茅ヶ岳は深田久弥さん(作家1903-1971)が亡くなった山として有名だ。深田さんの『日本百名山』は今ではあまりにも有名になって、百名山ブームという言葉まで生まれた。だが、私が茅ヶ岳に登ろうと思ったのは実は深田さんを偲んでではなかった。『日本百名山』は私の愛読書ではあるが、たくさんの愛読書の中の一つだ。
茅ヶ岳は「ニセ八つ」と呼ばれることが多い。八ヶ岳に山容が似ているからだという。確かに東京方面から来て遠くに茅ヶ岳が見えてくると「あ、八ヶ岳かな」と思わせられることがなくはない。しかし、人間が勝手に間違えるからと言って「偽」と冠されたのではかわいそうではないか。よし、茅ヶ岳を目指して登ってこよう。
連休の真ん中の一日、5時過ぎに神奈川の家を出る。八王子バイパスから中央道八王子ICに入り韮崎まで走る。韮崎からは昇仙峡ラインというのを通って7時半には登山口の駐車場に到着した。靴を履き替えて歩き始める。森の中をまずはゆっくり歩いていく。新緑のみずみずしさが気持ち良い。しかし霧が漂っていて、どうやらあまり良いお天気ではなさそうだ。
ヤエヤマブキが綺麗な黄色を一面に広げていて、くすんだ今日の森を明るくしてくれる。足元にはクサボケの真っ赤な花が点々と続いている。カラマツの若葉がツンツンと飛び出している姿は陽気な森のオブジェに見えるのだが、今日は葉の先に梅雨を宿している。こうなると妖精が潜んでいそうなしっとりとした空間になってしまうのが面白い。
森の中を登る道には小さな春の花が咲き出している。登山道脇にはニリンソウの群落が続いている。今日の濃い霧は服が湿ってくるようで嫌なのだが、小さな春の花はしっとりとして美しく見える。鮮やかな黄色のミヤマキケマンがたくさん咲いていたが、花が真っ白なケマンソウもたくさん咲いていた。これはユキヤブケマンだろうか。奥には紫色が濃いムラサキケマンも咲いていたから、ケマンソウのオンパレードだ。湿っているところにはコガネネコノメソウが広がっていて、草原の乾いたところにはキジムシロと、黄色い花が目に入る。もっと小さなフデリンドウの青も、イカリソウの淡いピンク、センボンヤリの赤い蕾も色を添えているが、たくさん顔を出しているのはスミレ。名前がわからない桃色や薄紫色のスミレがたくさん咲いていた。近寄って葉を見ると何種類かの違うスミレだということはわかるが、名前を特定することができない。エイザンスミレだけはその切れ込みのある独特な葉で知ることができる。
白い花も春には多い。そっと顔を出すヒトリシズカ、可憐なワダソウ、ミヤマエンレイソウもここで見ると小さくて儚い感じがしてしまうのが不思議だ。
残念ながら見晴らしは望めそうもないが、小さな花々に慰められて登っていく。のんびり花を眺めながら1時間ほど歩くと切り立った岩の下に出た。ここが女岩。「落石注意」の看板が立ててある。岩の下には立ち入り禁止の黄色いテープが張ってあるので、岩の全容が見えない。斜めから見上げると頭の上に張り出しているようで怖い。どうして女岩と言うのか分からないが、この岩の右を巻くようにして登っていく。
ロープが取り付けられたところもあり、岩の急な道になる。しばらく頑張って稜線に出ると金峰山などが見えるはずだったのだけれど・・・、雨が降ってこないのを有難いと思うことにしよう。岩の上に小さなタネツケバナのような花が見える、ミヤマハタザオかな、可憐な花だ。
山頂についたのは10時20分。歩き始めてから2時間半、のんびりタイムで登ってきたのは遊びながらだったから。花をのぞきに寄り道したり、大きな木の幹に座って森の空気を味わってみたり・・・。公園からのコースは多く歩かれているようで、コースタイムも短く危険箇所もなく、こうしてのんびり歩いても大丈夫だ。
山頂からは、富士山、南アルプス、八ヶ岳、お隣の金峰山などが見えるそうだが、今日は白いカーテンに閉ざされている。無い物ねだりをしてもしようがない、白い世界でお昼を食べるのもおつなもの、ちょっと早いけれど。
さて、下りは防火帯の尾根を行こうか。森の中をただただ一気に降る道は、登ってきた変化あるコースに比べてあまり面白味のない道だった。空が明るくなってきたので、木々の隙間から麓へ続く森の広がりが見えたのがせめてもの楽しみだったかな。ただ、ミツバツツジの濃いピンク色が増えてきて疲れた気分を慰めてくれた。
深田記念公園には「百の頂に百の喜びあり」と書かれた深田久弥記念碑が立っている。山梨に住む友人がこの公園の整備に参加していたということは後になって知った。
公園を一巡りして駐車場に戻ったのは12時半、往路を通って家に帰り着いたのはまだ夕方の5時、ゆったりと山を楽しめた1日だった。