涼しくなってきたからか、夫は早朝散歩に時間をかけるようになった。大峰山、地附山や観音山の中腹を回って花や鳥の写真を撮ってくる。
汗で濡れたシャツを洗い、干し終わってからが私の散歩時間。などというような役割分担をしているわけではないのだが、ここ数日の私たちは別々に山を歩くことが増えた。
この日、夫がオヤマボクチの花が咲いたよとカメラを見せてくれた。フィルムの時代には考えられなかったデジタルの便利さ。今撮った画像をすぐ見ることができる。
物見岩に向かう登山道だが、入り口は木で覆われ、わずかな知る人しか入れないような山道の奥にオヤマボクチの蕾を見つけたのは、9月なかば。10月になってそろそろ咲いているかと思って行った時も、まだ蕾だった。それがようやく開いたという。ノブドウの色も何色かに染まり始めた。私も見てこよう。
秋になってからまだ歌ヶ丘コースを登っていない。南斜面だからオヤマボクチも咲いているのではないか。9時頃ゆっくり家を出る。大峰山や地附山に登るコースはいくつかあり、その登り始めまで行く我が家からのコースもいくつかある。わずかな距離ではあるが、家から登山靴を履いて歩き始めるコースのバリエーションが楽しめる。家を出て歩いていくと稲刈りの済んだ田の向こうに地附山が見えている。刈った稲を干している風景は最近ではあまり見なくなった。
さて、今日は大峰沢の右岸を登り、歌ヶ丘に直登しよう。谷を覆い尽くしていたクズなどのツル植物も勢いが弱くなったか、隙間から沢が見下ろせる。
真夏のどこもかしこも明るい眩しい太陽に比べ、秋の陽は斜めから射すようにチラチラと踊っている。濃い木の影との対照で森の陰影が深くなる。周囲の斜面に目を凝らしながらゆっくり登っていく。ジンヨウイチヤクソウの実は以前見たまま立っているように見える。チゴユリやミヤマナルコユリは茶枯れて地面と仲良くなっている。それぞれが冬を迎える準備をしているのだろう。
ふと赤いものが目を引いた。あれ、ヤマツツジだ。今年は例年に比べて花が少ないと思っていたが、今頃咲いている。落ち着かない気候で、花も感覚が狂ったのだろう。こんなふうに季節を変えて咲く花を、狂い咲きと言う。秋に桜が咲いたなどというニュースを聞くことがあるが、急に気温が下がり、再び暖かくなるとこういう現象が起こることがある。
花が咲く仕組みにはいくつかの種類があるようだが、ヤマツツジは周囲の温度を感知して咲くのだろう。明るさを感知して咲く性質を利用して、秋になっても夜電気をつけて、花の咲く時期を遅らせるなどという工夫は昔からあった。
しばらく登るとリュウノウギクが咲いている。オヤマボクチは見当たらない。木の実を探して上を見たり、キノコや粘菌を探して地面や倒木の裏を見たり忙しい。鳥の声が聞こえるとしばらく立ち止まってどこで鳴いているのか見ようとするが、葉が茂っているときはほとんど見つけることができない。それでもしばらく鳥の声に耳をすませて森の真ん中に一人で立っているのはどこかワクワクする。
名前がわかったり写真が撮れたりすれば、帰って夫と共有できるのだが、鳥を見つけるのはなかなか難しい。
諦めてまたゆっくり歩き出す。木々の葉が少しずつ色づいている。足元の草も枯れて落ち葉の上に倒れている。コシアブラの葉が脱色して白くなってきた。赤や黄色、茶色に変化していく葉は多いが、白くなるものもたまにある。
そんな中に虫たちの生活の跡を見つけた。大きな葉を綺麗にレースで縁取ったような食痕や、一面すかし模様のレースのようになっているものがある。見つけるとなんだか楽しくなる。どんな虫が食べたんだろう。虫に食べられなくても初めから繊細なレースか銀細工のように細やかなオケラの苞葉なども面白いではないか。
自然の世界は、まだ知らないことばかりだが、何か一つ見つけるとそこからまた広がる世界があって飽きると言うことがない。どんどん魅力的になる。
定点観測と言っている山頂での記念写真を撮って、さぁ帰ろう。夫へのお土産に旗立岩を回って車両センターの写真を撮ろう。
このコース、そのまま進むと公園へ降りることになる。公園の管理棟の前でばったりイケさんにあった。顔をのぞかせた西澤さんとも一緒に少し話をして帰ろうとすると、イケさんが車に乗りなよと誘ってくれた。山道を歩くのはいくらでもかまわないけれど、ここからの舗装道路を歩くのはあまり好きじゃない。辞退してみたけれど、「旦那さんが待ってるよ」と笑うイケさんの好意に甘えて、下の分かれ道まで乗せてもらった。