秩父の『大菩薩峠』と言えば、ああと頷く人は多い。山を歩く人も山にはとんと興味がない人も。どんなところか知らないけれど、その名前は知ってるよという人がたくさんいる。中里介山の時代小説『大菩薩峠』が有名だからだろう。
そういう私も、机竜之介という幕末の剣士を主人公にした未完の長編小説だということはどこかで聞いているが、読んだことはない。映画にもなっているそうだが、それも見ていない。ただその有名な名前に惹かれて、若い頃一人で大菩薩嶺に登ったのは秋から冬への移ろいの季節だった。
裂石(さけいし)から上日川峠への芦倉沢沿いの道へ入る頃はまだ薄暗く、山は朝靄の中に沈んでいた。沢の道を登り切るとカラマツの落葉がハラハラと雨のように散っていたのを思い出す。途中の見晴らしの良いところからは富士が見えた。富士まで続く山並みが幾層にもなって遠く遠く感じられた。
すっかり枯れ野原になっている大菩薩峠から大菩薩嶺(だいぼさつれい)へ。雷岩と看板が出ている分岐点には人が数人休んでいたが、山頂は誰もいない木々に囲まれたところだった。山頂から先へ進み、丸川峠を目指したが、ますます人のいない山域になった。急傾斜を降りて峠へ向かう平坦な道に差し掛かったら、厚い黒雲が雪崩れるように降りかかってきて恐ろしかったことを覚えている。今思えばあれが滝雲というものだったろうか。丸川峠から裂石へ降りるみそぎ沢はまだ紅葉が綺麗だった。
夫とどこかへ行こうよと話していて、大菩薩を目指したのはやはりその名前に誘われたのかもしれない。夏休みを利用しての山歩きだったから、贅沢に一泊することにした。
一日目は午前11時頃に家を出発、中央自動車道を勝沼インターで降りて雁坂道を上り西沢渓谷を散策した。若い頃、冬の金峰山に登った時に、朝日岳、国師岳を越えて、西沢渓谷の上流に滑るように降りてきたのを思い出す。今回は散策コースを巡ってホテルに入った。
二日目いよいよ山へ入る。山の近くで宿泊したので、朝がとても楽だった。6時過ぎに出発すれば、7時には峠の駐車場に着く。しかも昔一人で登った時には下の沢道を辿って歩いて登ったのだが、車なら上日川峠まで一気に上がってしまう。
奥深いという感じの緑濃い森の中を歩き始める。35分ほど気持ち良い山道をゆっくり歩くと福ちゃん荘に着く。ここまで上がれば大菩薩嶺の稜線が見える。汗を拭きながら周囲の見晴らしを楽しむ。
福ちゃん荘からは直接大菩薩嶺へ向かう唐松尾根と、大菩薩峠へ向かう道が分かれている。私たちは右へ進み、富士見山荘の前を通って大菩薩峠を目指す。福ちゃん荘からは40分ほどで大菩薩峠に着く。峠には門のように介山荘が立っている。小屋のおじさんが話好きで、他にあまり人もいなかったので、おしゃべりをした。おじさんは周囲の草原を見回しながら花がみんな無くなったと嘆いていた。「この辺りには一面ヤナギランが咲いていたんだけどねぇ・・・」、鹿に食べられてしまったから今は何もないよと寂しそうだ。
私が一人で登ったのは初冬だったから、今回は花に会えるのを楽しみに来た。だが、確かに小屋のおじさんが言うように花が少ない。
広々とした草原には今こそ咲き乱れた花の色が似合うのに・・・緑が広がっているのは笹ばかり。それでもポツリポツリと咲く花を見つけては喜ぶ。オレンジ濃いコウリンカは鹿が食べないそうで、あちこちに咲いている。
門のように立っている小屋の真ん中をくぐるようにして進むとすぐ峠だ。
午前8時半、まずは目的の一つ大菩薩峠1897mに立つ。青梅街道がここを通っていたそうだ。もちろん人々は荷を背負って、歩いてこの山道を登ったのだ。青梅街道というと、つい東京都心を走る幹線道路を思い出してしまうが、江戸時代に石灰を運ぶ道が元だったそうだ。新宿を出て青梅を通り、大菩薩峠を越えて甲府で甲州街道に合流していたそうだ。
昔の人にとって、旅をするというのは大変なことだったと、ここに立ってみるとつくづくその苦労が偲ばれる。
さて、峠を越えて親不知ノ頭に登る。振り返れば峠の向こうに熊沢山、石丸峠方面の峰々が見える。タムラソウの紫が綺麗だが時々ガスが流れて眺望を隠す。振り返って右に目を移すと秩父の山々の上に富士山が見える。雲が湧いてきたので、富士は遠くに頭だけ見えている。下に広がる湖は上日川ダムのダム湖、大菩薩湖だ。
ガスは流れて動きが早いので、遠くの展望を隠したと思うと一気に青空が広がったりする。まさに山の天気。賽の河原と呼ばれる岩が積み重ねられたガレ場を歩き、雷岩を目指す。幸い空は青いまま、気持ち良い稜線歩きだ。花が少ないので尚、花に目が行く。アザミに似たタムラソウがスッと伸びて咲いている。この花が咲いていると、秋が近いことを感じる。草の中にはハナイカリやヤマハハコが地味な色合いの花を咲かせている。一面のお花畑を期待して登ってきただけに、花が少ないのは残念だ。その少ない花に蜂や蝶が蜜を求めて集まっているのがなんだかいじらしい。
雷岩に到着。若い頃に登った思い出の場所だ。ほとんど人に会わなかった晩秋の大菩薩だったがここには人がいたから、写真を撮ってもらった。あの場所で記念撮影をしようと思ってきた。ところが、大きな板の雷岩の看板はなくなっていた。道路標識に小さく雷岩と書いてあるだけ。それでも夫がそこではいパチリと一枚撮ってくれた。思い出の場所でしょ、と。
雷岩からは展望が開ける。遠く富士の頂が雲の上に見える。秩父の山並みは青く幾層にも重なって連なっている。私たちはしばらく岩の上に登って見晴らしを楽しんだ。
雷岩を越え、いよいよ大菩薩嶺に登る。10時10分、2057mの山頂に到着。ここはやっぱり木々が茂っていて展望はなかった。
展望はないけれど、山頂は格別。ここでおにぎりを食べることにした。人がいないので、のんびりできる。
おにぎりを食べ、20分ほど山頂の雰囲気を味わい、再び雷岩目指して今度は降る。
無いと言われれば探すのが人情か、花が咲いていると「あった」と喜ぶ。岩がゴロゴロしているところにもタカネマツムシソウが薄紫の可憐な花びらを揺らしている。8月の半ばといえば山はそろそろ秋の風、清々しい風の中に揺れている花はどこかいじらしい。どうかいつまでも咲いていてねとつい話しかけているのが自分でもおかしい。
帰りは雷岩からそのまま福ちゃん荘を目指す唐松尾根をたどる。福ちゃん荘に着いたのは11時半、休まず上日川峠に向かいちょうど正午には車にたどり着いた。
中央道を走って我が家に着いたのは5時半、まだ暗くなる前だった。