暮れから年明けにかけて雪が続いた。ようやく青空が見えたと思ったら、今度は関東の大雪のニュースが飛び込んできた。長野で毎日雪と遊んで帰った孫たちは、今度は自宅の雪に大喜びしたようだが、都市の機能は大混乱した様子でもあった。
我が家の庭の雪も暮れから一向に消える気配もなく眩しい。晴れても足元の雪は凍ってカチカチのままの日もあれば、曇っていてもグシャグシャと溶けてくることもある。日々の変化を面白いと思いながら、雪の残る地附山に登ってみることにした。かなり積もっているので、スパッツは必須、登山道の様子によって考えようと、アイゼンはリュックの中。
青空が広がっていても、空気は凛と冷えているので木々に積もった雪はそのまま残っている。山肌に広がる白と木々に乗る白が奥行きのある風景を作っている。よく知った裏山から急に奥深い山懐に入り込んだような気分になる。こういうマジックに誘われるから自然への訪問は楽しい。
駒弓神社からゆっくり登っていく。アトリの群れが歓迎してくれる。登山道の表面はカチカチでもなく、グシャグシャでもない。ほどよく踏まれた雪道なのでアイゼンは不要。ちょっと急なところは気をつけてゆっくり登る。「第1難所は無事通過」。「ここは第2難所、ここを通過すればもう大丈夫」などと軽口を交わしながらパワーポイントに到着。志賀高原、菅平などの山々は少し霞んでいるが、冬はいつも雲に隠れている高社山がくっきり見えている。山頂部は真っ白だ。高社山が雪雲を遮ってくれるから善光寺平の雪は比較的少なくて済むと聞いたことがある。ありがたい山だ。
雪面にはノウサギの足跡が縦横に走っている。雪が積もる時だけ楽しめる森の動物たちの動きだ。
山頂への最後の登りを後に回して、今日は旗立岩のところまで行ってJR車両センターを見てくることにした。残念ながら霞んでいる。
しばらく眺め写真を撮って引き返すと、イケさんが向こうからやってきた。長靴に鋸を持って歩いている。この寒い季節に登山道脇の木を整備しているそうだ。山頂への登りのところで被っていた枝を払ってきたそうで、今度は古墳の下あたりを整備するとのこと。「動いていれば元気さ」と、笑顔が素敵だ。
イケさんと分かれて私たちは山頂へ。小鳥がたくさん飛び交っている。カラの混群らしい小さな鳥たちと、嘴の黄色いイカルの群れが遊んでいる。
鳥も賑やかな青空の下、妙高山、黒姫山、飯縄山が綺麗に見える。飯縄山の稜線伝いに霊仙寺山の山頂も綺麗に見えるのだが、つい飯縄山とまとめて呼んでしまう。今日の空は真っ青だが、妙高の中腹に雲がわいている。6日に一人で登ったときは中腹の雲はなかったけれど、上空には雲が広がっていた。1日でも同じ天気はない。
さて、山頂で小昼を食べる。木のベンチには雪が先客とばかりに積もっているが、誰かが端の雪をどけて座るらしく、山頂のベンチはみんな端が空いている。ビニールとタオルを敷いて座っていた夫が「やっぱり冷たい」と立ち上がる。マタギの人達のように熊の皮でも敷かなければ雪の上には座れないのかもしれない。
そんなことを話していると、毎日登っているという男性がやってきた。地附山で一番たくさん出会う人だが、名前を知らない。名前を知らなくても、いつも山の話をたくさんする。今日は雪深いところを歩いてきたから靴に雪が入っちゃったと、私たちのスパッツを見ながら「そういうのがあった方がいいな」と笑う。「どこで売っているのかな」と聞かれたので「スポーツ用品店に行けばありますよ」と答えたが、私たちの品はもう遥か昔に買ったものでゴワゴワしている。今はもっとスマートなものがあるようだ。
イケさんに会ったことを話すと、「おっ、それじゃ追いかけてみよう」と、急いで降っていった。「この短い足でかけっこだ」と朗らかな笑い声を後に残して。
私たちは先へ進んで物見岩の方へ降りてみようかと話していたのだが、グループ登山の人たちがそちらへ進んだという情報を得たので、今日はやめることにした。スキー場跡からロープウェイ跡、リフト跡などをめぐって再びパワーポイントを通って、来た道を戻ることにした。
余談だが、この翌日登って物見岩へ降りた。昨日の今日なのに、もう南側の登山道の雪は溶けて、堆積した落ち葉が雪溶け水に洗われてぐちゃぐちゃになっていた。アイゼンどころかスパッツも必要なかった。
真っ青な空の下、途切れることなく水滴が落ちてくる。時には雪や氷の塊も落ちてくる。枝に乗っていた雪が溶けて、晴れの日の雨となっているのだ。それでも家の北側の道路はカチカチの氷が張ったままなのだから、自然は侮れない。家から歩いて裏山と呼ぶ地附山を一回りしてくる間、一番怖いのは街の中の車道、カチカチに凍っていて滑るから・・・とは、つまらない笑い話だ。
やっぱり山がいい・・・と締め括っておこうか。