まない。『凍渡(しみわた)り』と言って、朝の気温が低い日のご褒美、雪面をどこでも自由に歩くことができる。
目の前の飯縄山はよく見えるが、奥の妙高山には雲がまとわりついている。誰もいない山頂で定点撮影をする。過去数回の写真を比べると、2月までに積もった雪は3月になってもあまり減っていないことがわかる。いつも誰もいないからモデルは自分、人が写っている方が広さや雪の深さがわかるというのは夫の持論。
さて、山頂の様子も見たから帰ろうか。まだまだ花に会えるのは先になりそうだ。
そうだ、桝形城跡の登山道を整備していると言っていたイケさんのところに挨拶に行こう。
いつもの道と反対の北へ向かう。旧バードラインの跡が残っている道だが、ここはまだ一面の雪だった。ほとんど人も歩かないと見えて、靴跡がポツリポツリと続くだけ。しかももう凍渡りは溶けて、ズボッと潜る。
桝形城跡への登山口まで歩く間に、夫は眼が痛くなってしまったと言う。サングラスをしていても、強い春の反射光は完全には遮ることができないようだ。夫は桝形城跡の登山口の日陰で眼を休めることにして、私は一人で登ることにした。登り口は南面に当たるから雪が溶けていたが、堀切にはまだたくさん残っている。静かな森に小鳥がたくさん飛び交っている。葉が茂ってくると、にわかカメラマンには鳥の姿が見えにくくなる。この季節ならではの楽しみだ。
雪の斜面でイケさんが働いていた。太い丸太を重ねている。斜面の上には、切った後ボロボロに崩れてしまった幹の痕跡も転がっている。「こうなってしまうと、いつ倒れてくるかわからないからね」と、イケさんは言う。
私たちも歩いていて斜めになっている木に気づくことがある。キノコや粘菌がびっしり張り付いていて、もういつ倒れるかわからないなどと仰ぎ見ることもある。それでも熟練したイケさんの目には叶わない。「あの木も危ないけど、もう少し頑張ってくれるかな。根っこが上がってくるようなら、あれも切らなくちゃならないな」と指差す木は、確かに斜めになっているけれど、私の目にはまだ元気に見える。
仕事の手を休めさせてしまったけれど、いくつかの樹種を教えてもらってから別れた。暖かくなって花が咲いたら教えてもらった木を見にこよう。
見上げたら、幹に黒いものがついている。「あれは何?」「取ってみればわかるさ」、キノコだ、食べられないねと笑う。私が裏の写真も撮っておこうと言うと、こっちは表だよと、木に付いていたところに当ててみる、本当だ。ボロボロになっているのを見てもちょっとどっちが表かわからない。さすがイケさん。
山の話は尽きないがあまり仕事の邪魔をしてもいけない、私はそろそろ降りよう。
夫が待つ登山口に戻り、六号古墳の脇を通って帰る。待っている間ずっと目を閉じているのも退屈だったからと、日陰の木の芽などを見ていたそうだ。細い幹に花が咲いたようにくっついているものがある。これは虫こぶかなと言いながらじっと目を凝らすけれど、虫がいる部屋はどこだろう。なんだかわからないが大小いくつもついている。何回登っても新しい不思議が待っているから、山は面白いね。そう言えば今年ウスタビガの繭が少ないと感じていたが、地附山で見つけるそれはとてもきれいな黄緑色だ。自然の何かが作用するのだろうか。
眩しい光を遮りながらなんとか下に降りてきた。駒弓神社のあたりはぽかぽか暖かい。その暖かい森を黄色い蝶がひらひら舞っている。モンシロチョウより大きく、ふわりふわりと浮くようだ。鮮やかな黄色だけれど、止まると白っぽい色になってしまう。これはヤマキチョウだろうか、春の声を聞いたような気がする。