9月初旬、一人で戸隠に花を見に出かけた。アケボノソウやシロツリフネがきれいに咲き始めていたので、夫と一緒に見に行こうと話していた。
その後雨が続き、台風も来たりして延び延びになっていた。ようやく行こうと思い立ったが、気づけば3連休。連休最終日だからいくらか落ち着いているかもしれないけれど、戸隠はきっと人が多いね。コロナ禍の中、人が多そうなところを避けて行って来よう。戸隠スキー場に車を停めて、『せせらぎの小径』から越水を周遊し、植物園を歩いて戻ってくるという計画で出発した。
8時に家を出る。浅川のループ橋を渡り、飯綱高原を超えていく。予想はしていたが、飯縄山の登山口は溢れるほどの車だ。たくさんの人が登っているのだろう。
私たちはまず戸隠展望苑に立ち寄る。残念ながらというか、予想通りというか、蕎麦は収穫された後だったが、戸隠山が美しく聳えている。花の季節には白い蕎麦の向こうに山の青というコントラストが美しいのだが・・・、ちょっと遅かった。
計画通り戸隠スキー場の広い駐車場に車を停めたのは家を出て1時間後。ゲレンデはススキに覆われキラキラと波打っている。地図を見ると、ここから『せせらぎの小径』が越水の中央に向かって伸びている。靴を履き替えて、小径への入り口を探すが何軒かのロッジの間には草が生い茂っていて道らしきものがない。ようやく見つけた踏み跡を辿ると、周囲には椎茸を育てるらしい榾木が一面に並んでいる。草むした広がりの中にかろうじて見える踏み跡は、もしかしたら椎茸栽培のための道かもしれない。
気をつけて進んで行くと細い沢にぶつかった。沢をまたぐと木の幹に巻いてあるピンク色のテープが目に入った。ここでよかったんだと喜ぶが、そこで道は完全に藪の中に消えた。藪の向こうは広い空間らしいが、足元がえぐれているから、藪を漕いで行くのはやめよう。 諦めていつもの植物園へ行くことにしようと、車に戻った。
近道をしようと越水の道を走っていたら、『せせらぎの小径』という道標を見つけた。その先は路側帯が広くなっていて、車が一台停まっている。私たちもそこに車を停めて、最初の目的『せせらぎの小径』を歩くことにした。上からではなく、下からになったけれど。
小径は名前通り小さな沢沿いに続いていて、気持ち良い雑木林の中を緩やかに登っている。ツリフネソウや、サラシナショウマが道端を彩り、小さなミゾソバも一面に咲いている。森の中の気持ち良い道をしばらく登るといきなり広い空間に飛び出した。
『せせらぎの小径』は、ここで『つつじ通り』という車も通れる小道にぶつかる。振り返ると見事な戸隠連峰。青空の下に急峻な岩壁がくっきりそそり立っている。空き地の端に立つと、草藪の向こうに朝引き返したピンクの目印が見える。なんだ、そこまで来ていたんじゃない。わずかな距離だけれど、足元が不安定な草藪、これでは歩けないのも無理はないよね。
しばらく山を眺めてから今きた道を戻ることにする。途中にあった木のベンチでおやつを食べようと話していた。ベンチに座ろうとすると、真ん中をザトウムシが歩いている。ここは私の場所よと言っているみたいだ。しばらく待って、ザトウムシが地面に降りたので、座っておやつを食べる。
周囲にはキノコがたくさん顔を出している。茶色の綺麗なキノコを摘むと、触った傷から白い乳液のようなものが滲み出てきたのでびっくり。しかも滴り落ちるほど出てくる。これはチチタケと言うらしい。食べられるそうで、地方によっては松茸よりも高価なんだそう。こういう情報を見ると、「う〜ん、採ってくればよかったかな」などと貧乏性が顔を出すが・・・。
さて、休んだ後は来た道を戻る。戻ったところは旧越後道、今日はこの道を歩いてみようと車はそこに残したまま歩き始める。しばらく歩くと森はカラマツと笹に覆われる。昔の人はこの道を辿って魚を運んだり塩を運んだりしたのだろうか。黒姫山の西を越えて越後に入ったのだろう、奥深い山の道だ。
いく筋かの沢を越えるが、ふと見ると白いツリフネソウが咲いている。でも、とても小さい。近寄ってみると、ツリフネソウの特有のくるりと巻いた距がない。横から見ると、可愛い三角形だ。この辺りのシロツリフネソウだけ、この形みたいだ。突然変異なのか、こういう種なのかわからないが、他では見たことがない。
キャンプ場の近くまで行くと小さな念仏池がひっそりとあった。近くの車道には絶え間なく車が行き交っているが、この池は沈黙の中に沈んでいる。今日一日の二人だけの森歩きを象徴するような『静寂』だ。
親鸞聖人の念仏によって湧き出たと伝えられる念仏池はびっくりするほど澄んでいる。しばらく二人で清水が湧き出す様を見ていた。