山の肌が青から赤に変わって、遠くの山に雪が乗る頃になると地附山は紅葉の盛りを迎える。11月10日前後が最盛期だろう。何回か登ったけれど、今年は一面の真っ赤な世界に会えなかった。少しずつ変化していく赤や黄色のグラデーションには会えたのだが。天候のせいか、落葉するのが早いように思える。木の葉から緑が後退していき赤や黄色になった頃パリッと開いてから落葉すると光に映える。緑が後退すると同時に茶色に丸まってしまうと美しい紅葉にならない。自然の摂理だから仕方がないことなのに、毎年「今年は綺麗だ」「今年は色が薄いねぇ」などと勝手なことを言っている。
17日の朝、買い物に出かけようと言って玄関を出た。目の前に青空が広がり、地附山が綺麗に見える。「今年の紅葉の見納めかも知れないね」「行こうか」、行先変更。戻って水やおやつを持って出発。
公園のポプラはずいぶん葉を落とした。ミヤマガマズミも葉が無くなって赤い実だけが光っている。
今日は紅葉が目当てだから、ゆっくりゆっくり歩いていこう。11月になってから何回か登ったけれど、ちょっと早いね、もう少しだねなどと言っているうちにこの日になった。そして今日はちょっと遅かった。すぐ近くの裏山なのに、こんな調子だから、遠くの紅葉の見頃を訪ねることができるのは稀有なことなのかもしれない。
カエデは木によって色が変わる時期が異なる。だから緑濃い木もあればオレンジ色に染まり始めた木もある。そしてその隣には真っ赤に輝く木もある。その変化を見ながら歩くのは楽しい。色の異なるカエデを集めて水に浮かべて楽しんだこともある。今年は拾いながら登って山頂のベンチに並べてみた。
木の個体差もそうだが、葉を見るともちろん一枚一枚個性がある。カエデはそれほど大きな差はないけれど、ダンコウバイなどは違う木の葉かと思うこともある。大小はもちろん、形も違うから面白い。お隣の大峰山に登ったときに拾ってみた。手のひらに何枚も乗るような小さい物もあれば、手のひらが隠れるほどの大きい物もある。ダンコウバイの特徴の二つの切れ込みが全く見られない葉もある。ほんとに自然は奥が深い。
落葉を拾いながら歩いていたら、ふと目にとまったものがあった。四葉のクローバー。見つけるとなんとなく嬉しくなるものだ。クローバーが茂っているところで探したことはあまりないのだけれど、歩いていてふと目にとまることはよくある。いつも夫に驚かれるけれど、山道ばかりでなく街中の公園などでも見つけることがある。そっと摘んで山頂まで持って登った。今日の記念撮影は四葉も仲間入りだ。
今日は大峰山には回らないけれど、この前大峰山に登ったときに山頂の立ち入り禁止の枠がまた変わったと話した。一本の綱が張ってあったところに金属の台が加わった。頑丈になったということだ。これでは本当に来春の花に会えるか不安だ。
花もそうだが、花に会いにくる蝶や蜂にも会えるチャンスが減るかもしれない。大峰山の三角点は城の裏にあって、そこにはヨツバヒヨドリなどの花が咲いてアサギマダラが遊んでいることが多い。だが、立ち入り禁止の奥になってしまうから、来春行けるかどうか・・・。
アサギマダラといえば、もう今年は会えないかと思っていたら、大峰山の麓で元気に飛んでいるのを見た。だいぶ寒くなったけれど、大丈夫かな。ひらりひらりと浮くように、優雅に空高く舞い上がっていった。
寒い長野でも成虫で越冬する蝶もあるというが、アサギマダラは南へ飛んでいく。長い旅をすることでも知られている蝶だ。晩秋や、初春の晴れた日に日向ぼっこをしてじっとしている蝶に会うことがあるが、羽がボロボロになっていたりして、厳しい冬をどうやって越すのだろうと思う。
さて、森の中の道を辿って降ろうか。一面に転がっていたどんぐりも踏まれて土と一体化し始めている。森の中の道は季節によって自然の恵みがたくさん落ちている。今は落ち葉が積もって紅葉の道になっているが、春には花の道になる。
一体幾つの実が春になって芽を出すのだろう。スマートなコナラ、まん丸いクヌギ、形のいいのを拾って帰ろう。孫が喜ぶだろう。地面を見て歩いていたら、ヤマナシがぽとりと落ちている。どこから見ても梨だ。枝についているのを見たいと思って見上げるのだが、いつも首が痛くなるばかりで見つけられない。先日は家に持って帰って切ってみた。とても美味しそうに見えるのだが・・・硬くて粒々が多くて食べられるものではない。でも味は悪くない。酸っぱくて爽やかだ・・・、舐めるだけなら。
森の中には、繁殖力の強いもの、臭いものなど、嫌われるものも多い。草藪を刈ったり、伐採をしたり、人間も仲間になってつきあってこその、里山の美しさなのだろう。