「ただいま」夫が朝散歩から帰ってきた。外はまだほんのり日の出待ち。一番日の出が遅い時期かもしれないと言いながら入ってくる。
今では山道を歩くのも私より早いかもしれない夫だが、若い頃は、山歩きはしなかった。スキーには夢中になっていたが、山歩きはもっぱら私の趣味。あまり人が行かなそうなコースを見つけては一人で歩いていた。夫が少し自然に興味を持ち始めた頃に「ガイドをしてあげましょう」と、一緒に歩き始めた。長い林道を歩きながら、あるいは山の中でおにぎりを頬張りながら仕事の話もした。ポツリポツリとするだけなのに、目の前が開けるような発見があったのは『山の効能』かもしれない。
予定していなかった丹沢山に登ってきてしまったのもそんな山の魅力の一つだったかもしれない。その日は、堂平のブナ林に黄葉を見に行こうと言って出かけた。日本の名だたるブナ林は遠くにあるが、堂平のブナ林は最も近くにあって、素敵だと聞いていた。途中の札掛までは何回か行っている。息子は丹沢森の学校に何回も参加していたので、彼が一番丹沢あたりに詳しかったかもしれない。そしてその先の堂平のことも、神奈川野鳥の会の人からその自然の豊かさを聞いていた。
家を5時半に出て札掛をこえ、塩水橋の近くに車を停めたのは8時だった。だが、そこからがまた遠い。延々と林道を歩いた。歩き始めてしばらくしたところで河原におり小休憩をしたが、後はただただ林道を歩く。2時間も歩いたか、暗い杉林を抜けるとようやく空が明るくなった。ブナ林の黄葉は少し遅めだったが、しばらく森の空気を味わっていた。車で丹沢奥を目指した頃から人っ子一人会わない。この広い森に私たちだけのような錯覚をする。
しばらく感激してブナの森の中を歩き回っていたが、道標の『→丹沢山』が気になる。1時間ちょっとと書いてあるから、「行ってみようか」と思うのが人情。そして騙されるというのがオチ。
ブナ林の美しさに元気をもらっていた私たちは、なんでもできるような気分になっていたかもしれない。下調べも何もしないで、その瞬間まで道があることも知らなかった登山道を歩き出した。
しばらくは呑気だった。堂平から森の中を登ると天王寺尾根にぶつかり、そこからは長い尾根歩きになる。朝の林道歩きに退屈していたこともあって、変化のある急登を楽しみながら登っていった。
ところが次第に道が崩れてきた。まだ百名山ブームとかいうものの前だったからか、ここを登る人は少なかったのだろう。それでも人の手は入っている様子で、大きく崩れたところには丸太が組んで保護してあるようだった。
崖に雪崩れるように地面が剥き出しになっていたり、左右に切れ落ちている痩せ尾根に道らしき踏み跡が続いていたり、かなり荒れていた。おっかなびっくり手も使いながらよじ登っていく。広い稜線にたどり着いたのはお昼近かった。稜線に出ると、森の美しい丹沢の山らしい風景になった。
もうすぐ山頂かなという期待は、だが裏切られた。長い、長い稜線を辿ってようやく丹沢山頂にたどり着いたのは午後1時45分。稜線からだけでも2時間近くかかっている。
しかし、稜線の森は美しく、気持ちよかった。汗びっしょりになって登った夫も、「帰ろう」と言わなかったのは森の空気に癒されていたからだろうか。
そしてついに山頂に飛び出した。山頂の広場にはベンチがあり、端の方には小さいながらも人気の山小屋「みやま山荘」が建っている。雲が多いので遠くまでの展望はなかったけれど、清々しい風が渡っている。苦労した効があった。山頂のベンチに腰を下ろす。遅いお昼をつまんでいるとアサギマダラが飛んできた。逃げる様子もなく、私の足の脇に止まっている。何かいい匂いがするのかな?
しばらく私たちの周りでヒラヒラしていたアサギマダラが高く飛んで行ったのを潮に、私たちも腰を上げることにした。30分くらい気持ち良い風の中にいた。
下りは道がわかるから安心感がある。ナナカマドの真っ赤な実を見上げたり、広葉樹の秋の彩りを見上げたりしながら降っていく。風が優しいので落ち葉はたくさん舞っていないが、それでもふわり、サラリと流れていく葉が目の端に楽しい。
崩れていても山道を下るのは面白かった。鎖場やガレ場を、気をつけて一歩一歩進む。水の濃いところにはダイモンジソウが一面に咲いていて、思わず歓声を上げる。
そして、ついに林道まで降りてきた。ここからがとてもとても長かった。どこまで行っても終わりが来ないような気がした。やはり疲れていたのだろう、実際は1時間20分位で車に着いたから、標準タイムより早いくらいかもしれない。
支度を整えて車を走らせたのは夕方の5時を過ぎていた。釣瓶落としの秋の日は山の向こうに隠れながら最後の光を空に映していた。