夏休みといえば、「東北の山へ」という夢が膨らんだ。まとめて休みが取れない年は諦めなければならないが、二人の休みをうまく合わせられた時は弾んで出かけた。
月山には、昔一人で登ったことがあるが、標高2千メートルに達していないとは思えない伸びやかな山稜が大好きだった。もう一度夫と一緒に歩いてみたいと思ったので、まずは月山を目指して出発。
長野に寄ってからの出発になったので、北陸道を走り日本海沿いに北上、当時最終地点だった神林岩船港ICからR7号を走り、1日目は夕方早めに鶴岡のホテルに入った。
翌日は7時過ぎにホテルを出発した。山形道を走って湯殿山ICで降り、月山花笠ラインR112でリフト乗り場に向かう。ペアリフトが動いているので、そこから登ろうということになった。リフト乗り場の駐車場に車を停めたのは9時。リフトはありがたい。一気に高度を稼いで、月山に続く広いお花畑に出た。少し歩くと分岐点になる。姥ヶ岳経由の道と、湿原を歩いて牛首に至る道。私たちは姥ヶ岳を帰りに回すことにして、直接牛首へ至るルートをとった。牛首カールを見ながらの登りだ。
チングルマは赤い実が風に吹かれていると思えば、まだ白い花が一面に咲いているところもある。雪解けとともに咲き出す花だから、雪が残っていたところは花も遅い。緑の斜面を黄色く彩っているのはニッコウキスゲ、まだコバイケイソウも白く残っている。大きな目立つ花ばかりでは無い。草の陰にはブルーに輝くミヤマリンドウが塊になって咲いているし、コイワカガミのピンクも賑やかだ。
まだ雪が残る稜線のなだらかな緑と、お花畑を楽しみながら牛首まで歩く。牛首で姥ヶ岳への道を分けて山頂を目指す。花を見つけるたびに足を止めるから、とてものんびりタイムで歩いている。しかもお花畑が続いているから止まっている時間が長い。麓の宿に泊まる予定の夏休み優雅登山ならではのコースタイムと言えようか。
山頂の広い草原に着いたのはちょうど正午だった。まずは山頂に立つ月山神社にお参りしてから、広い山頂の真ん中で休憩することにした。
ずいぶん昔に一人で月山に登った時は、頂上小屋に泊まった。羽黒山418mにお参りして弥陀ヶ原の湿原を通って山頂に着いた。夕焼けを眺め、翌日は日の出とともに出発。牛首カールを越え、金姥分岐から装束場への道を分け、湯殿山神社に降った。梯子場や険しい岩場が続く、修験道らしい道だった。
また再び山頂に立てて、元気でいることの幸せを噛み締める。だが登頂時の写真を見ると、標高1980mとある。今、山頂には1984mと。国土地理院の2011年の発表でも三角点「月山」の標高は1980m(正確には1979.98)、山頂は三角点より上ということなのかもしれない。
そんな細かいことは、山の自然を楽しむ私たちにとってはあまり大きな意味はない。さすがに月山は人気の山らしく、山頂には登山者が行ったり来たりしている。私たちは山頂の大きな石に腰掛け、おにぎりを食べながら美しい花の広がりを眺めていた。私の大好きなハクサンイチゲが、あちらにもこちらにも純白な花を開いている。仲良く光っている黄色はミヤマキンポウゲだ。
1時間ほど花を眺めて、やおら腰を上げる。今日のうちに降りてホテルに向かわなければいけない。今度は牛首から姥ヶ岳に向かって尾根道を辿る。四ツ谷川上流に広がる地形は、牛首カールと呼ばれている。緩やかなU字谷地形で、下部には底堆石層の露頭があるそうだ。ここはかつて氷河があったところ。月山山頂のなだらかな地形には、氷帽氷河(アイスキャップ)が存在していた可能性があるそうだ。
花々が目を楽しませてくれる中を進む。金姥に着いたのは午後3時、ゆっくりタイムだ。もう少しで姥ヶ岳というところでポツリポツリと水滴が落ちてきた。急いで雨具をつけて歩く。
山頂に着く頃には雨粒はあまり落ちて来なくなった。ガスが濃くなって、湿っぽい空気になってしまったが、空から落ちて来ないだけでもありがたい。姥ヶ岳を越えて、朝分かれた分岐まで戻ると、リフトの山頂駅はもうすぐそこだ。
森の中を歩いていると、ツルニンジンの蕾がたくさん膨らんでいる。ツルを辿ってみると、ようやく一輪咲いているのを見つけた。これからたくさん開くのだろう。花もそれぞれの場所を選んで咲いている。
月山はなだらかな山頂部からわかるように、激しい急登や岩登りはあまりない。もちろんコースによっては鉄梯子を登ったりするところもあるが・・・。私たちが歩いたコースは晴れていれば最高の散歩道だ。今回もたくさんの花に出会えてずっとルンルン気分だったことを白状しよう。
月山から下山して、天童へ向かった。4時過ぎには出発できたので、山形道を走り天童に向かった。天童は将棋の駒で有名なところ。2007年の夏に東北の仲間と仕事関係のミーティングがあって滞在したことがある。夫が体調不良で一緒に出かけることができなかったので、今回は二人で街を訪ねた。明るいうちに街に入ったので、3年前に私が歩いた街の様子を眺めながら買い物をして、夕方の6時前にはホテルに入った。
翌日は蔵王山を目指す。8時、ホテルを出発。天童から東北中央道に乗り、山形上山ICで降りてからは山の間を走った。蔵王エコーラインを走り、リフト乗り場に車を停める。またもや楽ちん登山を目論んでいる。少ない日程であっちもこっちも楽しもうという欲張りな計画だと自嘲する。
だがありがたいことにホテルを出発して1時間半でお釜の上に到着した。山形と宮城の県境の稜線馬の背を歩いて、まずは最高峰の熊野岳をめざそう。稜線に出るとただただ広い。どこまでも続くうねるような草原。活火山らしい、木のない地形だ(その後噴火警報が出て立ち入り規制が敷かれたこともあり、まだまだ警戒が必要だ)。
目の前に蔵王のシンボルとも言えるお釜が深い碧色を湛えて、そこにある。じっと静かにある。なんだかすごい迫力だ。私たちはしばし見とれていた。
さて、熊野岳へ向かおう。岩がゴロゴロしている地形に咲くコマクサが地面を這う風にククククと揺れている。彼女は大きく揺れない、倒れずに花だけ静かに揺らしている、女王と呼ばれるだけあるなどと思う。
岩礫地なので大型の花はあまり咲かない。シロバナトウウチソウ、ミヤマハハコ、ミヤマモジズリ、イブキゼリ、クモマニガナなどが咲いている。お釜の淵には白いトウウチソウが縁取るように咲いていたが、大きな株になっているのはかなり赤い色が強いのもあった。それでもこの辺りに咲くのはシロバナトウウチソウらしい。図鑑には「赤い色のものもある」と書いてある。
しばらくお釜を右下に眺めながら馬の背と呼ばれる稜線を歩いていく。熊野岳はなだらかな盛り上がりを見せている。避難小屋跡を過ぎていくと熊野岳山頂、10時40分到頂。山に登ったというのが申し訳ないような平らな山頂だ。しかし見晴らしは良い。熊野岳の山頂表示柱には1840mとある。だが私の登山メモには1841mと書いてあり、それは現在も同じようだ。私はどの表示を見て1841mとメモしたのだろう。この部分の記憶がない。
ずっと同じ景色が続いているので、山頂ではあまりゆっくりせず、再びのんびりお釜の方に下り始める。今度は刈田岳を目指す。観光目的の人たちは刈田岳を往復して帰るようだ。熊野岳にはほとんど人が来ない。
再びお釜を見下ろしながら稜線を歩き、人がたくさん動いている刈田岳へ登る。刈田(かった)岳の山頂には刈田嶺神社が祀られ、昔は修験者の山だったらしい。神社の近くにはメートル指導標という大きな柱が立っていた。尺貫法からメートル法への移行の流れの中で建設される様子が『宮城県計量協会のあゆみ』に載っている。だが、目の前に大きな柱を見たときはメートル指導標とはなんぞやと首を傾げた。
刈田岳には蔵王ハイラインという有料道路が上ってきているので、人が多いようだ。山頂は広いが、私たちはあまりゆっくりせずに引き返すことにした。
リフト乗り場までゆっくり歩き、雄大なお釜の風景をもう一度目に焼き付けた。リフトに乗ったのはちょうどお昼だったので、少し走り、見つけた蕎麦屋さんで昼食を食べた。あとはゆっくり東北の空気を楽しもう。明日は一日直走りで家に帰るのだ。
宮城蔵王のこけし館が目に入ったので寄ってみることにした。山の後の観光、男性がこけし作りの実践をしていた。優雅な曲線に木を削る技に驚く。館内にあるお遊びの顔出しこけしで観光気分を楽しんで、ホテルに向かった。