「暮れから正月にかけて雪が続くらしいよ」と夫。「山へ行くのは今日しかないみたいだ」と続く。雪の予報は明日あたりからしばらく続くらしい。よく知った里山という条件の中でなら、雪が積もる山道を歩くのも楽しい。とは言うものの、降りしきる雪の中をわざわざ歩きたいとは思わない。しばらくはあったかい家の中で過ごす日々か・・・、今日はチャンスだ、歩いてこよう。
どこへ行こうかと迷い、茶臼山にしたのは雪のないあったかい山道を歩けると思ったからだったが、先週末いきなり降った雪は多かったようで、茶臼山にも予想外にたくさん積もっていた。植物園から登ろうかと話しながら行ってみたが、3月まで工事のため通行止めとの表示、有旅茶臼山登山口へ車をすすめた。
斜面に広がるりんご畑も今は一面茶色に枯れている。日陰に寄せられた雪の塊が、登っていくにつれ大きくなっていく。森の影になって1日陽が当たらないところは路面が凍結しているが、暖かい日光に恵まれたところはカラカラに乾いている。
駐車場から山道に入ると、笹の上にも白く雪が積もっている。秋に来たときにたくさん実をいただいた(※)クリのイガも雪の下になっている。地滑りで崩れたという、有旅茶臼山の崖が垂直に立っていて、雪景色の中では険しさが増して見える。雪の中に野うさぎや猪らしい足跡が弧を描きながら続いているが、正体不明の大きな足跡もあった。熊に似ているけれど、熊よりちょっと細いようだ。大型の犬の可能性もあるが、昨今の犬は人間と一緒に散歩するだろう。 (※山歩き花の旅 220 茶臼山から信里の秋を見る)
植物園に向かう道を左折、山道を登り始める。道の脇にはフユノハナワラビが穂を掲げているが、雪におされて倒れてしまっている。もう胞子を飛ばしたのだろうか、これからという時だったなら気の毒に、などと思いながら登っていく。雪が積もると、鮮やかに晩秋を謳っていた木の葉も、木の実も一気に落ちてしまう。冷気にあって縮こまってしまうように木々は葉を落とし、実は萎びてしまう。そんな山道でしわがれた木や草の実を見つけるとなぜか愛しくなってしまう。「まだ頑張っていたね」と声をかけてあげたいような気持ちになる。
わずかに急坂を登ると針葉樹の森になる。山頂までは雪が残る暗い道だ。サワラの木やアカマツの木が多いからだ。だが、三角点がある山頂に飛び出すとそこはポッカリとした陽だまりになっている。周りは高い木に囲まれているので展望はない。どうしてここに三角点があるのか、いつも不思議に思う。確かに木がなければ見通しが良くなりそうだけれど。
山頂を後にして、北アルプス展望台に向かう。雪を乗せたアルプスには威厳を感じる。これからどんどん白さが増していくだろう。八方尾根はもう真っ白だ。あいにく雲が多いので山頂部分は隠れているが、それでも飽きない風景だ。眼下に広がるのは、豊かな山里の佇まい。日本の原風景とも言えるような信里の田園風景だ。段々に耕される棚田の作業は実際には大変なのだろうと思うが、森の中に緩やかな傾斜になって広がる田畑は見ている限りは心惹かれる美しさだ。
昼には少し早いけれど、おにぎりを食べようかと見回すが、腰を下ろせそうなところはない。敷ビニールは持ってきたけれど、雪の上では冷えてしまう。「いいよ、立ったままで」。美しい景色を眺めながらの立ちおにぎり、これもまた冬の山歩きの面白さか。手作りおにぎりはやっぱり美味しい。
おにぎりをたべ、さらにしばらくアルプスを眺めていたが、今日の雲は消えるつもりがないようだから、帰ることにした。周辺は一面の雪だが、山道は人に踏まれて溶けている。だが、油断すると水溜りに薄氷が張っていて、ドボンと踏み抜いてしまう。それほど深くはない水溜りだけれど、靴が濡れてしまうのは避けたい。
降りになると、雪のついた道は滑りやすい。急坂はいっときだけだけれど、気をつけて降りる。ふと足元を見ると雪の中にツンツンとアキノギンリョウソウが実を掲げている。今年はどうやら豊作だったようで、近隣の里山でたくさん見ることができたが、茶臼山にもたくさん咲いたようだ。そして、確かこの辺にあったと見上げればクサギの実が茶色く枯れて項垂れている。それぞれが今年の役割を終えて、眠りにつこうとしている。また来年会えますように。
綺麗になってきた青空を見上げると、大きな木の枝が白くなっている。まるで白い花が咲いているようだ。あれは葉だろうか、実だろうか。ヒラヒラと羽のような感じは楓の木の実のようでもあるけれど、梢は高すぎてよく見えない。
森の中には今にも倒れそうな、びっしりとキノコに覆われた木もあった。数センチに満たない幼樹もあり、それぞれがそれぞれの場で生きている。今花を咲かせているように見える木は、来春どんな花を開くのだろう。