民謡で『宝の山』と歌われる磐梯山(ばんだいさん)は、別名会津富士とも呼ばれる美しい山だ。安達太良山からその美しい姿を眺めてから3年後の同じ季節に夫と私は磐梯山に向かった。
民謡で歌われる宝って何のことだろうと思うが、色々な説があるようで確かなことはわからない。日本は火山列島などと呼ばれるが、磐梯山も明治21年には大きな噴火が起き、災害規模も大きかったそうだ。宝の山というには恐ろしい山かもしれない。
身上つぶした小原庄助さん(民謡のお囃子)も、その正体ははっきりしないらしい。豊かな山と、猪苗代湖や裏磐梯の湖沼群の豊かな水に恵まれた里というような意味合いがあるのだろうか。身上つぶすまで思いっきり遊び暮らしたというのも豪気なことではないか。
会津の人たちには強い思い入れもあるかもしれないが、旅人の私たち、磐梯山登山を楽しませてもらおう。9月の連休を利用して福島まで走り、前日は会津若松駅前のホテルに泊まった。朝家を出たので、猪苗代磐梯高原ICで高速道路を降りた時はまだ明るかった。猪苗代湖の湖岸に立つ猪苗代地ビール館に寄ってみた。お隣の世界のガラス館ものぞき、夜の楽しみのビールを買ってホテルに入った。
翌日は6時過ぎにホテルを出発。磐梯山ゴールドラインを登り、7時半には八方台登山口に到着。あいにくの空模様なので、雨具がすぐ出せるように準備し、靴を履き替えて歩き始めたのは7時45分だった。
森の中の道を登っていくと開けたところに出る。ここは少し前まで営業していた温泉の跡だ。中の湯と看板が立っている。温泉が湧いているのだが、入浴はできそうにない。奥の方には温泉として営業していた建物がまだ残っている。
山頂方面はガスに隠れているので、先を急ぐ。湿原の木道を越え、森の中を登る。オヤマリンドウが濃い紫色を掲げて歓迎してくれたが、ガスは濃くなるばかり。シラカバもダケカンバも霧に湿ってくすんできた。高度を上げるに従って霧の粒は大きくなって、ついにぽつりぽつりと落下し始めた。雨具をまとい、急ぎ足になる。そろそろ景色も良いはず、晴れていれば楽しい道だろうが、雨っぽい空の下では展望はない。
道は森の中で危険なところはないので、何とか1時間ほどで岡部小屋にたどり着く。9時20分。この頃には雨が強くなってきたので、小屋に入って雨宿りをすることにした。岡部小屋は売店のみの小屋で、宿泊はできない。それでも今日の登山者の雨宿りには十分だ。私たちが小屋に入ってホッとしていると、数人の女性グループが入ってきた。賑やかだと思っていたら「あ、ヨン様」「きゃー」と大きな声。その後は一段と賑やかになり、私と夫は首を傾げる。岡部小屋の壁に、当時の人気韓国ドラマの主人公の大きなポスターが貼ってあったのだ。ドラマを知らなかった私は「これが噂のヨン様か」と、その人気ぶりに驚いた。
幸い20分ほど休んでいると雨は小降りになってきた。さぁ、山頂まで行ってこよう。小屋にいた人たちは皆この時を待っていたので、一斉に外へ出て歩き始める。山頂までは30分、だんだん雨は上がってきたが、森の木々は露を宿している。雨具はまだ脱げない。
10時10分、やった〜磐梯山山頂に到着。
磐梯山1819m(私たちが登頂したときの標高は1904年設置の三角点「磐梯」の標高。その後、侵食されて消失してしまい、2010年10月新設した時に計測し直した1816mに改められた)、山頂は真っ白。いやそれどころか猛烈な風が吹き付けている。小屋から上がってきた人たちも山頂に到着、それぞれが記念撮影をしようとするが、岩ばかりの山頂にまっすぐ立つことができない。這うように進んで、岩の影で撮影したりする。私たちも近づいてみたが、立つと突風に煽られてタタラを踏んでしまう。やはり山頂標のある岩のところにしゃがんで記念撮影をした。
見晴らしも何もない。とにかく山頂に立ったねというばかり。わずかに下がって木々の茂るところに降りれば風は弱まるのだが、それにしてもすごい風だ。しかも止むことなく一方から吹き付けてくる。狭い稜線だったら吹き飛ばされて滑落してしまうかもしれない。なかなかに恐ろしい体験だった。
天気の回復は見込めそうもないので、早々に山頂を後にした。岡部小屋の前の弘法清水に触れ、そのまま来た道を帰る。ガスは濃く、風も強いが、幸いなことに雨は落ちてこない。登りよりはゆっくり周囲を眺められる。中の湯跡では少し周辺を歩いてみたり温泉に手を入れてみたりして楽しんだ。
八方台の登山口に帰り着いた時は正午を回っていた。濡れた雨具や登山靴を手入れして帰路についたのは12時40分、最後のお楽しみと、高速道路のサービスエリアで喜多方ラーメンを食べ、車にはお土産の喜多方カップラーメンを積んで、遠い道を走り、我が家に帰り着いたのは午後7時、暗くなっていた。