裏山と呼ぶのは失礼だろうか、我が家から一番近い地附山を私たちは敬意を持って裏山と呼んでいる。1000メートルに満たない山だけれど、1年を通して豊かな自然を感じさせてくれる。私たちも何回か登るうちに山に親しくなり、登る人の顔にも見覚えがあるようになってきた。いよいよ地元の民になってきただろうか。
お盆休みは毎日雨だった。世の中はコロナウィルス感染症が何度目かの拡大となっていた。鬱々とした日々を過ごさざるを得ない社会にあって、『幸せ』を私たちはどんな風にイメージするだろう。金銭の豊かさ、健康などの個人的なことから、平和、コロナの終息など人類に及ぶ大きな願い事など・・・か。
『幸せを呼ぶ』と言われる青い蜂を見に行こうと言いながら、自分には具体的な幸福のイメージがないことに気がついた。青い蜂に会いたいから行く、それが幸福を呼ぶと言われるものなら、出会うと不幸になると言われるものより嬉しい、そんな軽い気持ちだ。
できることなら飢餓に苦しむ人の無い、平和で美しい地球の存続を願いたいが、それはあまりにちっぽけな自分の願いとしては壮大すぎる気がしておこがましいと感じる。
16日(月)、わずかに青空が見えたのをチャンスとばかり一人でのんびり地附山を巡ってきた。久しぶりに駒弓神社から登り、古墳をめぐって公園に降りた。どこを歩いてもミヤマウズラが満開だ。
山頂でマツムシソウを見ていたら青い蜂ルリモンハナバチが飛んできた。1年ぶりの元気な姿に出会えたことを喜び、家に帰って夫に「見に行こう」と伝えた。
18日(水)は青空が見えたので、歩き始めたが、青空は南の空ばかり、北の山は雲の中だったようだ。公園から登ったが、山頂に着く前から雨粒が多くなってきた。山頂のマツムシソウが風と雨で揺れる様をしばらく眺めていたが、蜂も蝶もやってこない。雨の中を飛ぶのは彼らも厳しいのだろう。
翌19日(木)、昨日よりは空の青が広いと、再び歩き始める。同じ道はつまらないから今日は違う道を行こうと言えるのは、地附山の散策コースが豊かだから。雨続きの日々は空気の埃を洗ってくれるのか、山も街もクリアに見える。夫は途中の旗立の岩付近からいつもの車輌センターを見下ろして喜んでいる。しかし、クリアに見えるけれど、車輌は少ないそうだ。工場もお盆休みなのだろうか。
少しずつ雲が増えてきたようなので山頂を目指す。地附山の山頂は花が豊かなところだが、マツムシソウが少なくなった気がする。
いないね。ハナバチの仲間とモンキチョウがのんびり蜜を吸っているけれど、青い蜂の姿はない。キキョウや、ママコナ、ワレモコウ、咲き出した秋の花を眺めているうちに「あ、いた」と夫。「今ここに」と、近くのマツムシソウの花を指差すが、もう姿はない。
キョロキョロしながらしばらく待つが、見つけられない。モウセンゴケの群生地まで行ってこようか、帰りにもう一回ここで探そうと話していると、「きた!」。
昨年見たルリモンハナバチより小型みたいだけど、まだ子供なのかな・・・などと話しながら元気に花から花へ飛ぶ姿を見つめる。よかった、今年も二人で会えたね。
しばらくして青い蜂が飛び去ったので、私たちもモウセンゴケ群生地まで行ってくることにした。ウメバチソウは胡麻粒のような小さな蕾になっていた。モウセンゴケの斜面は少しずつ削れていくようで、独特の赤い葉も初めて見た時より少なくなってしまった。変化しないものはないと思っても、自然の豊かさが続くようにと願ってしまう。
秋の花が賑やかになってきた草原の、草の陰には夏の名残が静かに隠れている。ウメガサソウや、チゴユリが小さな実をつけている。ふと見るとシャクジョウソウが壺の形を残したまま黒く枯れている。みんなまた来年咲いてくれるだろう。
夏の山を賑わせているのはなんといってもセミ、蝉の声が森の空気を染めるほどで、うるさいとすら感じるが、なければそれはそれで寂しいかもしれない。枯れ枝の先や、木の葉の裏にしがみついた蝉の抜け殻を目にして夏が来たなと思っていたのに、もうそろそろ終わりか。登山道に小さな甲虫が群れていたので何かと思えば蝉の死骸に群がっているのだった。自然界はこうして喰ったり喰われたり・・・。
地附山は、いつ登っても地元に愛されていると感じる山だが、広い森は荒れているところも多かった。しかし、最近森の倒木なども少しずつ手入れされているのが感じられる。
倒木が重なっているところには、粘菌の姿が見える。雨が多いと粘菌は活発になるのだろうか、崩れてしまうものもあるようだが。
動物も植物も生きるものは皆いつか死を迎える。交代して、変化していく。その中の一つ一つの小さな命が『幸せ』を感じられる瞬間が多ければいいのだろうとぼんやりと思う。一つとして同じ『幸せ』はないのだろうけれど、それこそが幸せの姿なのだろう。