「神奈川県の西部、丹沢山塊の東に一つ飛び出した山、大山。標高1252mという高さながら、相模平野のどこからも見ることができる、独立峰らしい三角形の姿が綺麗な目立つ山。古くから信仰の山であり、山中に祀られる阿夫利(あふり)神社の創建は2200余年も前のことだと言われていて、山頂あたりからは祭祀に使われたと思われる縄文土器が出土しているそうだ。江戸時代には大山詣りに出かける人が年間20万人もいたという。当時は「講」という組織を作って、仲間同士でまとまって参拝をしたようだ。神社仏閣に参拝することが当時の人々にとって貴重な旅のチャンスだったということもあるだろう。
古典落語の演目にも『大山詣り(お怪我〜毛が〜なくてよかった)』の話があるが、江戸から比較的近い大山は、訪ねやすいところだったのだろうか。
大山にはこれまでにも何回か登っているが、神奈川から長野に引っ越しをすることが決まったときに、もう一度登ってこようと出かけた。しばらく見られないだろうから、相模平野をゆっくり見下ろしてこようと考えたのだ。そこで、大山文化を味わいながらケーブルカーで登るコースをとることにした。小田急線で伊勢原駅に着いたのは10時だった。駅前からバスに乗り、大山ケーブルの登山口に向かう。バスの終点から大山ケーブルの山麓駅までは歴史を感じさせる参道が続いている。
ケーブルの山頂駅からはすぐ阿夫利神社下社に着く。ここから山頂までは意外に険しい岩だらけの道が続く。今でも人気の山道らしく、途中にはいくつかの説明板が立っている。たとえば『牡丹岩』、説明板がないと見過ごして登ってしまいそうだが、確かに丸い岩が見える。
私たちは、説明板も楽しみながら山道をたどり、午後1時に山頂に到着。驚いたことに山頂には鹿さんがのんびりという感じで遊んでいた。確か、途中には鹿よけの柵もあったような気がしたのだが・・・。鹿さんは人がいるのも全く意に感せずという感じで座り込んでしまった。私たちは持ってきたおにぎりを鹿さんの隣で食べ、休憩タイムとした。
夫はゴロリと横になったかと思ったらうとうと眠ってしまった。ポカポカと暖かかったので、気持ちよさそうだ。
1時間ほどのんびりしただろうか。富士山もすぐ近くに見え、太平洋も江ノ島も見えた。満足して下ることにする。のんびり登山なので、下りも同じ道を下ってケーブルを利用する。午後4時には伊勢原行きのバスに乗ることができた。
道道咲き出した春の花を楽しみながらのポカポカ登山だった。
大山はケーブルで登ることができる山だが、丹沢の入り口ヤビツ峠から尾根伝いに登るコースもあり、その道もまた楽しいコースだ。 初めてヤビツから登ったのは、娘と息子、そして息子の婚約者という若者三人に囲まれての登山だった。ゴールデンウィークの幕開けだったが、夫は用があって帰省していた。私たち4人は秦野から蓑毛(みのげ)までタクシーで行き、そこから沢沿いの道を登り始めた。若者たちは元気で、道々楽しそうに話したり、ふざけ合ったりしていた。
私たちは、丹沢札掛までは何回も出かけているが、その途中の蓑毛から歩くのは初めてだった。蓑毛からテクテク歩いてヤビツ峠にあがり、そこから尾根伝いに大山まで歩いた。大山まで登るだけなら途中の斜面を右折して直接尾根に上がるコースの方が近道だったかもしれない。しかし、いつも車で通り過ぎるヤビツ峠まで、自分の足で歩いて登ってみたかったということもあった。
マメザクラの花が満開の尾根道を歩いて頂上にさしかかった頃に霧が深くなった。時々ぽつりと雨粒も落ちてきた。大山はまたの名を雨降山といい、雨乞い信仰の山としても知られている。雨乞いをしなくても濡れてきたのはそのご利益だろうか。
蓑毛からヤビツ峠まで2時間弱、ヤビツ峠から山頂まで1時間ちょっと、山頂に着いたのは午後1時頃、楽しく歩いた。
雨の当たらないところに座ってお昼を食べ、もう少し晴れないかと待ってみたが霧は濃くなるばかりだった。諦めて帰ることにしようか。帰りはケーブルを利用することにした。
降るともなく湿っぽい山頂からの展望を諦めて、下り始めたのは1時半。湿っぽい山道は滑りやすかったけれど、若者は物ともせず下りた。2時半過ぎにはケーブルに乗り麓の山道に下り着いた。参道沿いの道にはお土産屋さんや豆腐料理店などが軒を並べ、賑やかだ。一軒の店の前に大きな鉢に入ってクマガイソウが咲いていた。私はびっくり、嬉しかったが、この花を自然の中で見られたらもっと嬉しいだろうと密かに思った。
その後は、バス、小田急線、相鉄線、横須賀線を乗り継いで、当時住んでいた三浦半島の自宅に戻った。
私のノートにはいくつもの花の名がメモしてあるが、曇って湿っぽいお天気の中ということもあってか、鮮明な花の写真が少ないのが残念だ。
ヤビツからの道が楽しかったので、夫ともう一回訪ねたのはさらに10年近く後の夏休み、8月も後半だった。車でヤビツ峠まで登ったので、山頂までは1時間ちょっとの気楽な山歩きだった。
花を楽しみながら登って行った。登山道は鎖場があったり、えぐれた山道に曲がりくねったアシビの木がオブジェのように覆いかぶさっていたりして面白い。
山頂に11時前に到着したが、見晴らしはあまり良くなかった。待っているうちに晴れるかと山頂周辺を歩いていたが、霧が次第に濃くなってきたので、来た道を戻ることにした。幻想的な森の中には大きな丸い葉を広げたマルバダケブキの花が群落になっていて豪華だ。
秋めいてきた花々を眺めながら下り、午後1時過ぎにヤビツ峠に戻った。途中の森の中で赤い綺麗なキノコを発見、「これはとても華やかなキノコだから毒キノコかしらね」と話していた。当時は今よりもっとキノコの知識はなかった。派手な色のキノコはみんな毒と思っていた。この真っ赤な傘の、足元の白い卵を割るように出てきたキノコはタマゴタケ、どうやら美味らしい。後で知ったからと言って残念ではない。私たちの生半可な知識ではキノコは採らないと決めているから。
長野へ来る前に登った時にはシキミの花が綺麗に咲いていた。シャクナゲの花ももう咲いていて驚いたのだが。アズマシャクナゲだろうか、6月頃の花と思っていたのだが。やはり太平洋に近い大山は暖かい山なのだろう。ハチジョウキブシも満開だった。
雪が深い季節は、かつて歩いた太平洋岸の山が懐かしい。ポカポカ冬の陽だまりの中に花を探しに出かけてみたくなる。