買い物に行こうと玄関を出たら、真っ青な空が広がり、雪を乗せた森がキラキラ輝いている。「こんな日は山へ行く方がいいね」と、家に入ってアイゼンや水、おやつをカバンにつめて再び出発。22日土曜日の朝。
さて、どこから登ろうか、毎日朝散歩に出掛けている夫に今日のコースを任せる。前日21日、私は滝公民館から上がり、森の道からりんご畑の間を通って登ったけれど、20日に降った20センチ以上の雪がそのまま残っていて、ラッセルしながら登ることになった。駒弓神社から山頂まで往復、一人だけの山歩き。膝を越える雪溜まりもたくさんあったけれど、面白かった。街を見下ろしても深いガスの下に沈んでいて中腹から上はずっと雪が舞っていた。
一転して、今日は青空。見事に広がる青空は久しぶりだ。気持ちが晴れ晴れとする。夫は朝散歩で途中までしか行けなかったからと、大峰沢を登ろうと言う。朝はスパッツをつけて行かなかったから、途中で引き返したらしい。私たちは大峰沢から歌ヶ丘に向かって歩き出した。
大峰沢の上の畑は一面の銀世界。雪の粒が太陽を反射してキラキラ光っている。畑を登り切ればすぐ戸隠バードラインへの車道にぶつかる・・・はずだった。ところが、大きな竹が道を塞いでいる。そうだ、ここは竹林の中を抜けるのだった。雪の重みでしなった竹の上にさらに雪が積もり、竹と雪の壁ができている。
雪をかいて竹の下に潜り込んでみたが、壁は幾重にも続いている。引き返そうかとも思ったが、距離は短いはずと、潜り込んでいく。なんとか抜けることができた。
歌ヶ丘に出ると、昨日の足跡が一つだけ続いている。少し楽になった。雪溜まりを苦労して歩く私たちを笑うようにカケスがにぎやかな声を立てている。
歌ヶ丘から物見岩へ抜ける分岐からは誰も歩いていない。またラッセルだ。猪の通った跡がたくさんあるが、このあたりでは野兎の足跡はあまり見ない。小さな虫の繭が小さな雪の塊を乗せている。小鳥の巣らしいものが雪の上に転がっている。雪がない時には見落としそうなものも発見できる、雪の里山の楽しみ。
物見岩で一休み、おやつを食べる。ここからはまた一人歩いた足跡が残っている。わずかに雪が乗っているから昨日歩いたんだね。私と同じ、もの好きがいるんだと笑う。眩しくてサングラスは欠かせないけれど、雲一つない青空は体も軽くなるような気がする。梢にはシジュウカラやヤマガラが飛び交っている。
ところが、こんなに晴れているのに遠くの山はよく見えない。長野盆地を取り巻く山々は見えているが、そのまた遠くの山は霞んでいる。晴れイコール見晴らしとはいかないところが不思議だけれど、面白い。
物見岩から森の中を進む。時々大きな音がして木の枝から雪の塊が落ちてくる。その後には雪の煙幕が続く。塊の直撃は怖いが、煙幕もまた身体中が白い粉に包まれてしまうので困る。いつ襲ってくるかわからないのだが、なんとか交わしながら進む。大峰山への分岐点までくるとようやく道は踏まれている。数人の足跡が行ったり来たりしている。
「ここからは楽ちんだね」「物見岩から登る人は少ないんだね」などと話しながら歩き始めるが、意外と歩きにくい。人が踏んだり滑ったりした跡が固まってしまっていると妙な癖がついていることになる。まっさらな雪の中は漕ぐのに労力がいるとはいえ自由だ。とはいえ、急坂は短い、一気に登ってスキー場跡に到着。目の前に飯縄山、黒姫山、妙高山が白く聳えている。ここからは地附山の山頂稜線、北側に続いているので雪は深いが、散歩道のようなところだ。
山頂で休んでいる人がいた。今日初めて人に会ったねと言いながら毎回の定点記念撮影をする。ベンチの雪をどかして休んでいる人はカップラーメンみたいなものを食べているが、私たちはお昼を持ってこなかったので、下ることにする。いつもの電車の撮影も今日はいいと鉄ちゃんの夫が言うので、駒弓神社に向かって下ることにした。ところが少し下ったところの木の間から街が見えるとワクワクしてきたようだ。「やっぱり行こうか」。
森の中の雪を掻き分けて近道をして登っていく。雪が積もっているからできること。いつもの場所から電車を撮影して戻る。
パワーポイントまで戻ると登ってくる人が何組かいた。スノーシューを履いている人もいる。輝くような青空の下、気持ちよさそうにカメラを構えているのを横目に私たちは家路を急ぐ。
駒弓神社までの登山道はスノーシューで平らにならされているので、私たちは滑るようにして一気に下りた。まるでスキーだね。
青空と輝く雪原、こういう美しい日があるから長い冬を乗り越える元気が出るんだねと話しながら、家に向かった。