憧れの苗場山に登ったのは真夏だった。苗場スキー場には何度か行ったことがあるが、その奥の苗場山は、広い山頂に湿原が広がっているという情報だけがたっぷりと耳に入っていた。しかし実際に行こうと思うとなかなか遠い。短い夏休みにいろいろなことを詰め込んで行動しようとするからますます縛られる。
だがついに出発。神奈川から都心を抜け関越道を走り、塩沢石打から山道を抜け、その日は登山口のある秋山郷に泊まる。朝早く家を出たので時間がある、津南のひまわりを見て行こう。
満開のひまわりに感動したので孫に見せてあげようと、息子家族と再び訪れたのは10年も経ってから。その時、じゃまくら石公園という公園を見つけた。ここに住み、石を枕に寝て暮らしていた龍が、人が住むようになったために沼が汚れて暮らせなくなり、信州に逃げていったという。なんだかユーモラスな伝説だが、奥深い山里の人情のようなものを感じる。公園にはうるさいほどトンボが飛んでいて、つい「この指止まれ」と、みんな指を出してしまうのが面白い。
公園から5分くらい歩くと見倉橋という吊り橋がある。木の板で作られた吊り橋は郷愁をくすぐる風景で心が和むが、足の下には中津川渓谷の青流が岩を噛み、スリルも満点だ。孫たちは大喜びで橋を渡り、対岸の山道を少し登って遊んだが、橋の中程の板に穴が空いていてそこから下を覗く姿も笑いを誘った。
さて、苗場山に話を戻そう。ひまわりを楽しんだ後、途中の川沿いの道でゆっくり昼食を食べてから秋山郷に向かった。秋山郷への道は急峻な中津川の淵を進むが、見下ろせば怖くなるような崖の上だ。無事宿に着いた時はホッとした。
秋山郷は中津川に沿って奥へ続いている地域だが、子供の頃、豪雪で陸の孤島になったなどというニュースを何度も聞いた覚えがある。私たちはその日、屋敷温泉に宿をとった。夕食に山菜などの天ぷらが山盛りだったが、その中にドクダミの葉もあって驚いた。ドクダミを干して煎じて飲む事はあったが、天ぷらで食べた事はなかったから。不思議な味で、あまり美味しいとは感じなかったが、あの独特な匂いの先入観もあっただろうか。
翌日は6時に宿を出発、小赤沢コース登山口まで車で20分。途中猿が遊んでいた。駐車場があるので、車を停める。ここはもう3合目になるから、奥深い苗場山の登山コースの中では一番登りやすいコースだ。気合を入れてさぁ出発。深い森の中の道を登る。木の根が張り出してゴツゴツしているところや小さな沢の水の流れを越えながらいく。ゴゼンタチバナの花が真っ白に輝いている。シモツケのピンク、トリアシショウマの白は背高く揺れている。サンカヨウは白い粉をまぶしたようなブルーの実になっている。
稜線までの登りは樹林の中を進むので見晴らしはあまりなく、標高差もあるので疲れが溜まりやすい。頑張って歩くと尾根に出るので、沢を見下ろしながら進む。深い樹木に覆われた沢は水の流れがあるかないか分からないが、鋭く切れ落ちていることだけはわかる。各合目ごとに案内が立っているのでここは何合目と数えながら登る。6合目の看板で撮った写真が残っている。
樹木が多い尾根をしばらく歩いていくと、広い湿地がひらけているところに出た。
ようやく苗場山の山頂湿原かと思ったけれど、まだ まだだった。それでも急斜面の登りは少なくなり、そのうち木道を歩くようになった。隣の鳥甲山は登り初めから頂を見せていたが、一段と近くなったようだ。そのとんがった山頂から奥へ志賀方面の山が続いている。
いつの間にか池塘がちらばる湿原の中に出ていた。湿原がどこまでも続いている。そしてその上にはもう斜面はない。空があるだけだ。天井に広がる大湿原。チングルマはもう実になって、綿毛を揺らしている。ワタスゲは真っ白な穂をふわふわと風になびかせている。ここは本当に天上の田園だ。『苗場』とは、名付けた人はすごい。
江戸時代の作家鈴木牧之(1770-1842)がその著書『北越雪譜』で高い峰に人が植えた苗のような草が生え広がっているのを見ることは奇跡のようだと紹介している。『北越雪譜』は、雪深い里のことが面白く描いてあって、越路町(現在は長岡市)生まれの私にとってはふるさと再発見のような面白さがあったが牧之は苗場山にも登っていたのだ。
和山分岐からは志賀高原の山々が遠くに見える。かつて奥志賀のスキー場から真っ白な苗場山を眺めたが、今、その苗場から志賀を眺めている。感慨深いものがある。
木道が敷かれている湿原の中を歩いていく。「どこまでも」という言葉が似合う。歩いても、歩いても池塘が散らばる草の原だ。ワタスゲも、チングルマの実も続いている。キンコウカの黄色が光っている。イワショウブの白は赤い蕾と混じり合って奥行きがでる。
佇んでみたり、木道に腰を下ろしてみたり、いや、いつまで見ていても飽きない世界だ。この広い山頂は火山による溶岩台地という。それにしても広い。
この周辺一体は上信越高原国立公園に指定されている。国立公園の地図を載せた看板がいくつか立っている。上信越高原国立公園は広大な広さがあり、新潟県、長野県、群馬県にまたがっている。かつて私たちが歩いてきたいくつもの山や高原がそこに含まれている。
9時半、ようやく山頂に到着。苗場山山頂と書いてない、『10合目標高2145M』という案内が立っていた。山頂には木があった。その木々の向こうに山小屋『遊仙閣』がある。小屋の後ろが平になっていて大きな山頂標識が立っていた。
ちなみに山小屋『遊仙閣』は2009年に廃業となり、今(2022年)では建物も取り壊されたという。奥にあったヒュッテは現在も営業しているらしい。
私たちは山バッチを購入してから、山頂の崩れそうなベンチに腰掛けておにぎりを食べた。遅い朝ごはんなのか、早いお昼ごはんなのか、なんとも言えない時間だったけれど。おにぎりを食べてしばらく山頂をうろうろしていたが、だんだん雲が濃くなってきたので下ることにした。登りが3時間10分だったから、下りはもう少し早いだろうと言いながら山頂を後にしたのは10時少し過ぎだった。
登る時に最初に目にした三角のピークは山頂ではなく、山頂よりちょっと低いピークらしい。またもや雄大な湿原の中を足取りも軽く歩く。台地を横切ると下りになる。岩場、鎖場に注意を払いながら下っていく。日本海側の多雪地帯らしい、そして溶岩の山らしい湿り気の多い岩や木の根のゴツゴツした道。
一気に降りて、12時半に駐車場に降り着いた途端に雨が降ってきた、セーフ。
その日は屋敷温泉にもう一泊した。山に登る人は連泊しないらしく、「2泊目のサービスです」と熊の肉が夕飯の膳に乗った。珍しかったが、ちょっと硬くて味もあまり分からなかったのを白状しよう。
翌日は8時に宿を出発、野々海(ののみ)池に寄り道しようという計画。ところが、狭い林道をかなり登って大きな池とその周りの湿原に辿り着いたが、どこにも『野々海池』との表示がない。きれいな池のほとり、湿原の花を眺めて30分ほど遊んで帰る。『野々海池』だったのかなぁ。緑がとてもきれいな湿原にはトンボやカエルが遊んでいたが、とても小さいカエルがいて驚いた。
国道117号線を走り、豊田道の駅で昼食をとってから高速に乗った。