今日本で使われている紙幣には千円札、五千円札、一万円札がある。二千円札というのもあるが、ほとんど目にしない。五百円札があることを知っているのは何才くらいの人までだろう。1994年に発行が停止されたそうだが、まだ使用することはできる。
この五百円札には岩倉具視(政治家1825-1883)の肖像が使われていて、裏面には美しい富士山が描かれている。優雅に裾を引いた富士山はまさに日本の山のシンボルといった風情だ。この富士を撮影した場所が雁ヶ腹摺山(がんがはらすりやま)と聞き、富士を見に行ってこようと出かけた。雁が腹を擦るように山頂を渡っていくからという、面白い山名にも心惹かれるものがあった。
11月の後半、山はもう冬支度を始めているだろう。中央自動車道を走り大月からは国道20号線に出る。真木小金井線という道路を走り、大峠に停める。ゆっくり出てきたので11時になっていた。森の中の散歩道のようなところを登っていく。大きな岩がゴロゴロしているが、険しい登りはない。岩についた苔が枯れ木の森に色を添えている。ふかふかとしているから暖かそうに錯覚してしまう。葉を落とした森を彩るのはマユミの赤い実。森を散策しながら高度を上げていくと、広いススキ原に出る。目をあげると大きな富士山が聳えている。前の山に隠されることなく左右に長い裾野を引いている。
ここからは気持ち良い原をわずかに登ると山頂だ。到着11時50分。富士の方向に開けた見晴らし、そこに五百円札撮影場所の看板が立っている。朝7時過ぎに撮ったという写真は、11月初めなのに中腹まで白くなっている。目の前の富士は、昼に近くなって日差しが陰ってしまっているから、早朝日が当たる時の鮮明さはないけれど、雄大な姿は眺めていて飽きない。最初に目に入った時から、ススキ原で、山頂でと、私たちは何回も富士の写真を撮っていた。
山頂で誰かにシャッターを押してもらった写真が残っている。この写真をよく見ると、夫の足元に茶色い犬が寄ってきている。「ねぇ、この犬覚えている?」と夫に聞くと、「えっ、犬いたかな」。
私たちは犬や猫は好きだから、出かけた先で出会うと一緒に遊んだり、呼びかけて無視されたり、何かしらのドラマとともに覚えていることが多い。ところが、雁ヶ腹摺山のこのワンちゃんのことは二人とも全く記憶にない。なんだか人馴れしているけれど、どこのワンちゃんだったのかな。夫と遊びたそうだね、遊んでいれば覚えていると思うけれど。
山頂は広々としているのでのんびり休憩する。12時半、風が冷たいので降ろうか。登りに要した時間は50分足らず、下りはもう少し少ない時間で行けるだろう。キラキラ光る笹原に遊ぶ小鳥、名前がわからないのが悔しいけれど、楽しみながら歩く。1時間はかからずに大峠に到着。
時間が早いので、以前から気になっていた猿橋に寄って帰ろうということになった。甲斐猿橋は江戸時代の浮世絵作者広重の作品にも描かれている、変わった形の木造の橋。岸の岩盤に穴を開け、斜めに差し込んだ刎木(はねぎ)を川の上に突き出して、さらにその上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる構造の橋。このような橋を刎橋(はねばし)と言うそうで、急流や、高所などに橋をかけるために工夫されたらしい。猿橋は、岩国錦帯橋、祖谷かずら橋とともに『日本三奇橋』の一つになっている。錦帯橋は、川幅が広すぎて刎橋が架けられないために、石垣で橋台を強固にして連続アーチ橋を架けるという工夫がされている。
『日本三奇橋』とは、このような江戸時代に造られた独創的な橋をいうらしく、猿橋と錦帯橋と、かつては越中愛本橋という長い刎橋が言われていたらしい。愛本橋は現在残っていないので、かずら橋になったようだ。かずら橋はシラクチカズラで編むという吊り橋で、3年に一度架け替えられるそうだ。
私は若い頃にかずら橋を渡ったことがある。四国の名山、剣山を目指して友人と出かけたが、登山口までの道が台風のために通行止めになっていたので、已む無くかずら橋や大歩危小歩危の探勝に変更したというちょっと残念な思い出だ。
そして娘が中学生のときには二人で広島や安芸の宮島などを訪ね、足を伸ばして錦帯橋を渡ってきた。
そして猿橋、岸壁から張り出したような複雑に重なり合っている刎木には感動した。そのころは刎木という名前は知らなかったけれど。ちょうど紅葉が美しい時期だったようで、渓谷の碧色に赤や黄色の木の葉が美しく映えていた。私たちは橋の下から見上げ、上から見下ろし、30分くらい橋の周りを歩いていた。近くにあったお団子屋さんで、夫の好物のお団子をいただき、3時半頃には帰路に着いた。
雁ヶ腹摺山は気楽な散歩道のように楽しめたし、猿橋では紅葉の美しさを堪能したし、なかなかに味わい深い秋の1日だった。