我が家のすぐ裏の地附山から峰続きに少し奥に行くと大峰山になる。地附山はいくつものコースが整備されているが、大峰山への道は自然のままという風情だ。もちろん登山路はしっかりしているが、落ち葉の堆積や倒木が道を覆っているところもあり、なかなか楽しい。
善光寺平から見上げると山頂に城の屋根が白く光を反射している。だが、これは江戸時代などに建てられた城ではない。1962年に長野市が建設した模擬天守閣。蝶の博物館として一時開業していたらしいが、今は中に入れない。大きな蝶の形の看板が木の陰に隠れて残っている。
私たちは引っ越してきてすぐ地附山を歩き、峰続きに登山路が開いているのを知って、次は大峰山にも足を伸ばしてみた。その後季節を変えて時々歩いている。地附山と合わせて歩くことも多いが、大峰山だけ登ってくることもある。
春休みを利用して遊びに来た孫たちと登ったのは、4月初めだったが、山頂にたっぷり残った雪を見つけて大喜び、ビニール袋につめて走って家に帰ったのは大笑いだけれど、思い出に残ることだろう。ほとんど水になったけれど、冷凍室に入れて嬉しそうだった。山頂にはフキノトウがたくさん顔を出していて、みんなで摘んで帰ったのも思い出になるだろう。
今年(2017年)は雪が多かったせいか、4月14日に訪ねた時にまだ山頂には雪が残っていた。そしてオオミスミソウが満開。とても嬉しい出会いだ。
長野から戸隠へ続くバードラインの七曲がりは大峰山の南から西を巻くように登っていくが、その途中の霊山寺の境内から墓地の真ん中を通らせてもらって、登山道は始まる。
歴史好きの孫が川中島の合戦について調べていて、川中島古戦場史跡公園や私立博物館を訪ねた時に、霊山寺に川中島合戦の首塚があることを知った。博物館で鎧をまとったり、兜をかぶったりした孫たちは「重い」と言いながら、古の戦士たちに思いを馳せたようだった。
そのあと孫と一緒に霊山寺の首塚を訪ねたけれど、首塚の周りには一面に白いスミレが咲いていて、歴史に沈んだ武将たちの魂を慰めているようだった。
霊山寺を抜けると、10分も歩かないうちに大きな岩の下に出る。20メートルほどはあろうかという垂直の岩壁の左下に穴が掘られ、岩井堂観世音が祀られている。
この岩場は登攀訓練の場としても知られているらしく、数人のグループが体にロープを巻いて練習しているところによく出会う。長野県警山岳救助隊隊員が訓練をしているところに出会ったこともある。