実は名前を知らない山だった。どうして坂田山へ登ることになったかといえば、行こうと思っていたところが崩落のため通行止めになっていたから。長野市から須坂市に入り山道をクネクネと登って行って、森の奥深くでいきなり通行止めだった。
このまま帰るのは残念だけれど、第二案などもちろん準備していない。須坂といえば臥竜公園、いや、井上山か。来る途中で坂田山共生の森という名前も見かけた。
こうして、『坂田山共生の森』という自然の中へ、下準備全く無しのまま訪問することになった。我が家の車にはカーナビは備えていない。どこへ行くにも地図を見ながらの人間ナビだ。『坂田山共生の森』という名前からして、市など行政の手も入っているのではないかと地図を見るが、長野県の道路マップには入り口の駐車場などの記術がない。坂田神社という名前を頼りに車を進める。行き当たりばったりだったが、草むした駐車場らしき広場に到着した。ここはオオムラサキを観察できる場所らしく、大きな看板が立っている。
周囲はヤマハッカ、ノコンギク、アキノキリンソウなど、秋の花が咲き乱れ、蝶や蜂、トンボが乱舞している。となればもちろん蜘蛛たちが大きな巣を張っている。そして鳥の声もたくさん聞こえる。生き物たちが賑わう自然だ。
とにかく山道へ入ってみようと、歩き出す。しばらく登ると、『扇ノ入古墳』の案内がある。4号古墳をのぞき、さらに進むと『龍の割石』という巨大な岩がある。真ん中に縦に割れているのは竜が爪をかけたからだと書いてある。山麓を巻くように続いている『まつぜみの径』をのんびり歩いていくと林道にぶつかった。数人の作業服を着た人が測量をしている。そこを通り過ぎるとすぐ動物よけの柵があるので、これを開けて入る。『坂田山山頂→』という案内が見える。森の中には苔むした大岩が見られ、大きな顔が彫ってある。誰がいつ彫ったのか、顔だけ浮かんでいるのが面白い。天徳寺清水と看板が立っている細い沢を越えていくと、今度は『山寺の径』と書いてある。
ここをしばらく歩くと、ようやく左に山道らしい登り道が現れた。ここまでは長かったけれど林道のような広い道で、あまり登り下りは無かった。途中須坂市の展望を楽しんだり、臥竜公園を見下ろしたりしながらのんびり歩いていた。
登山道に入ると急勾配になる。ずっと平らな道を歩いてきたので、最初はようやく山道だと喜んでいたが、急傾斜の登りが続くと騙されたような気になってくる。「共生の森って言うからもっと緩やかな広々した山域かと思っていたよ」「これは裏山よりたくさん登るね」などと話しながら頑張る。
秋の気配が濃くなって、山にはキノコがたくさん顔を出している。キノコといえば可愛い傘を広げた形を思い描くが、実際は実に様々な形で驚く。そして色も。あまりに大小様々なキノコが地面から顔を出しているので、全て写真に撮っていたら進まない。それでも「あっ」「見て」「これは何」などと指差しながら、立ち止まり、しゃがみこみ、撮影もしながら登った。
しばらく頑張ると、痩せ尾根の上の山頂に出る。坂田山871mの山頂には三峰神社の祠が祀られ、中央の木には登山者ノートが置いてある。祠にお参りし、ノートを開いてみると、最後の記述は9月17日とある。十日前だね。ノートに今日の日にちと天候を書き入れ、展望を楽しむ。晴れてはいるが、遠くの山は霞んで見えない。山頂から一気に切れ落ちている足元には須坂市街地が見えている。時間はちょうど正午、休もう。
今日は朝からあっちへ行ったりこっちへ来たりした。ここからもうちょっと頑張ると明覚山と言うところに行くようだが、おにぎりも持ってこなかったので、ここで休んで降ることに決めた。狭い山頂に座ってお煎餅を食べていると、夫の腕に小さなハチがやってきた。トンボや蝶もいるが、彼らは近くを舞うだけだ。蜂は夫の腕が気に入ったらしく、ずっと這いながら吸っている。「塩を求めているのかな」「汗の水分も欲しいのかな」などと言いながら二人で見ているが、一向に去る気配はない。夫はくすぐったいと言いながらそのままにさせている。
しばらく山頂で遊んだので、帰ることにした。登ってみて初めて、ここが尾根コースという登山道だったと知る。まっすぐ登ったから、まっすぐ降ればいいと呑気に歩く。途中倒木が道を塞いでいたところは脇の森の中に近道を探しておりる。松の急斜面まで降りたら道がわからなくなった。落ち葉の上にはいく筋もの流れの跡があり、踏み跡と見分けがつかない。しばらく灌木の枝につかまりながらズルズルと落ちるように降るとようやく踏み跡が見えた。
ホッとして林道におり、また山裾を巡るように歩いていたら、今度は駐車場への分岐点を見過ごしてしまった。一つ先の羽黒山の下まで行って戻り、『歴史の径』を歩いて坂田神社まで戻った。